創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

暴力事件隠し2

2011-07-18 10:00:47 | 騙しの構造

もう、皆さんはお分かりでしょうが、学会は常に自分の都合の悪いことはひた隠し、反対に人にその罪を擦り付ける体質であることを。
その、中でも会長就任してすぐの池田さんが自ら、暴力事件隠し、情報操作を行なっている言葉が存在しますのでご紹介いたします。

「折伏にあたって、暴力をこうむってきたのは、あらゆる迫害をこうむってきたのは、日蓮正宗創価学会であります。ちょっとした事件で、その実態も調査せず、なんでもかんでも、日蓮正宗創価学会員が、暴力をふるったように社会に印象づけられてきておりますけれども、それは反対であります。はたして、暴力をふるいながら、これだけ、月々何万世帯、何十万人の人がふえるだろうか。そういう道理は絶対ありません。」(昭和37年3月21日 四国本部入仏式)

創価学会員は「我が組織が暴力事件をひきおこしている」などとは思ってもおりませんし、その現場もほぼ、見ていないと言えると思います。私自身も会員時代そのようなことを聞いたことは、ありませんでした。しかし、会内の飲み会などでは被害者として、私がそれを経験しております。

ですから、対外的に暴力事件を引き起こしていたとしても、それは数が少ないというのが現状で当たり前のことです。しかし、池田さんは巧妙とも子供騙しとも言える、「暴力をふるいながら、これだけ、月々何万世帯・・・」と全員が暴力事件を犯しているわけではないとスリ変えて、何一つ、事件は起こしていないと言い逃れたわけです。

池田さんが絡んだ暴力事件

昭和27年の狸祭り事件
青年部幹部らが老僧を担ぎ上げ引き回し、戸田自身も小笠原師を殴ったとされております。

昭和33年的場暴力事件
大石寺の所化頭である的場正順師に対する集団暴行事件

その後も、学会は反体制人物に対し、言論の暴力とも言える抗議、嫌がらせ等を行なっており近年まで続いている通りであります。

昭和38年
『文芸春秋』誌での座談会記事に対し、藤原弘達氏へ抗議の手紙、電話が殺到

昭和42年 座談会会場で殺人事件
愛媛県新居浜市の座談会会場で参加していた青年部員・神野忠信が、ささいな怨みから地区部長を刺殺。

昭和44年 練馬区投票所襲撃事件
東京・練馬区の選挙投票所(豊玉第2小)において、投票終了時間後に訪れた二人が投票できなかったことを理由に、市川雄一(元・参謀室長、元公明党書記長・代議士)を首謀者に百数十人の学会員が投票所を取り囲んで襲撃、女性・高齢者を含む投票立会人四人に集団暴行を加えて流血させた事件。

昭和52年 僧侶連続吊るし上げ事件
1/20菅野開道、1/28松本珠道、2月・坂井進道、栗原開道、水野顕道、高見求道、中村福道、3月・西本暁道、8月・玉沢研済ら僧侶を次々と吊るし上げ、詫び状を書かせる。

昭和57年 日蓮正宗深遠寺で5人を殺傷
29才の青年部員は同寺に乱入、住職の妻やお手伝いさんを次々と刺し、住職の5才の長女、3才の三女、21才のお手伝いさんが死亡する事件が起きる。

昭和63年 学園正門前で暴力事件
創価学園で催された「栄光祭」に出席した池田氏をキャッチしようと、学園門前に待機していたマスコミ各社の記者、カメラマンに対し、学会、学園関係者が、集団で暴行に及んだ

平成元年 
男子部300名が福岡県・開信寺に殴り込んだ集団暴行事件

平成4年 大石寺ダイナマイト爆破予告事件
創価学会婦人部副本部長が大石寺に二十数回にわたって電話をかけて、『御影堂と客殿及び大坊に時限爆弾をセットした。猊下に取り次がなけれぱ爆発させる』などと脅迫し、更には三億円を用意するようにと要求した事件。懲役10ヶ月、執行猶予2年求刑。

平成5年 学会員金沢仁検事が参考人に暴行
「ひどい暴行があったのは翌十四日で、専務を壁に向かって長時間立たせた上、質問に答えられなかったりすると、後ろから繰り返し腰のあたりをけり、額や腹部を壁に激突させた。 「豚野郎」「猿野郎」「半殺しにして帰してやる」などと大声でどなりつけながらわき腹やももをけった。」朝日新聞 1993.11.29


池田さんは「私自身もやりました。あの時の指導以後、学会員による暴力事件が度々起こり迷惑をおかけしました」と謝罪すべきだろう。



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