聞思(もんし)の部屋

浄土教の祖師方親鸞聖人多くの先生からお育ていただいた尊いお言葉から私の味わいなどを中心に書き残していきたいと思います。

横川法語(二)

2015-11-27 23:39:09 | 日々の味わい
信心あさけれども、本願ふかきがゆほに、たのめばかならず往生す。

念仏ものうけれども、となふれば さだめて 来迎にあづかる。

功徳莫大なり。このゆへに本願にあふ事をよろこぶへし。

                   源信

名体不二のお助け

2015-11-27 23:25:55 | 日々の味わい
いわんやわが弥陀は名をもって物を摂したもう。

ここをもって耳に聞き口にじゅするに無辺の聖徳識心に覧入す。

永く仏種となりて頓に重罪を除き、無上菩提を獲証す。

まことに知んぬ。少善根にあらず、これ多功徳なり。

元照律師

親鸞聖人が、『教行信証』にも引用なされている 中国の 元照律師という 律宗の高僧の言葉です(コピペはほとんどしないので誤字があれば すみません)。ここにおいて、元照律師は、阿弥陀佛の済度のありさまを 「南無阿弥陀仏」と 名告られた 言葉となって 言葉といっても 中身のない ラベルのようなものでない 名と体が一つであるような 根源的な 言葉となって 私の中に 覧入してくださる。つまり、私のとろへ 言葉となって 顕れ 私の中に しみ入ってくださるのだと 仰った。それを 親鸞聖人も 南無阿弥陀仏は 「本願招喚の勅名である」と 仰った。南無阿弥陀仏が 単なる 記号のような言葉でなく 佛である言葉 名前 名告りとしての 南無阿弥陀仏 お念仏なんですよと 教えてくださったことは 本当に ありがたていことです。

横川法語(一)

2015-11-27 01:18:40 | 日々の味わい
それ一切衆生、三悪道をのがれて、人間に生まるること、大きなるよろこびなり。

身はいやしくとも畜生におとらんや、家はまずしくとも餓鬼にはまさるべし。

心におもふ事かなはずとも、地獄の苦しみにくらぶべからず。世のすみうきは いとふたよりなり。

人かならず身のいやしきは、菩提をねがふしるべなり。

このゆへに人間に生まるる事をよろこぶべし。

                    『横川法語』源信

今、私が、この場で・・

2015-11-27 01:17:19 | 日々の味わい
仏法には世間の隙〈ひま〉をかきて聞くべし、世間の隙〈ひま〉をあけて法をきくべき様に思ふこと浅間しきことなり。
「蓮如上人聞書」

※仏の教法は、ひまのない中にあってこそ聴かねばなりません。隙ができたら法を聴きましょうというのは、本当に聴く志しのない言葉であって浅ましい言い分だと きびしくいましめられています。

三千大千世界を貫く御心

2015-11-26 01:19:13 | 日々の味わい
寿命は甚だ得難く、

佛世もまた値い難し。

人信(心の智)慧あること難し。

若し(法を)聞かば精進して求めよ。

佛法を聞きて

よく忘れず、見て敬い

得て大きに慶ばば、

すなはち我が

善き親友なり。この故

にまさに意を発すべし。

たとい世界に

満てらん火をもかならず過ぎて、

要めて法を聞かば、

かならずまさに佛道を成じて、広く

生死(流転)の流れを済うべし。

  『仏説無量寿経』往覲偈