#12 さらに日が過ぎて
学校施設を転用したキャンプ内で最も広い場所を占める体育館は様々な物資の置き場になり、
壁にはキャンプ内でのルールや生活情報、キャンプが受信した世界各地の様子が掲示されていた。
怪我から回復した人々は次々とキャンプの運営を支える側に回り、キャンプはあの日から見違えるように
快適になり、整理整頓されて規則に沿った運営をなされていた。
反対側の壁には収容された人々が肉親や友人、知人の消息を問う手書きのメモが壁を埋め尽くすように
貼り出されている。共通ボードの今週の周知事項に目を通したミスJも少しでも手がかりを掴もうと
喰い入る様にメモを見詰める人々に混じって、貼り付けられたメモを端から一枚一枚、端から見て歩いたが
自分の名前もわからない有様ではそれも意味をなさず、やがて壁から離れた彼女は小さく溜め息をついた。
「ミスJ、今日はオフかい?」
すぐ傍から降って来た良く通る声に彼女は顔をあげた。
「ええ」
「俺もオフなんだ」
綺麗なブルーの瞳でにこりと笑ったKは続けて
「外に出て見ない?天気がいいよ」
頷いたミスJを伴って彼はキャンプの建物から外へ出た。
「何もかも…無くなってしまったのね」
登った丘の上から広がる見渡す限りの荒涼とした風景に絶句したミスJは長い睫毛を伏せて、俯いた。
「すまない。そんなつもりじゃなかったんだ」
Kは申し訳なさそうに言う。
「あなたのせいじゃないわ」
山脈の向こうまで雲ひとつなく晴れ渡った空はどこまでも青く澄み、柔らかな風が
ふたりの髪を揺すっていく。
「お天気が良くて風がいい気持ちね。誘ってくださってありがとう」
長い髪が囲むハート型の顔の中で碧緑の瞳が輝いた。
突然、羽ばたきの音がして鳥が一羽、2人の前を横切った。
広げた翼一杯に上昇気流を受けた鳥はぐんぐん高みに登って行く。
続いてもう一羽が翼を広げ、先の一羽を追うように舞い上がった。
二羽の鳥は上空で一緒になり、並んで空の彼方に飛び去った。
二羽が消えていった青い空をKはずっと見つめている。
「以前のあなたは空の仕事、たとえばパイロットとかだったんじゃないの?」
端整なその横顔に視線をあてながらミスJがポツリと言った。
「どうして?」
大きな青い瞳で見つめ返されるとなぜか胸の奥がドキンと鳴った。
「みんなそう言ってるわ。Kはいつも空ばかり見てるって。それに…」
「それに?」
「あなたの空色の眼」
「それじゃ、以前はトンボだったのかも」
ポカンとしたミスJは次の瞬間、くすくす笑いだした。
可愛らしいその笑い声は温かく、どこか懐かしいような響きだった。
丘陵を歩きまわった帰りは行きとは異なるルートを辿った。だが、焼け残った木立に囲まれた帰り道は
途中からひどく窄まり、長い下り坂が続くようになった。やがて木立ちも途絶え、両側に荒い赤土の崖が
壁のように迫る狭い坂道は石が多くて歩きづらかったが、日没までに山を降りなければならない。
「足元に気をつけて」
急ぐ中でもKは足場を確保しながら背後のミスJに言う。
「わかったわ」
彼の踏んだ跡を辿り、坂道を用心深く下っていく間も彼女を護るように時折、背後に廻される手が頼もしく
うれしい。
曲がり道のすぐ先に開けた窪地が見通せて急峻な坂道もようやく終わりに近づいたかと、ほっとしかけた途端、
「あっ!」
背後のミスJが声を上げた。
(しまった!)
バランスを崩して前のめりになった彼女を振り向きざまに抱えて跳躍し、狭い山道の側面を強く蹴る。
赤土が抉られてバラバラと崩れ落ちた。空中で回転しながら身体を大きく捻って向きを変え、
前方の窪地に着地した。
「大丈夫?」
「ええ、ありがとう。私、うっかり浮き石を踏んでしまって…ごめんなさい」
抱えていた腕を解くとミスJは赤くなって眼を逸らせた。
窪地から先、ほぼ平らになって幅が拡がり砂地ながらしっかりしてきた道を、今度は彼女を
先に行かせた。なぜ人を抱えてさっきのような動きができたのか、自分でも信じられなかった。
いや、ミスJも同時に跳び上がり、山肌を蹴った自分の動きにぴたりとシンクロして回転し
同じ方向に身体を捻った。息も上がっていない。
ほっそりした後ろ姿を見せて、ミスJは軽やかな足取りで道を先に進んで行く。
(何者なんだろう?)