ダマスカス留学生有志による情報ブログ

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預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の真実

2014年01月17日 | ★イスラームって?(初級~)

7世紀のアラビア半島でムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が神の啓示を受けてから、文盲のたったひとりの男から始まったイスラームという教えが、1400年以上経った今、世界人口の4分の1を占めるムスリム(イスラーム教徒)たちに受け継がれているという事実を知れば、その教えをまだ知らない人にとっても、この人物が一体どんな人であったのか、何を考え、どんな行動をとっていたのか、という興味を抱くのは自然なことでしょう。


1400年以上前の人へのこの興味を満たすために、私たちがすべきことは、実は難解な古文書を紐解くことではありません。

14世紀も昔の人物のことを知るために、彼ほど詳細な記録があり、簡単にその人物像を知ることができる歴史上の人物はいないでしょう。しかもそれが信憑性の定かではない伝説や昔話などでなく、厳密に、正確に、その人物のことが記された記録書が数多く残るという点において、歴史上おそらく彼の右に出る人はいません。

それは、奇跡の啓典クルアーンのみならず、正確な伝承者たちによって受け継がれた伝承の鎖で守られている彼の詳細な言動録『ハディース』が、14世紀という時を超えて現代にも伝わっているためです。

 

ハディースというのは、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が語った言葉、行った行為、彼が認めたこと、彼の外見について、伝承者たちから伝承者たちへと伝えられた伝承者の鎖によって伝わる記録のことです。ペンもなく記録すること自体が容易ではなかった7世紀という時代背景にも関わらず、ハディースとして伝えられた記録は驚くほど詳細です。

その細かさのレベルは、7世紀に生きた彼が何を食べ、何を飲んだか、あるいは、町の中のどこで立ち止まり、どこに座ったか、という細部にまで至り、更には、彼の爪の切り方までもが正確に伝わっていると聞けば、現代の俳優やアイドルたちも顔負けで、その詳細さは驚嘆の一言に尽きます。ではなぜ、ここまで詳細に、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に関する情報が伝わったのでしょうか。

 

ハディースがここまで詳細に正確に伝わった理由には、ひとえに、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)と同時代に生き、彼を慕い、家族にも勝る親愛の情と絶対的な信頼を寄せた、彼の教友たちであるサハーバたち(アッラーのご満悦あれ)の存在が大きな役割を担っています。

預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に対する敬愛の情から、彼に関することはひとつも聞き漏らさず見逃すまいとする、その熱意と親愛の情によって、一人の人物に関する奇跡的ともいえる詳細な記録が現代にまで伝わりました。



サハーバたち(アッラーのご満悦あれ)の預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に対する敬愛は決して、ただの感情や気持ちだけではなく、全精力を尽くして彼に従い、彼を目指し、彼をお手本とし、人生における全ての模範とするという熱烈な敬愛でした。言わば、このハディースの詳細さと正確さとその膨大な量は、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)と同時代に生きた人々にとって、彼がいかに輝かしく魅力的な人物であったかを証明する証でもあるのです。



 

アメリカ人の歴史研究者であり作家のマイケル・ハートは、ベストセラーとなった彼の著作『歴史を創った100人』の中で、人類史上最も歴史に影響を与えた人物のトップに、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)を選び、その理由をこう述べています。(2位にはニュートン、3位にイエスが選ばれています。)


「ムハンマドを世界史に最も影響を与えた人物のトップに選んだことは、読者の驚きと疑問を引き起こすかもしれないが、彼はまさに歴史上、宗教と世俗の両レベルで、この上ない成功を収めた唯一の人物なのである。この世俗と宗教両面での影響力の類を見ない結合こそ、ムハンマドが人類史において最も影響力のあった人物に値すると私が感じる理由である。」

 


預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)を語るときに、彼が預言者であり、国家君主であり、軍事指揮者であり、また教師であった、という公的な人物像と、それとは逆の個人的な面、彼が一体どんな性格だったのか、家族にはどう接していたのか、という私的な人物像の二つの面があります。

ここでは、後者の私的人物像に焦点を当てて、彼の最も身近にいた二人の人物の証言と、彼の人徳についてのハディースを見ていきます。ハディースの最後には、そのハディースを収録した伝承者の名前を〔 〕で記しました。

 


証言1:使用人

彼の家で長年使用人として働いていたアナス・ブン・マーリク(アッラーのご満悦あれ)は、次のように伝えています。

「私はアッラーの使徒に10年間仕えました。

実に、アッラーに誓って、彼は私に一度でも『ちぇっ』などと不快な言葉を

決して言ったことがありませんでした。

また彼はことにあたって、私に『なぜこのようなことをしたのか?』とも

『なぜこのようにしなかったのか?』とも一度も言ったことはありませんでした。」〔ムスリム伝承〕

 

