60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

東電バッシングに思う

2011年04月28日 15時31分37秒 | Weblog
別に味方をするわけではないが、最近の報道を見ていると、東電バッシングが目に余るように思う。
遅々として進まない事故の収束、見通しのたたない今後の推移、解りづらいし要領をえない説明等、
傍から見ていれば、苛立ちや歯がゆさで、相手をののしり攻撃したくなるのも分からないではない。
しかし本当にこれほどのバッシングを受けなければいけないほど東電に責任があるのか疑問に思う。

今回の福島の原発事故はマグ二テュード9.0という、予想だにできない大きな地震により発生した
15mにも及ぶ大津波によって起こったものである。言わば想定外の事態で引き起こされた2次的な
事故である。そこまで想定していなかった東電が悪いというのであろうか?一部の学者が可能性を
指摘していたというだけで誰もが予想だにしなかった大災害である。過去に何度もあった大津波の
経験から高い防潮堤を築いたり避難体制を整えていた東日本の各都市でさえ、あの大惨事である。

もともと原子炉設置をするには国に申請し、許可を受けてから建設してきているはずである。違法に
作ったわけでも、安全基準をクリアーしないまま作ったわけでもないはずである。従って福島原発は
国や地域の、ある種の合意を得て出来あがった施設である。言わば国のお墨付きの施設である。
(周辺市町村に対し交付金が配られていて、その額は財政の4割になる市町村もあると言うほど)
例えば阪神大震災の時、高速道路が倒れそのために災害にあった人、橋が落ちて被害を受けた人、
公共の施設にいてそこが火事で亡くなった人、その保障を道路公団や国に請求できたのだろうか?
今回の問題も基本的には同じような問題ではないだろうか?たまたまそれが放射能と言う厄介な
ものを扱っていたから問題が大きくなってしまった。では、放射能を外部に漏らしたという管理責任で
バッシングを受けているのであろうか?しかし私には今回の事故で東電に大きな落ち度があるとは
思えないのである。

福島第一原発の1号機2号機はアメリカのGE社製である。3号機は東芝製、4号機は日立製という
ことである。従って原子炉本体の製造責任は各メーカーにあるはずである。東電はそれら原子炉の
購入者であり、管理運営者である。言ってみれば各社の作ったマニュアルに沿ってそれを運営して
いたオペレーターであるにすぎないように思うのである。
原子炉の鎮静の作業にしても、基本的には東電の社員ではなく、消防庁のレスキュー隊や各社の
技術者の参加の基に進められていてはずである。東電側はそれら作業内容や今後の進行予定を
聞きながら、保安院や原子力安全委員会に報告するような格好なのであろう。したがって東電側に
主体性はなく、あくまでも原子炉メーカーや消防隊の手腕にゆだねられていることの方が、多いの
ではないだろうか?

原子力発電推進は化石燃料からの脱却のため推進されてきた国の施策である。今回東日本震災で
起こった原発事故を、一民間企業である東電を悪者にして叩いていれば良いという風には思えない。
東電は現状は針の筵で、抗弁できる状況ではない。それを良いことにメーカーはその物陰に隠れ、
政府は東電に責任転嫁して責任回避しているようにみえる。マスコミはマスコミで誰かを悪者にして、
激しくバッシングすることで、自分を正義の代弁者のように装っている。

私は歳を取ってきた所為なのか、だんだんマスコミ嫌いになっている。特に民放の報道姿勢には怒り
さえ覚える。見識のないタレント評論家に好きなように批判させ、それを垂れ流し的に電波に乗せて
流しているだけである。その発言が問題になったとすれば「それは評論家が言ったこと」、として言い
逃れして自社の責任を回避する。そんな無責任なマスコミに原発事故を語る資格はないように思う。

阪神大震災の事例からすると、家を流された人々に対しては、被災者生活再建支援法に基づいて、
最高200万程度の支援金が支給される。しかしそれでは今までの生活を取り戻すことはできない。
そして被災者は今回の災害への怒りはどこにぶつけいようもなく、自分で納めるしかないのである。
では、原発事故による2次的災害の責任は何処にあるのか?それは天災なのか?人災なのか?
今はその怒りの方向は東電に集中している。それで良いのだろうか?避難している人々の保証は
どうなるのか?誰が何処まで保障するのだろうか?今回の津波で家を流され被害にあった人々と、
放射能で被害をこうむっている人々と、何処がどう違うのだろうか?どこで区別するのだろうか?

