2013年4月3日
米国でのダルビッシュ有の完全試合まであと一人に相対して日本では選抜高校野球の決勝戦が行われていました。
九年前に初出場初優勝し、選抜の甲子園では負けなしの愛媛県済美高校のエース安楽智大投手の5連投について、日本だけでなく米国からも議論が湧き上がっています。
それは、もちろん、一人のピッチャーが連投に次ぐ連投で何百球も投げているということで、ピッチャー生命に影響するというものです。
これは、おそらく敗者として安楽が打ち込まれた結果として湧き上がったのではないかと考えられます。
逆に安楽が投げ切って、済美が優勝していたら、こんな議論は湧き上がったかどうか。
確かに、一人のピッチャーに初戦から毎日ではないものの毎試合、連投をさせた起用については疑問はあります。
決勝までに四試合663球。決勝戦を含めると五試合772球。
ここで考えるのは、高校野球は「育成・教育」の場なのか。それとも「勝負」の場なのか。
甲子園という、晴れ舞台で勝ちたいのは選手、監督や関係者ももちろんのことでしょう。
また、甲子園が近くなった予選でも同じことになるでしょう。
特に甲子園ともなれば、地元の期待や後援会などの期待もあり、より大きなプレッシャーものしかかる。
エースを投げさせずに、甲子園を去ることにでもなれば、よほどの事情がない限り、大騒ぎになってしまうことも考えられます。
複数のピッチャーが居て、同じような力を持っているチームならばいいのでしょうけど、そんなチーム作りができるのも一握りのチームだけ。
ほとんどはエースで四番というようなチームでしょう。
高校球児ならば、目標を甲子園出場に置いています。
その目標が実現できたとなれば、腕が折れようが、肩が壊れようとも甲子園のマウンドで投げ続けたいと考えることでしょうね。
でも、指導者の判断としてどうなのでしょうか。
甲子園でピッチャー生命が断たれてもいいのか、まあ、そんな風に考えているとは信じていませんが、指導者の判断力としては将来のこと、選手の育成を優先して故障につながるような無理はさせないように考えるのが最優先ではないかと考えます。
万一、そこで選手生命が断たれたとしたら、選手も指導者も悔やんでも悔やみきれないのが本音だと思います。
勝負ということもあり、甲子園という舞台では勝利至上主義になってしまうと考えます。それは今の世の中では致し方がないことでもあります。マスコミに踊ろされ、その内容にも一喜一憂する私たちでもありますから。
でも、野球では強い高校であっても、プロ野球選手を輩出していないという高校もあり、逆に甲子園には縁遠いが、プロ野球選手を輩出している高校だってありますから。
選手の将来を考えれば。
選手育成に優れた指導者として、目先の一勝より、選手の将来を最優先にした采配をする指導者にもっと頑張ってほしいと考えます。
私は以前にも書きましたが、高校野球はやっぱり教育でもあり、人間形成も含めての育成の場でもあるのだと考えます。
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まっくろくろすけ
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