【ネット小説】FREISEIN(フライザイン)~死に対して無碍

なぜ生きねばならないか分からない少女と、なぜ死なねばならぬか分からぬ少女が出会い、ニーチェのツァラトゥストラの謎を追う

(4)【ウェルテル】

2009-01-31 | 小説

さくらちゃんと最初に本の話をしたのは出会った日に借りた
若きウェルテルの悩み」についてでした。

「ウェルテル」には次のような一節があります。

。。。。。。。。。。。。。。。。。


「人生はただ一場(いちじょう)の夢のごとし、
 よく人のいうことだが、
 ぼくもやはり、いつでもそんな気持ちがしているのだ。

 何も目的らしい目的を持たない欲望の満足だけを
 結局は、ねらっているのを考えたり、

 はかないあきらめにすぎないことを思ってみたりすると、
 ねえ、ウィルヘルム そうするとぼくはもう何にも
 言えなくなってしまう。

 ぼくはぼく自身の内部に引きさがって、
 そこに一つの世界をみつけ出すのだ。
 
 むろん形のはっきりした力強い世界じゃない。
 予感とおぼろげな欲求のうごめいている世界だ。
 そうしてそこではいっさいが流れ動いている。
 ぼくは夢うつつにそういう世界に
 心たのしく身を投げかけて行くのだ」
。。。。。。。。。。。。。。。。。


「人生、夢のごとし、か。
 たしかにそうかもしれないね、さくらちゃん」。

「そうね、振り返ってみると、すべてが夢幻のように
 思えてくるものね。
 そしてね、目に見えるものって、逆に全部仮の造りものに見えてしまう
 時があるの。」

「うん、わかるわかる、その感覚」

「そんなときはね、ウェルテルじゃないけど、自身の内部に引きさがって、
 心の世界に行きたくなるの。」

「うん、そうそう、
 心の中にだって世界があるよね!ぜったい!」

「ゲーテが言うように形がはっきりした世界ではないけれど、
 こころの世界の方が本当の世界のような気がするの。
 心の世界がいい世界とはいえないけど、それはまた別の問題
 だし。」

「結局、こころの世界が大元で、それが目に見える形として
 表現されているんだよね」

「哲学者のプラトンはね、こう言っているのよ。

 『文字として書かれたものは、魂(たましい)に書かれたものの影』

 だって」

プラトン!さっすが、さくらちゃん、はくがく!」

さくらちゃんは優しく眼を細めました。


※ランキングに登録しています。愛のワンクリックはココです



(3)【ともだち】

2009-01-30 | 小説
いつもの時間に起きて、いつものように朝食を食べ、
いつもと同じ時間に出発するバスに乗り高校へ向かう。
座る席までほぼ決まっています。
当然ながらいつもと同じバス停で降り、
いつもと変わらない人たちと、
いつもと変わらぬ学校にいく。
学校では出来るだけ感覚をマヒさせ、
余計なことは考えないモードにしています。

ところが、その日は『いつもと同じ』ではありませんでした。
クラスに向かう途中の廊下で、あの黒髪の女性、
行方(なめかた)さんに会ったのです。

ちょっと離れていたので、向こうは気付かなかったけど、
遠目に見てもスグわかる、あの静かなオーラを
放っていたのでスグ分かりました。
クラスに入ると、転校生が急にうちのクラスに来ることに
なったという会話が聞こえてきました。
隣のクラスの方が1名少ないのに、どうしてうちのクラスなんだろうとか
ザワついていると、先生が入ってきました。
そう、行方(なめかた)さんと一緒に。
そして自己紹介をしたあと、私に気づいて、あの忘れられない芸術的な
眼で、またも微笑みを私にくれたのです。

私たちはスグに仲良しになりました。
クラスのみんなも、私に対して引け目を感じていたのか、
転校生と仲良くなるのが一番いい解決法と思ったようで、
有難いことに、二人の間柄をそっと見守る形をとってくれました。

それにしてもこんなに話をしたのは、どれだけぶりでしょう。
そういえば、久しく笑ったことなどなかった私。
だから私にとって行方(なめかた)さんの存在は特別でした。

お互い「さくらちゃん」「淳ちゃん」と呼び合いました。
一緒に本の話をしました。
学校でも帰り道でも帰ってからも。
放課後は交互に家に遊びにいきました。
ただお互い話をするのが楽しくって、時間はあっという間に過ぎて
行きました。
私の親は、自殺未遂後、はじめて家に来てくれた行方さんに感謝し、
母はうっすら涙を浮かべるほどでした。