難しい問題である。しかしそういう問題にジャッジし、線引きしていくのが政治である。仔細なことは
後で詰めるとして、今はその処理の方向についての考え方を、明快に毅然として訴える時である。
それが災害時や緊急時のリーダーシップなのであろう。それが管さんにはない。皆の合意を得て
からと思うから要領を得ないしスピードが鈍い。その間に人の感情が吹き出し収拾がつかなくなる。
そしてそれを無責任なマスコミが煽る。今のままでは、解決の方向が見いだせないままにストレス
だけが溜まって行くように思う。つくづく悩ましい世の中である。


高血圧

2011年04月22日 09時22分04秒 | Weblog
昨年の健康診断の血圧測定で初回が148mmHg、計り直した2回目が140mmHgと高くなっていた。
以前は常に最高血圧は130mmHg未満で、全く問題ないと思っていただけに少し不安になってきた。
そこで血圧計を買って、毎日朝と晩に計って記録を付けてみることにする。

記録を付けると自分の実態が見えてくる。付け始めてから37日間を平均してみると

   朝の最高血圧は  152.2mmHg   最低血圧は  94.9mmHg
   夜は          137.1mmHg            86.0mmHg   である。

 ※ 朝の方が15mmHgほど高い。 

どちらにしても以前に比べて高くなっているので、会社の近くにある個人病院へ行ってみた。

年寄りばかりが集まる古びた医院、医者は70歳を過ぎた老医師なのだが、長年の経験知を買い、
また、あまり人が来ないから待ち時間が少ないことで、時々は利用している病院である。

私の持参したデーターを見ながら、「まあ、歳ですから、血圧も上がってくるでしょう。薬を飲んでみて
しばらくは様子を見てみましょう」とのことである。私が「薬を飲まなくてはダメでしょうか?」と聞くと、
「血圧が高いと脳梗塞や脳溢血などのリスクが高くなる。だから140mmHg以下でコントロールした
方が良いのです」ということで、「ノルバスクOD錠5mg」を毎日1錠飲むように処方してくれた。
調剤薬局で聞くと、この薬は血管を拡張することで血圧を下げる効果があるそうである。


それからは毎月1回病院に行くことになる。
病院では看護婦さんが血圧を計り、そのメモを医者に渡す。医者はその数値をカルテに記入して、
「安定してますね。同じように1ケ月分の薬を出しておきましょう」と判で押したようなコメントである。

そして約5ケ月が経過した。 その間152日間のデーターを平均してみると、

   朝の最高血圧は  144.7mmHg   最低血圧は  90.4mmHg
   夜は          135.1mmHg            80.8mmHg   である。

 ※ 薬の効果でそれぞれ2~8mmHgと多少の血圧の降下はみられる。


病院に通う都度、「これでいいのだろうか?」と言う疑問が大きくなっていった。

それは
1.体の変調で血圧が上がったわけで、これを血管を拡張する薬だけで解決していいのかという疑問、
 (これでは根本の解決ではなく、薬による数値のつじつま合わせのように思える)
2.医者は70を過ぎている。その医学的知識は40年前のもの、これに頼っていて良いのかという不安、
 (なぜ朝の血圧の方が高いのか?という質問に対して、明快な答えは得られなかった等々)
3.血圧を計るだけで診察料を毎月1440円取られる。これでは医者の利権ではないのかという不信、
 (毎月診察料と薬代で2500円になる。1年間3万円X余命を思うとバカバカしい)
4.今から先、死ぬまでこの薬を飲み続けなければいけないのかという、うっとおしさ。

自分の中でどうも納得がいかないと、納得のいくまで調べるのが私の性格である。早速書店に行って
専門医の書いた「薬にも数値にも振り回されない、高血圧最新療法」という新書を買って読んでみた。
以下そのあらましである。

飲食から塩化ナトリウム(塩分)を体にたくさん取り入れると、当然体内のナトリウム濃度が高くなる。
我々の体はナトリウムの濃度を常に一定に保つように働くので、濃くなったらそれを薄めようと水分を
要求する。そして水分が増えると血液量が増え、心臓から送りだされる血液の量や心拍出量が多く
なって、血圧が上昇する。そのため余分な塩分、水分は血液として腎臓に運ばれ、尿の塩分、水分
として排出されるわけであるが、その量には限界がる。腎臓から排出できる塩分量よりも多い塩分が
体内にあった場合、塩分は水分ともに血管に残ってしまう。そうなると血管はぱんぱんに腫れた状態
が継続することになる。これが高血圧である。