省みて考えるに、お手伝いさんという存在でなくとも、親や配偶者、家族に対してさえ、「なぜこうしたのか?」、「なぜこれをしなかったのか?」という非難めいた言葉を口にしてしまうことは日常茶飯事ではないでしょうか。

10年間と言わずとも、一ヶ月間、いや、一週間たりとて全くこれを言わない日があるか、と考えると、自ずと預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の人徳の高さを垣間見ることができます。


国家元首としての預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が多忙な公務を終えて帰宅しても、使用人のアナス(アッラーのご満悦あれ)に対してさえ、全くこの一言を10年間言ったことがなかった、それどころか、ちょっとした不満を表すときのアラビア語、「ウッフ」という、日本語に訳すと「ちぇっ」や「もうっ!」というような一言でさえも、決して使用人に対して発したことがなかった、というのは、彼の人柄を知る上で、非常に重要な逸話です。


 

証言2:奥様

預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の死後、奥様のアーイシャ(アッラーのご満悦あれ)は、ある教友に「預言者さまは、家ではどのようでしたか?」と尋ねられ、こう語っています。

 

「彼は、私達のうちの一人のようでした。

服につぎをあてたり、靴を修繕したり、家をホウキで掃除したり、家族のために仕事をされていました。

ただ礼拝の時間になると、礼拝に(イマーム(礼拝の先導者)として)立ち、

まるで私達のことを知らないかのようである以外は。」〔アハマド伝承〕

 

預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は一国の主にふさわしくその容貌も大変威厳のある方でしたが、家庭では奥様を助け、自ら掃除をしたり、裁縫をしたり、パンをこねたりして家事を手伝っていました。

これは、女性解放が叫ばれた19世紀以降の話ではなく、そこから1000年以上も前の、彼が生きた7世紀の時代の話です。


男女平等を掲げる21世紀の現代、社会的に成功している男性たちの中の、果たして何パーセントの男性が、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のように、家でも奥様を手伝って家事をしているでしょうか。

しかも、奥様のアーイシャ(アッラーのご満悦あれ)はキャリアウーマンで仕事をしていたわけでも、ご夫婦は共働きであったわけでもなく、彼女は完全な専業主婦でした。この21世紀の現代でさえ、外では会社の経営者として、もしくは、一国の総理や大臣として、または大学の教授や研究者として、人々の尊敬を集めている男性たちが、家では、座ったら最後、一歩もそこから動かない、と奥様に言われている、というようなことはないでしょうか。

 

女児が生まれたら生き埋めにしてしまうような慣習が残っていた7世紀、イスラームが女性の遺産相続を初めて認めたという偉業のみならず、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が女性の権利をいかに擁護し、女性を大切に扱っていたか、彼の他のハディースを証拠としてあげるまでもなく、この奥様の証言は、イスラーム=男尊女卑という図式が妄想であることの明らかな証拠となりうるでしょう。


イスラームの啓典クルアーンは、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の性格について、こう述べています。

【 本当にあなたは、崇高な徳性を備えています。 】(筆章:4)

 


奨励される人徳についてのハディース

 

クルアーンのこの一節に象徴されるように、彼の崇高な人徳について伝わる多くのハディースがあります。その寛大さ、忍耐、優しさ、子供や家族に対する思いやり、謙遜さ、またその他の卓越した美徳について、多くのサハーバたち(アッラーのご満悦あれ)が数多くの伝承を伝えています。その一部をここでご紹介しましょう。

 マスルーク(アッラーのご満悦あれ)は、アブドッラー・ブン・アムル(アッラーのご満悦あれ)がアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)についてこう言ったと伝えています。


「彼は決して(言葉で)節度を失うことがなく、

また決して他人をののしることはありませんでした。」

 

そして彼(アブドゥッラー)は、アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が次のように語ったとして伝えました。


「 あなた達の中で最も立派な人、それは道徳的に最も素晴しい人です。 」〔ムスリム伝承〕

 

また、アーイシャ(アッラーのご満悦あれ)は、アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)がこう言われたと伝えています。


「 あなたがたのうちで最も良い人は、家族に最も良くする人です。 」 〔ティルミズィー伝承〕

 

預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はただ、イスラームで奨励されるこういった人徳を語っていただけではありません。

