koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

12.8

2007年12月08日 22時41分48秒 | 歴史

12月8日と言われて,
「日米開戦」
とか,
「真珠湾攻撃の日」
と咄嗟に出てくる人が果たしてどれぐらい居るのだろう。


今日のニュースを漁ってみても,大東亜戦争関連の記事は,朝日新聞に載っていた婦人団体が大阪で「赤紙」の複製を配ったことのみだった。
往事を知る人々が櫛の歯の欠けるように減っていき,こうして12月8日は我々日本人の精神から風化していくのであろうか・・・。


不幸な戦争の始まりの忌むべき日とか,侵略戦争を行った恥ずべき日とか思う前に,世界中を巻き込んだ「帝国主義」というものについて理解する必要があると思う。
勿論,他国を侵略する行為は忌むべきことであり,今後未来永劫にわたって絶対に有ってはならないことだが,500年以上前の「大航海時代」以降の歴史を繙く必要性を感じるのだ。


例えば,大航海時代をリードしたスペイン・ポルトガルは16世紀のアジアを席巻した(南蛮人とは全く言い得て妙だ)。
アステカ・インカといった中南米の現地人の国を侵略したのも彼らである。
何故に南アメリカをラテンアメリカと呼ぶのか,何故にブラジルでポルトガル語が公用語なのかが分かるというものだ。
また,よもや我が国における天文年間の鉄砲・キリスト教伝来を,文化交流などと思っているお人好しは居ないと思うが,一つ間違うと我が国もマカオやゴアのように植民地化された可能性は十二分にあったと思う。
鹿児島や山口・大分,或いは少し後の長崎などがそうならなくて本当に良かったと思う。


周知のように,17世紀初めのトラファルガー沖海戦にてスペイン無敵艦隊が敗れてから,植民地支配の主役はオランダになる。
我が国は200年以上の長きにわたって鎖国政策を採っていた訳だが(結果的にこれが幸いした),オランダは西欧諸国で唯一交易が認められていたのは言うまでもあるまい。
インドネシアは大東亜戦争で我が国が侵攻するまでオランダ領であり,敗戦後オランダ軍が虎の威を借る狐宜しく戻ってきたが,独立運動の前に敗れ去った。


18世紀以降は英国が帝国主義を進める。
ブラッシーの戦いでムガール帝国軍を破った後にインドを完全に支配したのをきっかけにアジアを引っかき回す。
典型的な例が19世紀半ばのアヘン戦争である。
こんなのは戦争と言うより,言いがかりをつけた弱い者いじめ以外の何者でもない。
また,アフリカや中東の国々の国境線が不自然なくらい真っ直ぐなのは,列強がこれらの地域を侵し簒奪した結果であろう。
不幸なことにアフリカなど,西欧列強による分割支配までされたのである。
コンゴが長くベルギー領だったのをご存じの方も居られようし,南アのアパルトヘイトは勿論それが起源な訳だ。


そしてアメリカ。
19世紀末まで所謂「モンロー主義」によって他国への干渉をせず内需を拡大して国力を増強していたこの国が,1898年の米西戦争の勝利によってフィリピンを獲得。
以降,アジアへ侵出することになる。


17世紀以降,鎖国によって奇跡とも言うべき空前の平和を貪っていた我が国は,19世紀半ばに開国すると,徴兵令による西洋式軍隊の組織によって軍事力を高め,日清・日露の大国相手の戦争に勝って一躍アジアの強国となり遅まきながら列強の後を追うように大陸へ進出する。
第一次世界大戦でも戦勝国となり,朝鮮半島・台湾を領有。
旅順・大連といった大陸の入り口とも言うべき要衝を押さえ,南満鉄道をも手に入れた日本は,欧米列強にとって当然邪魔以外の何者ではなかった。
満州国を建国し,さらには中国東部を押さえた日本に対して欧米は経済制裁を加えてくる(アメリカは国民党軍を援助する「援蒋ルート」を持っており,義勇軍と称するフライングタイガースが漢江等で日本機と戦闘を行っていた)。
資源に乏しい我が国としては,南方資源を求めて仏印に侵攻せざるを得ない状況に追い込まれていた。


日米開戦に至るには,以上のような背景があったのである。
どんな理由をつけても他国を侵略すべきではなかった,という意見は道義的にもっともであるが,結果を知り後世の太平の世にいる我々だからこそ言えるのである。
だから,日本は悪いことをした国,と思う前に,何故に戦争に至ったのかを知る必要があるということである。
言ってしまえば非情な歴史の潮流に飲み込まれてしまった結果,と思う。
戦争責任を忌避するつもりは毛頭も無いが,後世の我々にとって善悪を論じることはナンセンスだと思う。


いずれにしても,戦争体験を語る人が年々減っていき,戦争の記憶・認識が風化していくのがやりきれない。
戦争は嫌いだ,と避ける前に,戦争を歴史を理解すべきではないだろうか・・・。


東郷外相の開戦回避策や野村吉三郎大使,宣戦布告の遅れと真珠湾奇襲については,機会をみて述べてみたいものである。


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4 コメント

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Unknown (奥州亭三景)
2007-12-09 00:05:21
いやいや、御慧眼、さすがですね。
実はこの日に併せてあたしも「戰藻録」の開戦までの日記についての私的分析をしようと思っていましたが、間に合いませんでした(読みはじめてから3ヶ月もあったのに、考えが考えが纏まりませんでした)。
あたしが常日頃、日本史や世界史を近代から進めない学校教育に苦言を呈するのも、日本人は一番近い時代の事を殆ど記憶に留めていない事にあります。この点では少々歪んだ教育ではありますが、韓国の歴史教育を見習う必要があると思いますね。

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Unknown (Torte_スポンジケーキ)
2007-12-09 22:26:26
こんにちは。
もう随分前から覗かせてもらっています。
ケーキレシピは微妙な配合で変化してしまうデリケートなものですね。
私もサイトで紹介しているレシピには気をつけていますが、いつも難しいなと思います。これからも楽しみにしてますね。
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仰るとおり・・・ (koshi)
2007-12-10 22:06:49
三景さん,今晩は。
仰る通り,私も含めて日本人は近現代史への関心も知識も無さ過ぎです。
そんでもって,単純に我が国は近隣諸国を侵略した悪い国と思っているのですから困ったものです。
歴史上の出来事というのは,その時に突発的・散発的に起こるのではなく,長い間の史実が積み重なって起こるわけですから,しっかり歴史教育を進めて欲しいものです。
ま,韓国の歴史教育は極端な排日史観さえ無ければ,我が国のそれよりも正鵠を得ているかも知れません・・・(でも中国を絶対非難しないんだな・・・)
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ようこそお出でくださいました・・・ (koshi)
2007-12-10 22:11:51
Torte_スポンジケーキさん,今晩は。
拙サイトにお出でいただきまして,本当にありがとうございます。
そちらにもうかがわせていただきましたが,何と美しく,そして美味しそうなサイトですね。
ザッハトルテが好きな私としては垂涎でございます・・・。
・・・で,お出でいただいて,大変申し訳ないのですが,あの・・・,コメントの場所はこちらで宜しかっさたのでしょうか・・・。
もし私の方が間違っていたら,それこそ申し訳ございません・・・。
でも,足跡を残していただいたので,大変感謝しております・・・(汗)
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