いわんやわが弥陀は名をもって物を摂したもう。
ここをもって耳に聞き口にじゅするに無辺の聖徳識心に覧入す。
永く仏種となりて頓に重罪を除き、無上菩提を獲証す。
まことに知んぬ。少善根にあらず、これ多功徳なり。
元照律師
親鸞聖人が、『教行信証』にも引用なされている 中国の 元照律師という 律宗の高僧の言葉です(コピペはほとんどしないので誤字があれば すみません)。ここにおいて、元照律師は、阿弥陀佛の済度のありさまを 「南無阿弥陀仏」と 名告られた 言葉となって 言葉といっても 中身のない ラベルのようなものでない 名と体が一つであるような 根源的な 言葉となって 私の中に 覧入してくださる。つまり、私のとろへ 言葉となって 顕れ 私の中に しみ入ってくださるのだと 仰った。それを 親鸞聖人も 南無阿弥陀仏は 「本願招喚の勅名である」と 仰った。南無阿弥陀仏が 単なる 記号のような言葉でなく 佛である言葉 名前 名告りとしての 南無阿弥陀仏 お念仏なんですよと 教えてくださったことは 本当に ありがたていことです。