桜の木の下に私は立っています。
小高い丘に一本だけ樹っている桜の木の下に立っています。
天からは春雨がしとしと降っています。
やわらかい水滴と一体になろうと雨を全身に沁み込ませます。
びしょ濡れになりたい日が人生において幾日かあるようです。
鼻を幹ぎりぎりまで近付けてみます。
生命の香りがします。
それは少なからず苦いものを含んでいます。
もしかしたら、それは私が感じただけかもしれません。
一歩、幹から離れます。
両の手のひらを広げてみます。
ずいっと幹に押し当てます。
静かに眼を閉じます。
手の平に、桜の生命(いのち)を感じます。
デコボコした幹。
春雨にじっとりと湿った幹は硬さの中に、やわらかさを含んでいます。
カラカラに乾いている時と感触が違います。
ちょうど人が心の状態によって印象が変わるように。
左手を幹から離します。
左胸に当ててみます。
トクットクッと鼓動が指に伝わります。
右の手からは樹の、左の手からは私の生命を感じます。
生きてるって不思議です。
生きてるってどういうことでしょう?
私と桜もどこかでつながっているのでしょうか?
すべてのものとも何らかの形でつながっているのでしょうか?
クイッと頭をあげ、眼を開きます。
眼前には満開の花びらがパーッと咲き誇っています。
美しい桜の花びら。
私は、この桜の季節が好きです。
桜の、ピンクと緑と茶色のコントラストが好きです。
ぴんくの花びらと緑の新葉(しんよう)が一枚一枚-----まるでたくさんの子供
たちのように----微妙(びみょう)に違う動きをしながらも、同じ方にゆれ、
ふるえてる、濃い茶色の幹は---日焼けした父親のように---どっしりとかまえて
る、そんな感じも好きです。
スッと桜の樹から離れます。
その刹那、「生命の感触」が消えます。
私は、「生きている実感」というものが薄い。
特別に何か問題があるわけではありません。
家族にも恵まれています。
友達がいないわけでもありません。
学校の成績もまずまずです。
笑ったり泣いたりする、いわゆる普通の女の子。
いえ、表面的には普通以上に幸せそうにみえるでしょう。
だから周りの人は、私の空虚感に気づいていません。
逆に「悩みがなくていいね」なんていわれるほどです。
そういう意味では深刻ではないのかもしれません。
でも私にとって心の空虚さは、やはり一番の問題なのです。
心の過食症というのでしょうか。
食べても食べてもお腹がふくれないように、
何をしても、心が満たされない。
それなりの楽しみ、それなりの喜びは感じても、心は空っぽ。
「何か」が「ない」のです。
ちょうどルールをしらずにスポーツをしているような感じ。
ボールを投げたり、蹴ったりして、それなりに楽しいけど、
点をとったりとられたりするルールは知らない。
一番大事なものが抜けている。
だから醍醐味が味わえない、そんな感覚です。
こんなことも考えたことがあります。
天から伸びているブランコに私が乗っている。
雲の上から伸びているので、上がどうなっているかは分からない。
安全なのか、いまにもネジがはずれそうなのかは知りえない。
下は大きな大きな砂場。
いえ、地平線まで砂びっしりで、砂漠に近い。
そして、実は、アリ地獄のようになっていて、ブランコから降りたが最後、
ズブズブと沈んでしまう。
その底もやはり知りえない。
そんなところでブランコ遊びをしている。
はじめは楽しんでいるけど、同じことを繰り返していると楽しめなくなって
くる。
そして考える。
上はどうなっているのだろう。
このブランコは安全なのだろうか。
砂の下はどうなっているのだろうか、と。
人生もそれと似ている。
どこから来たのかも分からない。
死んでどこへいくのかも分からない。そんなあやうい“生”でありながら、
ギッコギッコとブランコ遊びをしている。少しだけの変化を楽しみながら
も、局同じことを繰り返して。
どこから来て、どこへいくの?
何のために生まれてきたの?
何のために生きているの?
なぜ苦しくても生きていかねばならないの?
こんなことを悩んでいるのは私だけなのだろうか。
私がおかしいのだろうか。
顔はいつでも笑っておれる。
自分をもだますかのように、楽しい自分を演じることはできる。
演じきっている時は、虚しさを忘れておれる。
でも、ずっとそうはいかない。
ふと、こころの隙間から虚しさが顔を出す。
笑った顔のまま、心は虚しくなる。
いったいこれは何なのだろう。
私って何なのだろう?
春雨と、涙が一つになりました。
全身が涙のようでもありました。
二歩三歩と後ろにさがってみます。
少し距離をおいて桜を眺めます。
葉の先からぽたぽたと雫がたれています。
桜も泣いているようでした。
「一緒に泣いてくれるんだね」
そうつぶやいて、私は桜に背を向けた。
今日は中学最後の日。
このあと、最初の親友との別れと、二人目の親友との出会いが
待っていました。
そしてそれは、どうして生きねばならないか分からない者と、
どうして死なねばならないか分からない者との出会いでもありました。
FREISEIN・フライザイン
~死に対して無碍~
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