人間は1日当り1g以下というごく少量の食塩を摂取すれば、生きていくのに充分といわれているが、
我々日本人が摂取している塩分の量はなんと1日11gにもおよぶ。これでは腎臓が処理する能力を
はるかにこえていて血圧を上げる方向になっているとみるのが自然である。腎臓が塩分を排出する
能力には個人差があるのだが、塩分をたくさん輩出できる人は高血圧になりぬくいし、少ししか排出
できない人は高血圧になりやすいということである。その個人差をもたらす要因のひとが肥満である。
太っていると腎臓に脂肪がついて負担がかかったりし、結果、塩分排出量が減少する方向に腎臓が
働き、血圧が上がる要因である。あと加齢も腎臓の働きを弱め、塩分の排出量減らす要因になる。
それに加齢とともに血管は弾性を失い、平滑筋の収縮異常が起き、血管が細く収縮した状態で血圧
が高くなるというわけである。

高血圧治療ガイドラインは平均値が最高血圧140mmHg以上、最低血圧が90mmHg以上とされ
ている。しかし医学データーからは最高血圧が140mmHgになったから突然に死亡率が上がるので
はなく、115mmHgから死亡率は徐々に、しかし直線的に上がっていることが知られている。
したがって、血圧の値にはその値の上か下かで死亡率が大きく変わるような特定の重要ポイントの
値はない。また反対に100mmHg以下になると、目まいや頭痛、ふらつきなどの症状がでてくる。
従って理想的な血圧は115mmHgから120mmHgの間ではないだろうかと思われる。

いま日本人が摂っている塩分は平均1日10.9g。男性が11.9g、女性が10.1gである。それに
対して日本の高血圧学会のガイドラインでは1日6gを薦めている。しかし世界保健機関(WHO)は
1日5gを上限量とし、欧州高血圧学会のガイドラインでは理想的な食塩摂取量として3.8gを推奨
している。そのように今の我々の塩分摂取量(11g)がいかに多いかが分る。

血圧を低くする健康法は、食生活で塩分を控えること、野菜や果物を積極的に食べてカリウムを摂取
すること、肉より魚を食べること、運動を始めること(汗として塩分が排出される)、体重を落とすこと等
である。さらに減塩で得られる効果は、血圧コントロールに限らず、脳卒中や心筋梗塞をはじめとする
心血管病、肥満腎臓病、骨粗鬆症、各種がん、様々な病気のリスクを減らす効果があると言われる。
そのために塩を減らした食事をすることは我々の健康にとって、大きな課題でもあるのである。

血圧を低くする、低く保つ食生活では減塩に加えて、野菜やくだものを積極的に食べ、カリウムを摂取
することが大切である。カリウムには腎臓から塩分を排出する作用がある。塩分を減らした食事という
のは日本食ではなかなか難しく、思い通りにコントロールできないのが実情である。したがって、その
代わりにカリウム摂取を増やすことで、体から余分な塩分を排出するというやりかたを、より積極的に
取り入れるとよい。塩分を控えながら、カリウムをやや多めに摂れば、塩分を大幅に控えたのと同じ
効果が得られるわけで、無理なく塩分制限ができるという意味でも意味深いと考えられる。

日本人の食塩摂取を11gとすると、カリウム摂取としては3.6gが最適と判断される。ということは、
ほうれん草の場合では3.5把、リンゴであれば10個分に相当する。これをみると、野菜の摂取が
いかに重要であるかが分る。(ただし腎臓病の人はカリウムはむしろ控える必要がある)


本を読んで、高血圧になる要因は細かく上げれば様々にあるのだが、その根本は塩分の摂りすぎに
ある。従って血圧を下げるには塩分を摂らないこと、摂った塩分は野菜等に含まれるカリウムを多く
摂ることで、速やかに排出することの2点にあると思われる。今まで通りの食生活をしていれば私の
血圧は下がらないし、結果、薬に頼るしかないわけである。これから先、薬を飲み続けていくことは
避けたいし、医者や調剤薬局のカモにはなりたくないという思いで、減塩を実行することにした。