ともに受験前だったのですが、私の両親も行方さんのご両親も
勉強のことより「友達」を大事にしてくれたのです。


※ランキングに登録しています。愛のワンクリックはココです






オンライン小説/ネット小説検索・ランキング-HONなび

(プチ説明)ゲーテ Goethe

2009-01-29 | プチ説明

 ゲーテ Goethe(ウィキペディアより)

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe, 1749年8月28日 - 1832年3月22日)

はドイツの詩人、劇作家、小説家、科学者、哲学者、政治家。

特に文学において優れた作品を多く残ている。

代表作『若きウェルテルの悩み』『ファウスト



※ランキングに登録しています。愛のワンクリックはココ



【行方さくら】

2009-01-28 | 小説
【行方さくら】

もともとの明るい性格は影を潜め、私は誰とも話さなくなりました。
本だけが友達で、いつも図書室や図書館から借りては本の世界に生きて
いました。
その日もいつもと同じパターンで一日を過ごし、近所の図書館へ行きました。
前から読みたかったゲーテの「若きウェルテルの悩み」を借りました。
私の特技は歩きながら本を読むことです。
左手に文庫本を持ち、片手でページをめくるのです。
さっそくウェルテルを片手にかざして読みながら家へと歩き出しました。
と、左前の方で私と同じ年くらいの女性がしゃがみこんでいました。
最近はずっと最低限のことしか声を発することはなかったのですが、
このときは、ちゅうちょなく声をかけました。
逆に以前の私だったら、ためらったかも知れません。
辛い経験し、苦しんでいる人に心がかかるようになったようです。

「あの、大丈夫ですか?」

かがみこんでいた女性は、ゆっくりと顔をあげました。
パッと飛びこんできたその人のイメージは、黒と白と紅。
漆黒の長い髪が美しく、肌は対処的に透き通るように白く、
口紅は塗ってなさそうなのに、うらやましいくら紅い唇をしていましたから。
そして切れ長の眼がとてもきれいというか、もう芸術的でした。

「大丈夫です。ちょっと貧血ぎみなだけですから」

かすれぎみの声は、何とも
いえない儚(はかな)い響きがありました。
それが一層この女性の魅力を引き立てるようでした。
まるで違う世界からやってきたような女性(ひと)でした。

その女性は、静かに眼を細め、やさしく微笑んでゆっくりしたおももち
で言いました。

「その制服、この近くの高校のですね」
「あ、はい、西高です」
「そうなんだ」
とただニッコリとしています。
何だかここだけ時間の流れが違うように感じます。

「あ、あのあなたも高校生ですか?」

その人は大人びていたので本当は大学生かとも思いましたが、若めに
いうのが女性への鉄則、なのでそう尋ねました。

その女性はなぜかちょっと躊躇して
「ええ、私も高校生よ」
と答えました。
どこの高校か尋ねようとすると、まるでそれを察知し、さえぎるかのように
その女性は今までにないテンポで聞いてきました。

「私、なめかたさくらっていうの、あなた、お名前は?」
「あ、真中です。真ん中って書いて真中、下の名前は淳子です。
 なめかたさんってどんな字を書くんですか?」
行方(ゆくえ)って書いて、なめかたって読むの」
「へー、そんな読み方があったんですね」
「私の田舎では、それなりにあるんだけどね」
そういって、またきれいな眼を細め、やさしいオーラを放ちながら、
なんともいえないやわらかい微笑みを私にくれました。
「ウェルテル?」
私が手にしてる本を見て、なにか嬉しげに言いました。
「あ、あ、そうです。本が好きで」
「私も好きだな、ウェルテル」
「え、そうなんですか、なんか嬉しいなーなんて」
この女性なら相当、本も読んでそうだなと思い、もっと話をしようと
すると
「また、あなたに会えるといいな。
 どこかで見かけたら、声かけてね」
と、早くも会話終了モード。
それを察知して私も「あ、はい、私も見かけたら声かけてくださいね」と
会話を終わらせました。