口先だけの指導者に従う者がいないのは、古今東西共通の認識であるように、イスラーム帝国を築き上げた指導者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)も同様、イスラームで奨励される人徳を、その生涯を通してすべて体現していました。

それはクルアーンでこう言われている通りです。

 

【本当にアッラーの使徒は、あなた方にとって立派な模範でした。】(部族連合章:21)

 


その人徳を間近に見て敬愛するがゆえに、その一挙手一投足をも模範としたサハーバたち(アッラーのご満悦あれ)は、彼への敬愛の深さによって、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の徳性が彼らの中に受け継がれ、またサハーバたち(アッラーのご満悦あれ)を見て、彼らを模範として学んだ後世の人たちの中にも、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の徳性は時代を超えて脈々と受け継がれていきました。

 

アブー・フライラ(アッラーのご満悦あれ)は、アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が次のように語ったとして伝えています。


「 本当の強さは戦う人の力にあるのではなく、

怒った時に自分自身を制御できる人にあります。 」〔ムスリム伝承〕

 


預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が、自分にどんなにひどいことを言われようと、実際、石を投げつけられようと、汚物を毎日門前に置かれようと、決して自分のために怒ることはなかったことを思い出す時、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の徳性を受け継いだ彼らは、自分にひどいことを言う人に、どうやって怒ることができるでしょうか。

 


 預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のひ孫であるアリー・イブヌ・ル・フサイン(彼らにアッラーのご満悦あれ)がどのようにその徳性を受け継いでいたか、という逸話があります。


ある日彼がモスクから出て来ると、大勢の人々の前で、一人の男が彼に対し大声でわめき、怒鳴りつけ、ひどい言葉で彼を罵倒し始めました。周りの人が男を止めようとするのを、彼は制し、自分に対する罵倒をすべて静かに聞き終わった後で、こう言いました。


「貴方が今おっしゃった欠点は、すべて私の中にあります。

そして私には、貴方がおっしゃらなかった、もっとひどい欠点があります。

私に、貴方に差し上げることができるものは何かありませんか、あなたの忠告のお礼に。」


男は泣き出し言いました。

「お許しください。本当に私は、あなたが預言者さまの子孫だということを証言します。ある人たちに、あなたを怒らせることができたら、1000ディナール(金貨)与えようと言われたのです。」

それを聞くと彼は「そう言ってくだされば、あんなことをしなくともよかったのに。」と男に1000ディナールを与えました。

 


 一部の人は、けなされてそれに返答しないことは、相手をつけ上がらせ、自分の弱さを証明するようなものだ、と考え、自分の尊厳は自分で守らなければならない、馬鹿にされたら黙っているわけにはいかない、と考えます。しかし、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はこう言いました。

 

 

≪ 誰でも、人に対する許しが増すほど、アッラーがその人の尊厳を増します。 ≫ 〔ムスリム伝承〕

 

またアリー様(アッラーのご満悦あれ)のひ孫にあたるジャアファル・ブヌ・ムハンマド様(ジャアファルッサーディク様)(アッラーのご満悦あれ)は、おっしゃいました。

 

「あなたの兄弟について何か嫌悪することを聞いた時は、彼のために、1から70の弁解を探しなさい。

 

そうすれば、それが当たるか、もし当たっていなくても、こう言いなさい。

 

『きっと彼には私の知らない理由があるのだ。』」バイハキー伝承

 

 

預言者様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は、フスヌッザンヌ(人の良い面だけを見ること)についても教えてくださいました。

 

人が、相手の良い所だけを見て、どんな人であってもその人について良い事だけを考えることで、実際に、相手の中にある、良い所を呼び覚ます事ができる、と。

 

これは、ムスリム(イスラーム教徒)が人と付き合うときの基本的な品行です。

 

もし実際に私たちが人を許し、人の良い所だけを見て接する事ができたら、それによって、人との間に愛情や親近感を増し、周りの人たちを浄化する作用があります。

 

この預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の人徳は、次のクルアーンの一節を体現しているものでした。

 

 

 善と悪とは同じではありません。(人が悪をしかけても)一層善行で悪を

追い払いなさい。そうすれば、互いの間に敵意ある者でも、

親しい友のようになります。 】(フッスィラ章:34)

 


7世紀に文盲の一人の男が、こういった人徳を身につけ体現していたということは、誰しも人がイスラームを知りたいと思う十分な動機になりうるでしょう。

そして、彼からその徳性を受け継いだ人たちが、時代を超えて現代にも存在すること、これこそが啓典クルアーンに続く、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の知られざる奇跡なのです。

 


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