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そういう人間に私はなりたい【サプリ仏教】

2008年05月07日 12時20分23秒 | サプリメント仏教

「花を支える枝、枝を支える幹、
   幹を支える根、根は見えねんだなぁ」

                               by 相田みつを

うちのお寺の境内地には、樹齢300年を超える枝垂れ桜があり、最近ではお寺よりもすっかり桜の方が有名になってしまいました

四月にお寺にかかってくる電話などは、ご法事の申し込みよりも、桜の開花に関する問い合わせの方が多いくらいです。

今となっては、住職ともども「桜に追い付け、追い越せ」を合言葉に頑張っている次第です、ハイ......
ともあれ、今年も境内地に満開の桜の花が咲きました

ちょうどその時期にお寺を空けていた私は、残念ながら今年はその満開の桜を目にすることができませんでした。

日本の四季の風景において、桜の花は春を象徴するアイテムの一つとしてなくてはならないものになってきています。

日本人であれば、誰しも満開の桜の花を見て心和ませるのではないでしょうか。

最近私は、この桜の花に準えて、仏教の立場からある提案をさせて頂いております。

我々が桜の花を目にして心和んだ時などは、ぜひその「花」のみに心奪われるのではなく、その花を支えている「枝」や「幹」、そして地中深くに張り巡らされた目に見えない「根っこ」の存在にまで想いを馳せて頂きたいという事です。

桜の花は、その「花」のみで成り立っている訳では決してありません。

その「花」を支える枝があり、その「枝」を中心で支える幹があり、その「幹」を目に見えないところでしっかり支える「根っこ」の存在があるからこそ、我々の心を和ませてくれるのではないでしょうか。

例えば、我々一人一人の人生を桜の花に譬えてみましょう。

その花(人生)を支える「枝」の部分は、身近な家族や友人であるかもしれません。

その枝(家族や友人)を支える「幹」の部分は、地域社会であったり国家であるのかもしれません。

そして、それら全てを支える「根」の部分などは、今は亡き見えない先祖の存在なのかもしれません。

我々一人一人の人生に満開の桜の花を咲かせたければ、我々はその「花」の部分のみに想いを集中させるのではなく、その「花」を支える全ての「ご縁」に感謝の想いを馳せるべきなのです。

これからの春の季節、満開の桜の花を目にして心和んだ時などは、ぜひその「花」を支える枝や幹、そして目に見えない根っこの存在にまで想いを馳せられる様になりたいものです。

そういう人間に私はなりたい......。(by 相田みつを風

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