短い時間でしたがお互いに、シンパシーを感じたのが分かりました。
これが二人目の親友との出会いであり、私の人生を大きく変える出会い
でした。


※ランキングに登録しています。愛のワンクリックはココ



●第1章【真中淳子】

2009-01-27 | 小説
私には小学生以来の親友「ゆかり」がいました。
遊ぶ時も、勉強する時もいつも一緒。
ゆかりのいない生活は考えれれませんでした、考えたこともありません
でした。
そのゆかりが、お父さんの転勤のため、高校1年の夏、転校したのです。
別れとは何と残酷なものだろうと思いました。
しかし本当の苦しみはその後に待っていたのです。
世にいう「いじめ」でした。
理由は単純です。
わたしが付き合うことになった人を、いじめっこが片想いしていたから
です。
靴が隠されるようになりました。
イスに座る直前に、ガムや画鋲を置かれました。
はじめはひどいことを言われましたが、無視するのが一番きついのだと
わかったその子は、クラス中に圧力をかけ、みんな私を無視するように
なりました。
それはすぐ部活のバトミントン部にも広がり、だれも私と一緒に練習して
くれなくなりました。
私は体育館を飛び出し、練習の間中、校舎の周りを走り続けました。
泣いていることがばれないように。
やがて、付き合っていた人ともギクシャクしだし別れました。
正直その時はホッとしました。
もうイジメられなくて済むと思ったからです。
でもそれは甘い考えでした。
その子は、私の元彼に振られ、その怒りやみじめさのウップンを私に向け
たのです。
毎日が地獄でした。
ゆかりとのメールのやりとりも、だんだん回数が減ってきて、
どちらともなく送らなくなりました。
それでよかったと思います。
ゆかりは新しい学校でもうまくいっているようだし、いじめられている私を
ゆかりにだけは知られたくなかったから。
もともと生きている実感が薄かった私は生きる意味をまったく見いだせなく
なってしまいました。

ある日、衝動的に校舎の3階から飛び降りました。
どこまで本気だったか自分でも分かりません。
自殺するに十分な高さではなかったから。
バルコニーを乗り越え、飛び降りたときこれで自由になれると
思いました。
でも、それは一瞬でした。
例えようのない真っ暗な心と底知れぬ恐怖が全身を襲ったのです。
命に別条はありませんでしたが、足の骨を折り、右足だけが、少し短くなり
ました。
母親は動顛し、しばらく少しおかしな状態になりました。
そして、初めて父親の涙を見ました。
私はやってはならないことをしてしまったと気づきました。
でも、生きねばならない意味は分からないままでした。
この一件で、いじめがなかったかどうか調べられ、私も何度も尋ねられ
ましたが、いじめを否定しました。
余計、面倒になるのが嫌だったからです。
結局いじめが表沙汰になることにはなりませんでしたが、この一件を境に
いじめはピタリとおさまりました。
皆と以前のようになったわけではありませんでしたが、ただ生きていくだけ
なら何とかなるようになりました。
どうせ無理しなくてもいつかは死ぬのだから、頑張って死ぬことも、
頑張って生きることもいらない。
ただ「その日」が来るまで淡々と生きていこう、そう決めました。
これが高校2年の冬のことでした。

※ランキングに登録しています。愛のワンクリックはココ



プロローグ prologue

2009-01-26 | 小説
桜の木の下に私は立っています。
小高い丘に一本だけ樹っている桜の木の下に立っています。
天からは春雨がしとしと降っています。
やわらかい水滴と一体になろうと雨を全身に沁み込ませます。
びしょ濡れになりたい日が人生において幾日かあるようです。
鼻を幹ぎりぎりまで近付けてみます。
生命の香りがします。
それは少なからず苦いものを含んでいます。
もしかしたら、それは私が感じただけかもしれません。
一歩、幹から離れます。
両の手のひらを広げてみます。
ずいっと幹に押し当てます。
静かに眼を閉じます。
手の平に、桜の生命(いのち)を感じます。
デコボコした幹。
春雨にじっとりと湿った幹は硬さの中に、やわらかさを含んでいます。
カラカラに乾いている時と感触が違います。
ちょうど人が心の状態によって印象が変わるように。
左手を幹から離します。
左胸に当ててみます。
トクットクッと鼓動が指に伝わります。
右の手からは樹の、左の手からは私の生命を感じます。
生きてるって不思議です。
生きてるってどういうことでしょう?
私と桜もどこかでつながっているのでしょうか?
すべてのものとも何らかの形でつながっているのでしょうか?