私は食事の減塩はある程度できても、野菜の大量摂取はなかなか難しいと思う。そこで、それを
補完するために野菜ジューズを考えた。ドラッグストアーに行き、色々な野菜ジュースの裏面表示を
比較してカリュウムが一番多く含まれ、なお且つ安価で、ペットボトルで保存が効く商品で「伊藤園 
1日分の野菜 900g」を買って飲むことにした。2日で1本飲むとして、1日450g(野菜量で875g、
カリウム1.8g相当)である。今は特売中で1本238円で、半分飲むから、1日120円弱で済む。

4月12日から薬を止めると同時に、減塩と野菜ジュースを飲むことをスタートした。
昨日で10日目である。その間の平均のデーターは

   朝の最高血圧は  134.5mmHg   最低血圧は  88.0mmHg
   夜は          121.9mmHg            78.0mmHg   である。

10日間の数値であるが薬を止めたにも関わらず、数値は劇的にダウンした。これで高血圧が塩分に
由来することが、私の中で実証されたことになる。高血圧に対する減塩は今までにも言われていた
ように思う。しかし医者が「減塩し、なお且つ野菜を大量に摂れば、薬を飲む必要はありません」とは
言わないだろう。それは眼科医がメガネを勧めるように、彼らの利潤に反するからなのだろうか?
人の体は意外にメカニカルな要素を持っているものである。その原則を無視して生活態度を改めず、
メガネや薬に頼ってしまうのは、やはり健康にはよくないし、自然ではないように思ってしまう。

              

さくら

2011年04月15日 07時57分09秒 | Weblog
通勤の車窓から、ピンクの桜が目立ち始めると、毎年なら浮き浮きした気分になってくるものである。
そして「さあ、今年は何処の桜を見てみよう?」、そういう風に春の訪れを肌で感じてみたいと思う。
しかし、今年はそんな浮き立つ気分がまるで起こらない。東日本大震災と福島原発との連日の報道、
時々感じる余震のゆれ、停滞する仕事の流れ、知らず知らずの内に気分が滅入っているのであろう。

東京では3月28日に開花した後、平年より1日、昨年より5日遅く、4月6日に満開ということである。
9日(土)が雨模様のどんよりした天気、今年の桜を見るには10日(日)を逃すと難しくなってしまう。
そう思うとやはりどこかを歩きたくなる。「できれば人の少ない静かなところ」、そう思って散歩の本を
探して、埼玉県の富士見市と志木市の間を流れる柳瀬川に行ってみることにした。

東武東上線柳瀬川駅で降りると左手の柳瀬川の土手に桜が見える。ここから志木市役所の先まで
約2kmが桜堤である。10時過ぎはまだ人も少なく、土手の道を自分の歩調で歩くのに支障はない。
時々さわやかな風が満開を過ぎた桜の花びらを散らしていく。思わず森山直太郎の「さくら」の歌を
口ずさみたくなる。滅入っていた気持ちが少しずつほぐれていくように思えた。


駅からの散歩 No.311     柳瀬川(埼玉県志木市)     4月10日

柳瀬川は狭山湖に源を発し北東へ流れ、東京都清瀬市で清瀬水再生センターの放流を受け入れ、
埼玉県志木市で新河岸川に合流する。かつては生活排水が流れ込み、ゴミなども多く柳瀬川は
悪臭をともなう汚い川となっていたが、1981年には清瀬水再生センターが運転を開始し、さらに
ボランティアによる地道な清掃活動が続いて次第に水質改善が進み、今は釣りを楽しむ人なども
多くなった。また水鳥が多数生息し、野鳥観察をしている人もいるも見かける。川は志木市役所
付近で新河岸川と合流し、さらに下ると荒川と合流し、東京湾に注いでいるということである。


             

                      東武東上線 柳瀬川駅
                 
    

                 柳瀬川堤は約2kmにわたって桜並木が続く。    

    

    
             


              


              


     


     


              

    企業名が入ったぼんぼりがあると興ざめしてしまう。来年からもぼんぼりは止めてほしい。

      

                             柳瀬川

      

                             宝幢寺

              

                            宝幢寺

      

                          宝幢寺 しだれ桜

              


              

                        石楠花(しゃくなげ)

