聞思(もんし)の部屋

浄土教の祖師方親鸞聖人多くの先生からお育ていただいた尊いお言葉から私の味わいなどを中心に書き残していきたいと思います。

横川法語(一)

2015-11-27 01:18:40 | 日々の味わい
それ一切衆生、三悪道をのがれて、人間に生まるること、大きなるよろこびなり。

身はいやしくとも畜生におとらんや、家はまずしくとも餓鬼にはまさるべし。

心におもふ事かなはずとも、地獄の苦しみにくらぶべからず。世のすみうきは いとふたよりなり。

人かならず身のいやしきは、菩提をねがふしるべなり。

このゆへに人間に生まるる事をよろこぶべし。

                    『横川法語』源信

2 コメント

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Unknown (美利権)
2015-11-30 13:16:21
なかなか、含蓄の深い言葉ですね
コメントありがとうございます ()
2015-12-03 22:52:07
コメントをいただけるとは 思ってもみませんでしたので、今日気がつきました。源信僧都は、「横川法語」で、「人間に生まれたこと」をお喜びになりました。本当に、そのとおりで、私が人間と生まれたことは 有り難いことなんだと思います。ただ、この 人間として生まれたことが 喜ばれるのは、「佛法に遇わせていたたいた」ところから「人間に生まれてよかった」ということなんじゃないかなと思います。ただ、「生まれた」から喜ばしい というよりも、今 宿縁によって、摂取不捨の如来さまに助けられるのだと そう聞かせていただくところで、「人間に生まれて良かった」と・・そんなふうに 思わせていただきました。それならば、人間でなく、畜生や地獄や餓鬼に生まれていたら・・それは 不運なことかといえば、それは、そうなっていれば、私は 佛法を聞けていなかったかもしれない という意味であって、地獄、餓鬼、畜生は 如来さまの本願の働きから 外れるかといえば そうではないんだと思ったりします。如来さまは「諸有の衆生よ」と、つまり、二十九有という全ての 衆生よと 働きかけてくださっているので、如来さまの働きの及ばない処はないんじゃないかと思います。そこがまた、尊く、有り難いことだと 思わせていただきました。

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