60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

福島原発で思うこと

2011年04月01日 09時17分20秒 | Weblog
先週はあっという間に世の中から水がなくなった。その前の週はトイレットペーパー、コメ、牛乳等々
震災や原発の状況を見聞きして、まずは「自己防衛」、これは当たり前の人間心理なのであろう。
今韓国や台湾は日本からの食品輸入はストップし、台湾では日本の工業製品まで放射線検査を
実施していると報道されていた。明らかに過剰反応であり為政者のパホーマンスのようにも思える。
中国人が大挙して日本を脱出していると言うニュースもあった。被災地に住んでいた人達は当然の
避難であろうが、関東や関西にいた中国人も我れ先にと帰国しているようである。それは中国での
報道が津波にのみ込まれてる人を写し、累々と並ぶ死体を写すなど、リアルでセンセーショナルな
震災報道が危機感を煽り、本土の家族からの強力な帰国要請がなされたからだと言われている。
人は自分の身を守るために、どちらかと言えばネガティブな情報に気を引かれる傾向がといわれる。
報道の仕方、報道の受け止め方で、人の反応と行動は、まさに千差万別である。

地震から3週間近く経過すると、TVも震災報道一辺倒から徐々に通常の番組に切り替わって行く。
しかし関東に住む人の意識は、どうしても計画停電の影響と、福島第1原発の状況に向いてしまう。
これもまた「自分にとって災いがあるか否か」に関心が向くからである。福島原発は終息するのか?
放射能汚染は何処まで広がって行くのか?、そしてそれが自分の身にどう降りかかってくるのか?

今、福島原発のテレビニュースを聞いていてもあまり良く理解できない。燃料棒、原子炉圧力容器
格納容器、原子炉建屋、タービン建屋、復水器、貯蔵タンク、シーベルト等々、聞き慣れない用語で
語られる内容、そして遅々として進まない作業状況、しかも1台だけでなく、4基が同時並行である。
次から次へと出てくる難問、今回は高濃度の放射能で汚染されている水の除去と海洋汚染の問題
何時終わるとも判らない状況が続いていると、現場の人達の大変さも判るが、見ているこちらの方も
憂鬱な気分になって、心が晴れないのである。

そもそもこの問題がなぜ理解しずらいのかと考えてみる。それは放射能という目に見えないものを
相手にしなければいけないからである。一昨年の新型インフルエンザのように、目に見えないものと
闘わなければいけないことは恐怖なのである。実際に現場でも放射能汚染を避けて建屋内に入る
ことは困難な為に、全て遠巻きでの処理である。次々に起こってくる現象から内部の状況を推測し、
その推測に基づいて対応するから、常に後手に廻らざるを得ない。

そんな混乱した現場の状況を伝聞で聞いた原子力保安員が記者会見を行う。それをあまり知識の
ない記者やメディアの人が聞いて持ちかえる。今度は原子力専門家と称する人たちの解説を交え、
今、現場で起こっていること、今からやるべき対処方法など、全て憶測で解説していくわけである。
不確かな物の上に、憶測が積み上がって行く。こんな事をどう丁寧に報道されても視聴者に納得が
いくとは思えない。原子炉内部で起きていること、その作業内容、そして東電や政府の右往左往を
毎日聞かされても我々にはどうしようもないし、それを聞いても何をどう判断しようもないのである。
今の報道のあり方では視聴者の危機感をあおるだけで、あまり意味がないように思うのである。

先ほども書いたが、視聴者の最大の関心は「自分に塁が及ぶかどうか」である。住む地域により、
家族構成により、それぞれの事情は異なってくる。子供を抱えている人、不自由な年寄りがいる人、
福島に住む人、東京に住む人、それぞれにとって、どんな情報が必要なのだろうと考えてみた。

もし私が原子力安全委員なり報道関係者であれば、関東近県何十ヶ所で放射能のモニタリングを
した測定結果を時系列的に発表するだろう。例えば新宿では、大宮では、茅ヶ崎では毎日の値が
どう変化しているのかを、判りやすく折れ線グラフなどを加えて発表する。そうすれば今自分の住む
地域の状況がある程度把握できるし、福島や茨城などの農産物の生産地の環境もある程度判る。
目に見えないから怖いのであって、測ることで目に見える数値にすれば判断材料になるように思う。
そして報道機関は、その数値の意味するものを解説すれば良いと思う。それを聞いてそれぞれが
どう理解するか、どう解釈するかである 。人は物事が理解できれば行動も変わってくるものである。

放射能とは何か?放射線とは何か?放射線はなぜ人体に悪いと言われるのか?被ばくした場合
どんな現象が起こり、人体にどんなダメージがあるのか?そんなことこそマスコミは視聴者に教えて
行くべきなのではないだろうか。放射能に対する正しい認識を持ち客観的な数値を判りやすく示す。
そんなことで、今我々が抱えるている漠とした不安も、少しは改善していくように思うのである。

