台風10号の影響で、かなりの雨が降った後の水位を漁協のホームページで確認しながら、次の台風が接近してきている中、前日は台風の余波でかなりの風でしたが、この日しかないと思い、ゴルフをキャンセルし7月14日今年初めての友釣りに美山川に出かけました。余談ですが、この台風の余波で、我が家のグリーンカーテン(朝顔)が倒壊してしまいました。また囮屋さんの小屋も倒壊したとのこと。馴染みの囮屋さんに着くと、「今頃から年券か」と冷やかされながら、天然囮を購入し、お気に入りの場所に、早速囮を淵の方にもっていくがまったく当たりナシ。上流に移動するもここも反応なしなので、川の上に樹木の枝がかぶり、なかなか、囮を思うところに持っていけないところに苦労して流し込むと、すぐにアタリがあり慎重に取り込み、囮を野鮎に交換し、竿抜けしている場所しか来ないと判断し、難しい場所で、3匹確保し、昼食をとり場所を移動
そこで竿を出していると、京都から来られたという、お年寄りのご夫婦が、私を被写体にして、しきりにカメラをパシャパシャ連写してきました。ここで鮎がかかれば申し分ないがと思っているところに、アタリがあり、20㎝級の野鮎を取り込み、続いてまたアタリ、これも20㎝級タモに取り込んだところも撮影されました。そのご夫婦は、「いい写真があれば、投稿しても構いませんか?」とのことでしたので、OKを出しその場所で、8匹ゲットし合計11匹の成果、この美山川で、11匹はまぁ上々の成果と満足し帰路につきました。
そこで竿を出していると、京都から来られたという、お年寄りのご夫婦が、私を被写体にして、しきりにカメラをパシャパシャ連写してきました。ここで鮎がかかれば申し分ないがと思っているところに、アタリがあり、20㎝級の野鮎を取り込み、続いてまたアタリ、これも20㎝級タモに取り込んだところも撮影されました。そのご夫婦は、「いい写真があれば、投稿しても構いませんか?」とのことでしたので、OKを出しその場所で、8匹ゲットし合計11匹の成果、この美山川で、11匹はまぁ上々の成果と満足し帰路につきました。
6月21日梅雨空の中、専務が我が家の裏庭で育てたじゃが芋堀とバーベキューを、友人4家族招いて行いました。じゃが芋は、北あかり、男爵の2種類で、少し小さな芋もありましたが、堀たてをじゃがバターで頂きましたが、大変美味しく、みんな喜んで食しました。、子供たちは、大喜びで水鉄砲等で水遊びに講じていました。途中大雨に襲われましたが、雨を予想し、車をすべてコインパーキングに預け、カーポートの屋根の下で雨をしのぎ雨が連れてきた涼しさを楽しむことができ、じゃが芋は少しずつお土産に持ち帰ってもらいました。
5月24日(日)京都府京丹波町の兄宅を訪問して、近所の竹やぶにワラビ取りに入った時の事、淡竹とワラビ採りをしていた時、茶褐色縞模様のマムシと遭遇一瞬ひるみました。やつは私を警戒していたが、手持ちの鍬で奴の頭を一撃し退治しました。正直その時私は長靴を履かず、スニーカーだったので、見落として近づいていたらと思うと少し背筋がヒヤッとしました。以前にもこの場所で兄が遭遇し、見失ったとのことでしたのでまた見逃してしまうと危険と思い退治しました。死骸はその場に放置しましたが、持って帰れば高く売れたかな?写真を撮っておけばよかったと思いましたが、その時はそんな余裕がなかったのが本音です。
専務です。最愛の連れ合いがなくなって早や3ヶ月が過ぎました。やっぱり48年連れ添った間柄ですからなかなか整理がつきませんが、いつまでもうじうじしているわけにはいかないので、元気を出していきたいと思います。そこで昔のくらしの続きを記していきたいと思います。私の育った田舎は、和歌山県西牟婁郡川添村竹垣内(現在は白浜町)です。小学校まで徒歩で約1時間(4km)中学校へは徒歩2時間半、中学は到底通学出来ないので寄宿舎に入りました。当初2人のみで、自炊の生活となり月曜日は朝の5時に、米・野菜を背負って学校に向かいます。自炊ですから、朝に朝食と昼食を同時に作り、昼食は寄宿舎に食べに帰る生活です。1ヶ月が過ぎると寮生が一気に10名越えになり、賄さんがつくようになり自炊は1ヶ月で終わり放課後はみんなと遊べることになりました。このころの生活は、大人も、子供も基本は徒歩、このころ大人(青年)達にバイクがはやりだし、特にホンダのベンリ-号(角ライト)が人気でした。それでも子供たちは、1、2時間歩くことには、何の抵抗もなく、この時代ごく当たり前の事でした。今では考えられないことですが…