5月24日(日)京都府京丹波町の兄宅を訪問して、近所の竹やぶにワラビ取りに入った時の事、淡竹とワラビ採りをしていた時、茶褐色縞模様のマムシと遭遇一瞬ひるみました。やつは私を警戒していたが、手持ちの鍬で奴の頭を一撃し退治しました。正直その時私は長靴を履かず、スニーカーだったので、見落として近づいていたらと思うと少し背筋がヒヤッとしました。以前にもこの場所で兄が遭遇し、見失ったとのことでしたのでまた見逃してしまうと危険と思い退治しました。死骸はその場に放置しましたが、持って帰れば高く売れたかな?写真を撮っておけばよかったと思いましたが、その時はそんな余裕がなかったのが本音です。
専務です。最愛の連れ合いがなくなって早や3ヶ月が過ぎました。やっぱり48年連れ添った間柄ですからなかなか整理がつきませんが、いつまでもうじうじしているわけにはいかないので、元気を出していきたいと思います。そこで昔のくらしの続きを記していきたいと思います。私の育った田舎は、和歌山県西牟婁郡川添村竹垣内(現在は白浜町)です。小学校まで徒歩で約1時間(4km)中学校へは徒歩2時間半、中学は到底通学出来ないので寄宿舎に入りました。当初2人のみで、自炊の生活となり月曜日は朝の5時に、米・野菜を背負って学校に向かいます。自炊ですから、朝に朝食と昼食を同時に作り、昼食は寄宿舎に食べに帰る生活です。1ヶ月が過ぎると寮生が一気に10名越えになり、賄さんがつくようになり自炊は1ヶ月で終わり放課後はみんなと遊べることになりました。このころの生活は、大人も、子供も基本は徒歩、このころ大人(青年)達にバイクがはやりだし、特にホンダのベンリ-号(角ライト)が人気でした。それでも子供たちは、1、2時間歩くことには、何の抵抗もなく、この時代ごく当たり前の事でした。今では考えられないことですが…