      

                       志木市立 郷土資料館

              

                             帳場

              

               小学校低学年まで、冬はこのコタツを使っていた。

              

               高校生まではこのバリカンで自分で頭を刈っていた。

      

           郷土資料館から再び柳瀬川にもどりさらに下って新河岸川の土手を歩く

      

                           新河岸川

      

                    新河岸川 黄色の花は西洋からしな

      

                           新河岸川

           


              

                            野鳥観察 

              


              


              


      

                             新河岸川

安藤忠雄

2011年04月08日 08時17分05秒 | 美術
                          渋谷 表参道ヒルズ

日経新聞の裏面に「私の履歴書」というコーナーがあり、毎月著名人が出生から今日に至るまでの
半生を描いた自伝を書いている。功成り名を遂げた人達、その人生には並みの人に倍する努力や
苦労があり、そこには成功するための必要条件のようなものが見えるようにも思える。
今月(4月)は元アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュが書いているが、先月(3月)までは建築家の
安藤忠雄であった。「安藤忠雄???」、建築にはさほど興味はなく、建築家と言えば丹下健三か
黒川紀章ぐらいしか知らない私は、名前を見ても、どんな人物か思い浮かばなかった。

そこでインターネットで「安藤忠雄」を調べてみる。
彼は昭和16年大阪市生まれ、大学に行くことなく独学で建築を勉強し、関西の建築設計事務所で
アルバイトをしながら建築士に合格したという。1976年の「住吉の長屋」(大阪市住吉区)が高く
評価され日本建築学会賞を受賞したことで世間に認められる。当初は大規模な公共建築ではなく
小さな個人住宅などの、小規模建築が多かった。1980年代以降は商業施設、寺院・教会などの
中規模の建築の設計が多くなった。コンクリート打ち放し、幾何学的なフォルムによる独自の表現を
確立し、世界的な評価を得るようになった。1990年代以降は公共建築、美術館建築、また全国や
海外の仕事も増えているという。ネットで主なる作品履歴を見てみたが、私が見たことがあったのは
渋谷の表参道ヒルズぐらいである。

「私の履歴書」を読み進むうちに、彼のすさまじい生き方に興味を覚える。彼は一人娘だった母親の
実家を継ぐために、生前からの約束にしたがって祖父母の養子となり、大阪の下町にある間口2間、
奥行き8間の長屋で育つ。裕福ではない家庭の事情からか大学は中退し、アルバイトを点々とする。
そののち、木工家具の製作で得た資金を手に、24歳の時から4年間アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、
アジアへ放浪の旅に出る。ヨーロッパからの帰路、マルセイユで数週間待たされた後、帰国の船に
乗り、象牙海岸、ケープタウン、マダガスカルに立ち寄り、インド・ムンバイ(旧ボンベイ)で下船する。
それから、安藤は何かに導かれるように汽車に乗り、ベナレスに向かった。ガンジス川で牛が泳ぎ、
死者が荼毘に付される傍らで多くの人々が沐浴するさま、強烈な太陽の下異様な臭気に包まれて
果てしなく続く大地、生と死が渾然一体となり、人間の生がむき出しにされた混沌の世界に強烈な
印象を受け、逃げ出したい気持ちを必死にこらえながらガンジス川の岸辺に座り込み「生きることは
どういうことか」を自問し続けたそうだ。

「人生とは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを
貫き通せばいいのだ。闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。その時は、自然に淘汰
されるに任せよう」と考え、ゲリラとしての生き方を決心する。それが1965年、24歳のときである。
また彼は過去にはプロボクサーでもあったそうである。ボクサー時のリングネームは「グレート安藤」、
戦歴は23戦13勝3敗7分けと、まずまずの戦績を上げていた。しかし「ファイティング原田」の練習
風景を見て、その才能に圧倒され、ボクサーとしてやっていくのを諦めたとも言っている。

今や時代の寵児の建築家で数々の賞をもらっているが、片方では「コンクリート信者」とか「バブルの
反動で、シンプルなものを求める時代の要望にマッチして脚光を浴びているにすぎない」とかの批判
もあるようである。しかし、安藤忠雄の履歴書を読んでみると、どちらにしても名を馳せ、世に出ること
も必然のようにも感じるのである。それは安藤忠雄の持っている建築に対する圧倒的な情熱とその
パワーのように思うのである。生まれ持ったポテンシャルエネルギーと並々ならぬ物に対する興味、
それに加え生まれ育ったハングリーな環境、そんなことが相まって傑出した人物を産むのであろう。