私は放射能に関する知識が無いままに、今の報道を見たり聞いている自分自身に不満があった。
そこで放射線について書いてある本を買って読んでみた。以下その本を引用して書いて見る。

太陽は核融合で輝いている。だから当然放射線を発しているのである。そしてそんな星々の集まり
である宇宙は放射線に満ち満ちている。地球が生まれて46億年の間、常に放射線とともにあった。
しかし幸いにも地球には大気がある。その大気が放射線が地表に届くまでに、大半を遮ってくれて
いるのである。そのため標高が高いほど放射線の数値は高くなる。地上から1500m上昇すると
地表の2倍になるので、富士山に登ると平地の4倍以上を浴びることになる。今回の報道でよく引用
される「東京・ニューヨーク間往復で0.2ミリシーベルト」という被ばく数値も、飛行機が高い高度を
飛ぶからである。

地球は宇宙の塵からできているから、当然地球自身も放射性物質を少なからず内在させている。
そして地球上に生きている生物はみな放射線の影響を受けているし、又動物や魚や植物の全てに
放射性物質は含まれている。したがって放射能汚染の問題というのは、通常と比較して、どのくらい
の量が増えたかということが問題になるわけである。

では人は日常どの程度の放射線を浴びているのか?
世界の平均で言えば、呼吸することにより年間1.2ミリシーベルト、大地から0.5ミリシーベルト、
宇宙線から0.4ミリシーベルト、食物などから0.3ミリシーベルト、合計で 2.4ミリシーベルト
という数値である。(日本の平均は1.5ミリシーベルト)

ではシーベルトとはどんな値なのか?放射線に関係する単位は、ベクレル、グレイ、シーべルトと、
いろいろあって、比較するのがすごく難しいらしい。1ベクレルというのは1秒間に1個の原子が他の
原子に変身する(放射性崩壊がおこる)ときの放射能の値である。これは放射性物質ごとにきまった
数の放射線を放出する。その放射線がものに当った時のエネルギーがグレイである。1グレーは
物質1kg当りに吸収された放射線のエネルギーが1ジュール(仕事量や熱量の単位)であることを
表わす。そしてその放射線が当たることで人に対するダメージを換算して表したのがシーベルトと
いうことになる。

※ 放射能とは放射線を出す能力を言い、その能力を有する物を放射性物質と言う。

シーベルトという言い方では覚えずらいので、0.001ミリシーベルトを1円に換算すると、
世界の自然放射の平均は2400円/年間
日本の平均は1500円
ブラジルのある地域(ガラバリ)では10000円~30000円
東京・ニューヨーク往復は200円、(パイロットは30往復するとしてプラス6000円)
X線の集団検診1回で50円
ラジューム温泉(1週間)で27円

今のところの研究では一年間に300ミリシーベルトの放射線を被ばくすると、がんの発生率が高く
なると言われている。このことは我々は大雑把に30万円/年間 までが許容範囲ということになる。

先日ほうれん草の放射能汚染が問題になっていた。その時の記事でホウレンソウの日本人の平均
摂取量は年間6.8キログラム。ヨウ素131の実効線量係数(経口摂取)は0.000022ミリシーベルト。
よって、このホウレンソウを1年間食べ続けると、約8.1ミリシーベルトの被曝量となる。とあった。
これは年間で8100円ということである。

また福島原発から30~40km離れた所で搾乳された牛乳から1200ベクレルのヨウ素131が
検出され問題になり、出荷止メとなった。この値をシーベルトに概算し直すと0.033ミリシーベルト
ということになる。ということは1リットルの牛乳1本まるまる飲んで33円である。またこの牛乳を
1日500ml飲み続けたとして1年間で6000円である。

さてこの数字からそれぞれの人はどう判断するかである。手持ち2400円からMAX30万円まで
の許容範囲があると仮定して、その中で自分のことを考えてみればいいのだろう。それは低いに
越したことはないのであろうが、しかし数値が一時的に少し高いからといって、毒を浴び口に運ぶ
ような感覚を持つのはおかしいように思うのである。

例えて言えば塩を1回に200g摂取すれば人は死ぬ。1日10g以上を食べ続けると、高血圧か
心臓病のリスクが高まる。1日7g以下なら一生食べ続けても何の問題も起こらない。塩10g以上
というのが放射線の被ばく300ミリシーベルト(30万円)に相当して、塩200gの致死量が広島・
長崎での被爆体験に相当するのではないだろうか。

福島原発の傍で一時的に大量の被ばくをすればリスクはあるだろうが、200km離れた東京で、
また間接的な食べ物からの一時的な被ばくでは、ほとんどリスクはないように思うのである。
生命が誕生してから38億年、その間放射線に晒され続けている。生命とはそんなにも虚弱なもの
ではないように思うのである。

本に、「人は自分の身を守るために、ネガティブな情報を信じやすい。そして怖がり、平常心を失う。
物事を正確に理解し冷静に判断し、その上で正当に怖がることはなかなか難しいことである」とも
書いてあった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