藤原敏史カントクの偉大さについて私が知っている2、3の事柄

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アジテーション!見る前に叩け 見るまでもなく叩け 5 『無人地帯』を観ずに批判する

2011-11-24 20:46:38 | 日記


みなさん!
最後のアジテーションです!



みなさんは、映画『無人地帯』の予告篇を
どんな気持ちでご覧になりましたか?



我々が『無人地帯』の予告を見て覚えるのは、
静かな怒りと脱力感である。



我々は、『無人地帯』の予告編に満ちた美学に
吐き気を覚える。



カッコつきの映画的なるもの、
それが政治性を失った時、
あるいは同じことだが
虚飾の政治性をまとった時、
このような吐き気を催すような作品を
生み出したのだ!



何?映像が綺麗だぁ?
くだらん!
単にキャメラマンが優秀だった、
というだけのことだ。



我々は、『無人地帯』の審美的な映像に
震える感性など持たない。



もし、
この予告編に反応するシネフィルがいたとしたなら、
自らの感性を疑った方がよい。



そんな奴はシネフィルではない。
既存の価値観を追認するしか脳がない
映画オタクにすぎん!
そんな奴とは即刻絶縁しよう!



シネフィルは、オタクではない。
もっと誇り高い存在なんじゃないのか?



藤原敏史の詐術を見抜けず、
まんまと騙され、
このショットは映画的だの
抜かす批評家は死んでよし!
そんな奴は、皆で廃業に追い込もうではないか!



『無人地帯』は、
藤原敏史のナルシスティックなブログに
そっくりである!


『無人地帯』は、
藤原敏史の発言の側ばかりが表示された
Twitterのタイムラインである!


その整えられた外面の下に、
捨象された「現実」が隠されている。
そこに視線を向けることなく、
表層の美学にのみ
既存のモノサシを当て、
云々ウンチクを垂れる感性を
オタクだというのだ!
そんなザマだから、
フジワラトシフミみたいな
気色の悪いイキモノが、
湧いてくるのだ。



フジワラトシフミは、
こんな風にほざいている!




藤原敏史
ところでアルシネ・カーンジャンによるナレーションを映画にはめこんでみたら凄過ぎた件。11月25日に東京フィルメックスで『無人地帯』の世界初上映にお越しの方、ハンカチの準備をお忘れなく。今日ラストの部分を5回上映しなおして、5回とも監督が泣きました(恥)。




こんなものに泣く奴は、
猿と変わるところはない!
まさにフジワラトシフミが口癖のようにいう
ファシズムに親和的なパーソナリティだ!
「アルシネ・カーンジャンによるナレーション」
とやらは、以前、我々が取り上げた藤原の
薄気味の悪い洗脳ブログでは、
デューラーの銅版画が担っていた役割だ。


「飯舘村の人々が美しいのだとしたら、
 藤原敏史カントクとは無関係に美しいのである  2」
の回を参照


そんな洗脳装置にやられて
まんまと泣かされてるタコは、
フジワラトシフミ教に
入信すればよろしい!



「アルシネ・カーンジャンによるナレーション」とやらで、
フジワラトシフミは何と言わせているのか?



藤原敏史
『無人地帯』のナレーションでは、まさに「反原発アリバイ証明が目立つ(し、出てきそうな)」っていう、そのアリバイ的なものに耽溺してまで「【正義】の側でいられる自己満足」を求める、その心理を分析していく話になってたりします。


藤原敏史
アルシネ・カーンジャンというど偉い人間性の大きさを持った女優がナレーションをやってくれたので、そのものズバリの過激なことを言えちゃった、っていう。「責める相手を探し、全責任をそこに押し付ければ、『正義』を装うことで安心して破壊の映像を楽しむことができるのだ」とか。



これではまんま、
フジワラトシフミの「言論活動」
そのものじゃないか!


安全デマにもとづいて、
福島と都会という
不毛な対立軸を作り出し、
責任者を免責する言説。



藤原敏史よ!
お前は、土本監督がいかに
プロパガンダから
身を遠ざけようとしてたか、
偉そうに語ってたな!?


お前のやってることは何だ?
お前の馬鹿げた「言論活動」を、
口当たりのいい映像と音で
くるんで
洗脳しようとしてるじゃないか!
これがプロパガンダでなくて、
一体何だっていうんだ!?



さらに
フジワラトシフミがウジ虫以下であることを、
自らこのように宣言するのだ。



藤原敏史
ちなみに明日の東京フィルメックスでの『無人地帯』上映後の質疑応答では、「放射能が危なくないのか」的な質問をする人が万が一いたら、「それは映画監督に聞くよりお医者さんに聞いた方がいいんじゃないでしょうか」とお答えすることに決めてますので、悪しからず。



だそうである!
最悪のクソ野郎である!
医者でもないくせに
知ったかぶりのあやふやな知識で、
大声で煽動し、
断罪していたのは、
どこのどいつだっていうんだ!?




藤原敏史はまことに「政治的」に動き、
発言し、
原発災害と被災地を、
自分の映画に/映画を利用している。


彼は数日の滞在で、
被災者と被災地の映像を
上澄みだけを盗み取り(まさに搾取!)
美学的に利用した。


『無人地帯』の審美主義は、
それら「政治的」なるもの、
彼にまつわる「現実」を、
美学のもとに見えなくさせる。


『無人地帯』の美学は、
この世界を構成する本質的なノイズを
排除することで確保された美学である。


我々がこのブログで提示しようとしたのは、
そうしたノイズにほかならない。



シネフィルよ
政治的たれ!

シネフィルよ
闘争的たれ!

ここで政治的といってるのは、
2重の意味でいっている。

1つは大文字の政治
いわゆる「政治」のことだ

もう1つは小文字の政治、
シネフィルである諸君には
釈迦に説法だが、
映画内における映像と音の編制ー配置を
巡る政治のことを指している

言うまでもなくゴダールは
2重の政治の地平で戦ってきたはずだ。



我々は、
原発の海外輸出に反対するのと
同じ真剣さで、
『無人地帯』を否定しなければならない!
無論、海外での上映を
止めることは出来ない。
鈍臭い上映反対運動などはしない。
我々は、言葉の力で、
藤原敏史と『無人地帯』を撃つのだ!


『無人地帯』が
何の批評的試練にさらされることなく、
大いなる誤解とともに、
海外に流通するとしたなら、
それはまた、
藤原敏史のイカサマな言説が、
大いなる誤解とともに、
海外に流通することに他ならない!


想像してみたまえ!
藤原敏史の言葉が、
日本の原発問題を
「代弁」するものとして、
海外に拡散していくところを!
悪夢である!



海外の人間は、
日本に於ける
藤原敏史の「言論活動」など
知りはしない。
フィルメックスの審査員が
知らないのと同様に!



藤原敏史こそは映画の敵である。


藤原敏史の言説と
映画『無人地帯』を、
渾身の力で叩きつぶすことこそ、
シネフィルのつとめなのではないだろうか!