その安藤忠雄が31日の最終の文章で今の日本の世相を憂いて書いていた文章が印象に残った。

人は考えなくなり、闘わなくなった。経済的な豊かさだけを求め、生活文化の本当の豊かさを忘れて
しまった。未来を担う子供達は親の敷いたレールの上を走るのに精いっぱいで、創造力を養うための
貴重な時間を失っている。本来子供達は友達と自由に、自然と戯れながら遊ぶ中で好奇心を育み、
感性を磨き、挑戦する勇気や責任感を養う。今、子供達は過保護に育てられ、自分で考える体験が
絶対的に不足しており、緊張感も判断力も、自立心もないまま成人し、社会を支える立場に立つ。
正しい価値観で物事を決めることができず、国際社会で立ち遅れている今の日本と子供教育を取り
巻く状況は決して無関係ではない。私は自分で生きる力を身につけなければならないという思いを
人一倍強く持ってきた。だから、自分の意思が希薄で、人と直接ぶつかりあおうとしない、芯の弱い
今の若者や子供を見ていると、日本の将来に強い危惧の念を覚える。
人間性を育む教育を行い、自分なりの価値観をもつ「自立した個人」を作り、家族や地域への愛情を
もった日本人の国民性を回復しなければ、未来は見えてこない。
フランスの詩人ポール・クローデルは同じく詩人で友人のポール・ヴァレリーに「私はこの民族だけは
滅びて欲しくないと願う民族がある。それは日本民族だ」と話したという。その民族は存亡の危機に
ある。今こそ震災を機に日本は真に変わらなければならない。

我々の親たちは敗戦のどん底を生き、我々を育ててくれた。その苦労や直向きさがあったればこそ、
今の日本の繁栄があるのだろう。そして我々はその両親に守られ、その遺産の上にアグラを掻いて
いたのではないだろうか?右肩上がりの成長はなくなり、国としての遺産も底をついてきた。
そこに今回の震災である。被災地の人々と、そうでない人達とは雲泥の差はあるものの、直接間接
だれもがこの影響(特に経済的)は免れなくなるのだろう。震災が切っ掛けで社会は大きく変化する
かもしれない。そんな中、もう国の所為にしたり、会社の所為にしたり、親の所為にも他人の所為に
したりせずに、生き抜いていく術を身につけて行かなければいけない時なのだろうと思う。
今の日本人が依存体質になったのも「逃げ切り世代」と言われる我々に大きな責任があるのだろう。
今言われている「震災地に対して自分に何ができるのか」と問うだけでなく、次の世代を担う息子や
娘たちに対して、「自分に何ができるのか?」そんなことを真剣に考える切っ掛けのようにも思う。
そして安藤忠雄の言う「自立心を養う」、そのことを抜きに明日の日本はないように思うのである。

福島原発で思うこと

2011年04月01日 09時17分20秒 | Weblog
先週はあっという間に世の中から水がなくなった。その前の週はトイレットペーパー、コメ、牛乳等々
震災や原発の状況を見聞きして、まずは「自己防衛」、これは当たり前の人間心理なのであろう。
今韓国や台湾は日本からの食品輸入はストップし、台湾では日本の工業製品まで放射線検査を
実施していると報道されていた。明らかに過剰反応であり為政者のパホーマンスのようにも思える。
中国人が大挙して日本を脱出していると言うニュースもあった。被災地に住んでいた人達は当然の
避難であろうが、関東や関西にいた中国人も我れ先にと帰国しているようである。それは中国での
報道が津波にのみ込まれてる人を写し、累々と並ぶ死体を写すなど、リアルでセンセーショナルな
震災報道が危機感を煽り、本土の家族からの強力な帰国要請がなされたからだと言われている。
人は自分の身を守るために、どちらかと言えばネガティブな情報に気を引かれる傾向がといわれる。
報道の仕方、報道の受け止め方で、人の反応と行動は、まさに千差万別である。

地震から3週間近く経過すると、TVも震災報道一辺倒から徐々に通常の番組に切り替わって行く。
しかし関東に住む人の意識は、どうしても計画停電の影響と、福島第1原発の状況に向いてしまう。
これもまた「自分にとって災いがあるか否か」に関心が向くからである。福島原発は終息するのか?
放射能汚染は何処まで広がって行くのか?、そしてそれが自分の身にどう降りかかってくるのか?