クイッと頭をあげ、眼を開きます。
眼前には満開の花びらがパーッと咲き誇っています。
美しい桜の花びら。

私は、この桜の季節が好きです。
桜の、ピンクと緑と茶色のコントラストが好きです。
ぴんくの花びらと緑の新葉(しんよう)が一枚一枚-----まるでたくさんの子供
たちのように----微妙(びみょう)に違う動きをしながらも、同じ方にゆれ、
ふるえてる、濃い茶色の幹は---日焼けした父親のように---どっしりとかまえて
る、そんな感じも好きです。

スッと桜の樹から離れます。

その刹那、「生命の感触」が消えます。
私は、「生きている実感」というものが薄い。

特別に何か問題があるわけではありません。
家族にも恵まれています。
友達がいないわけでもありません。
学校の成績もまずまずです。
笑ったり泣いたりする、いわゆる普通の女の子。
いえ、表面的には普通以上に幸せそうにみえるでしょう。
だから周りの人は、私の空虚感に気づいていません。
逆に「悩みがなくていいね」なんていわれるほどです。
そういう意味では深刻ではないのかもしれません。
でも私にとって心の空虚さは、やはり一番の問題なのです。
心の過食症というのでしょうか。
食べても食べてもお腹がふくれないように、
何をしても、心が満たされない。
それなりの楽しみ、それなりの喜びは感じても、心は空っぽ。
「何か」が「ない」のです。

ちょうどルールをしらずにスポーツをしているような感じ。
ボールを投げたり、蹴ったりして、それなりに楽しいけど、
点をとったりとられたりするルールは知らない。
一番大事なものが抜けている。
だから醍醐味が味わえない、そんな感覚です。

こんなことも考えたことがあります。
天から伸びているブランコに私が乗っている。
雲の上から伸びているので、上がどうなっているかは分からない。
安全なのか、いまにもネジがはずれそうなのかは知りえない。
下は大きな大きな砂場。
いえ、地平線まで砂びっしりで、砂漠に近い。
そして、実は、アリ地獄のようになっていて、ブランコから降りたが最後、
ズブズブと沈んでしまう。
その底もやはり知りえない。

そんなところでブランコ遊びをしている。
はじめは楽しんでいるけど、同じことを繰り返していると楽しめなくなって
くる。
そして考える。
上はどうなっているのだろう。
このブランコは安全なのだろうか。
砂の下はどうなっているのだろうか、と。

人生もそれと似ている。
どこから来たのかも分からない。
死んでどこへいくのかも分からない。そんなあやうい“生”でありながら、
ギッコギッコとブランコ遊びをしている。少しだけの変化を楽しみながら
も、局同じことを繰り返して。

どこから来て、どこへいくの?
何のために生まれてきたの?
何のために生きているの?
なぜ苦しくても生きていかねばならないの?

こんなことを悩んでいるのは私だけなのだろうか。
私がおかしいのだろうか。

顔はいつでも笑っておれる。
自分をもだますかのように、楽しい自分を演じることはできる。
演じきっている時は、虚しさを忘れておれる。
でも、ずっとそうはいかない。
ふと、こころの隙間から虚しさが顔を出す。
笑った顔のまま、心は虚しくなる。
いったいこれは何なのだろう。
私って何なのだろう?

春雨と、涙が一つになりました。
全身が涙のようでもありました。
二歩三歩と後ろにさがってみます。
少し距離をおいて桜を眺めます。
葉の先からぽたぽたと雫がたれています。
桜も泣いているようでした。

「一緒に泣いてくれるんだね」
そうつぶやいて、私は桜に背を向けた。
今日は中学最後の日。


このあと、最初の親友との別れと、二人目の親友との出会いが
待っていました。
そしてそれは、どうして生きねばならないか分からない者と、
どうして死なねばならないか分からない者との出会いでもありました。

FREISEIN・フライザイン
 ~死に対して無碍~

※ランキングに登録しています。
 愛のワンクリックはココ

 ● A song today
シカゴ(Chicago)
- HARD TO SAY I\'M SORRY/GET AWAY - 素直になれなくて








すべての(永遠の)哲学少年、哲学少女に捧ぐ。。。。

2009-01-26 | 小説
  ※これは実在の人物に基づいて小説にしたものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
         【ジコショウカイ】

ワタシは古郷(こきょう)をハルカトオクニモツ異形(いぎょう)ダ。
   ニンゲンノ姿ヲシ、ニンゲンとしてのフルマイをし、
       ニンゲンとしてイキテイルが、
       ココロがニンゲンではナイノダ。
     ホンライのスガタが異形(いぎょう)ナノダ。
       ソノコトはダレもシラナイ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・