今、福島原発のテレビニュースを聞いていてもあまり良く理解できない。燃料棒、原子炉圧力容器
格納容器、原子炉建屋、タービン建屋、復水器、貯蔵タンク、シーベルト等々、聞き慣れない用語で
語られる内容、そして遅々として進まない作業状況、しかも1台だけでなく、4基が同時並行である。
次から次へと出てくる難問、今回は高濃度の放射能で汚染されている水の除去と海洋汚染の問題
何時終わるとも判らない状況が続いていると、現場の人達の大変さも判るが、見ているこちらの方も
憂鬱な気分になって、心が晴れないのである。

そもそもこの問題がなぜ理解しずらいのかと考えてみる。それは放射能という目に見えないものを
相手にしなければいけないからである。一昨年の新型インフルエンザのように、目に見えないものと
闘わなければいけないことは恐怖なのである。実際に現場でも放射能汚染を避けて建屋内に入る
ことは困難な為に、全て遠巻きでの処理である。次々に起こってくる現象から内部の状況を推測し、
その推測に基づいて対応するから、常に後手に廻らざるを得ない。

そんな混乱した現場の状況を伝聞で聞いた原子力保安員が記者会見を行う。それをあまり知識の
ない記者やメディアの人が聞いて持ちかえる。今度は原子力専門家と称する人たちの解説を交え、
今、現場で起こっていること、今からやるべき対処方法など、全て憶測で解説していくわけである。
不確かな物の上に、憶測が積み上がって行く。こんな事をどう丁寧に報道されても視聴者に納得が
いくとは思えない。原子炉内部で起きていること、その作業内容、そして東電や政府の右往左往を
毎日聞かされても我々にはどうしようもないし、それを聞いても何をどう判断しようもないのである。
今の報道のあり方では視聴者の危機感をあおるだけで、あまり意味がないように思うのである。

先ほども書いたが、視聴者の最大の関心は「自分に塁が及ぶかどうか」である。住む地域により、
家族構成により、それぞれの事情は異なってくる。子供を抱えている人、不自由な年寄りがいる人、
福島に住む人、東京に住む人、それぞれにとって、どんな情報が必要なのだろうと考えてみた。

もし私が原子力安全委員なり報道関係者であれば、関東近県何十ヶ所で放射能のモニタリングを
した測定結果を時系列的に発表するだろう。例えば新宿では、大宮では、茅ヶ崎では毎日の値が
どう変化しているのかを、判りやすく折れ線グラフなどを加えて発表する。そうすれば今自分の住む
地域の状況がある程度把握できるし、福島や茨城などの農産物の生産地の環境もある程度判る。
目に見えないから怖いのであって、測ることで目に見える数値にすれば判断材料になるように思う。
そして報道機関は、その数値の意味するものを解説すれば良いと思う。それを聞いてそれぞれが
どう理解するか、どう解釈するかである 。人は物事が理解できれば行動も変わってくるものである。

放射能とは何か?放射線とは何か?放射線はなぜ人体に悪いと言われるのか?被ばくした場合
どんな現象が起こり、人体にどんなダメージがあるのか?そんなことこそマスコミは視聴者に教えて
行くべきなのではないだろうか。放射能に対する正しい認識を持ち客観的な数値を判りやすく示す。
そんなことで、今我々が抱えるている漠とした不安も、少しは改善していくように思うのである。

私は放射能に関する知識が無いままに、今の報道を見たり聞いている自分自身に不満があった。
そこで放射線について書いてある本を買って読んでみた。以下その本を引用して書いて見る。

太陽は核融合で輝いている。だから当然放射線を発しているのである。そしてそんな星々の集まり
である宇宙は放射線に満ち満ちている。地球が生まれて46億年の間、常に放射線とともにあった。
しかし幸いにも地球には大気がある。その大気が放射線が地表に届くまでに、大半を遮ってくれて
いるのである。そのため標高が高いほど放射線の数値は高くなる。地上から1500m上昇すると
地表の2倍になるので、富士山に登ると平地の4倍以上を浴びることになる。今回の報道でよく引用
される「東京・ニューヨーク間往復で0.2ミリシーベルト」という被ばく数値も、飛行機が高い高度を
飛ぶからである。

地球は宇宙の塵からできているから、当然地球自身も放射性物質を少なからず内在させている。
そして地球上に生きている生物はみな放射線の影響を受けているし、又動物や魚や植物の全てに
放射性物質は含まれている。したがって放射能汚染の問題というのは、通常と比較して、どのくらい
の量が増えたかということが問題になるわけである。

では人は日常どの程度の放射線を浴びているのか?
世界の平均で言えば、呼吸することにより年間1.2ミリシーベルト、大地から0.5ミリシーベルト、
宇宙線から0.4ミリシーベルト、食物などから0.3ミリシーベルト、合計で 2.4ミリシーベルト
という数値である。(日本の平均は1.5ミリシーベルト)

ではシーベルトとはどんな値なのか?放射線に関係する単位は、ベクレル、グレイ、シーべルトと、
いろいろあって、比較するのがすごく難しいらしい。1ベクレルというのは1秒間に1個の原子が他の
原子に変身する(放射性崩壊がおこる)ときの放射能の値である。これは放射性物質ごとにきまった
数の放射線を放出する。その放射線がものに当った時のエネルギーがグレイである。1グレーは
物質1kg当りに吸収された放射線のエネルギーが1ジュール(仕事量や熱量の単位)であることを
表わす。そしてその放射線が当たることで人に対するダメージを換算して表したのがシーベルトと
いうことになる。

※ 放射能とは放射線を出す能力を言い、その能力を有する物を放射性物質と言う。

シーベルトという言い方では覚えずらいので、0.001ミリシーベルトを1円に換算すると、
世界の自然放射の平均は2400円/年間
日本の平均は1500円
ブラジルのある地域(ガラバリ)では10000円~30000円
東京・ニューヨーク往復は200円、(パイロットは30往復するとしてプラス6000円)
X線の集団検診1回で50円
ラジューム温泉(1週間)で27円

今のところの研究では一年間に300ミリシーベルトの放射線を被ばくすると、がんの発生率が高く
なると言われている。このことは我々は大雑把に30万円/年間 までが許容範囲ということになる。

先日ほうれん草の放射能汚染が問題になっていた。その時の記事でホウレンソウの日本人の平均
摂取量は年間6.8キログラム。ヨウ素131の実効線量係数(経口摂取)は0.000022ミリシーベルト。
よって、このホウレンソウを1年間食べ続けると、約8.1ミリシーベルトの被曝量となる。とあった。
これは年間で8100円ということである。

また福島原発から30~40km離れた所で搾乳された牛乳から1200ベクレルのヨウ素131が
検出され問題になり、出荷止メとなった。この値をシーベルトに概算し直すと0.033ミリシーベルト
ということになる。ということは1リットルの牛乳1本まるまる飲んで33円である。またこの牛乳を
1日500ml飲み続けたとして1年間で6000円である。

さてこの数字からそれぞれの人はどう判断するかである。手持ち2400円からMAX30万円まで
の許容範囲があると仮定して、その中で自分のことを考えてみればいいのだろう。それは低いに
越したことはないのであろうが、しかし数値が一時的に少し高いからといって、毒を浴び口に運ぶ
ような感覚を持つのはおかしいように思うのである。

例えて言えば塩を1回に200g摂取すれば人は死ぬ。1日10g以上を食べ続けると、高血圧か
心臓病のリスクが高まる。1日7g以下なら一生食べ続けても何の問題も起こらない。塩10g以上
というのが放射線の被ばく300ミリシーベルト(30万円)に相当して、塩200gの致死量が広島・
長崎での被爆体験に相当するのではないだろうか。

福島原発の傍で一時的に大量の被ばくをすればリスクはあるだろうが、200km離れた東京で、
また間接的な食べ物からの一時的な被ばくでは、ほとんどリスクはないように思うのである。
生命が誕生してから38億年、その間放射線に晒され続けている。生命とはそんなにも虚弱なもの
ではないように思うのである。

本に、「人は自分の身を守るために、ネガティブな情報を信じやすい。そして怖がり、平常心を失う。
物事を正確に理解し冷静に判断し、その上で正当に怖がることはなかなか難しいことである」とも
書いてあった。