花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
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駅名になった 上伊集院の饅頭石 2023/03/11(鹿児島)

2023-03-12 13:49:41 | 史跡巡り
3月11日(土)茂頭観音の帰りに饅頭石(まんじゅういし)に立ち寄りました。

盛りを過ぎた白木蓮 以下の画像は3月11日に撮影


近いところなのでと思いながら、ようやく訪れることができました。白木蓮の向かい側のカーブミラー地点を右側山手へ歩きました。

史跡巡りの先達、ブログ「鹿児島の自然と食」さん、今回も参考にさせて頂きありがとうございます。

離合に気を遣う狭い道ですが近道のようで、車が次々とやって来ます。離れた広い場所に車を止めました。

林の狭い道路 私道らしい


この辺り一帯は私有地で、この道も右手奥の民家に通じる私道のようで、車では行かず饅頭石までの100mほどを歩きました。

坂の上にそれらしき場所があった 饅頭石は左手上にある


やはり私道のようで、民家を過ぎると道は落葉で埋もれていました。画面右奥から上がってくると、左側に小さな上り口がありました。

左側は水道施設らしい 右奥に見えるのが饅頭石


この辺りは私有地との表示


「饅頭石を含めここは私有地です」と書かれていました。建物は公共の水道施設のようですが、私有地とあり早々に引き上げました。

苔がきれいだが長居する雰囲気ではない 右が饅頭石


先に訪れた茂頭観音とは真逆で、写真を写していても私有地立入で怒られそうで気になって落ち着きません。

人が腰掛けるには手頃で、古くからの逸話が残っています。周囲には岩がないのに、ここだけに置かれたような不思議な岩です。

石碑 右は島津貴久公休息の地 左は饅頭石水道建設記念碑


ここは鹿児島市五ヶ別府町、すぐ西側は旧松元町の春山地区です。江戸時代にはこの地を巡り鹿児島と伊集院の間で争いもあったとか。

この辺りは分水嶺になっていて、東側は鹿児島湾に注ぐ永田川の上流部、西側は東シナ海に注ぐ神之川の上流部です。

上に小さなくぼみがあった


貴久公が、この石に腰を下ろし、くぼみに溜まった水でびんのほつれを直したと伝わっています。

まさに饅頭の形の石


日置市吹上町の神籠石、妙見神社の巨石と比べるのもどうかと思いますが、形が饅頭型で面白い程度にしか感じず、私的には少しガッカリ。

饅頭石駅は改称され上伊集院駅に
現在の上伊集院駅は、大正2年(1913年)に国鉄川内線として開業した際に、饅頭石(まんじゅういし)駅として開設されました。

饅頭石駅は日置(ひおき)郡の上伊集院(かみいじゅういん)村にあったことから、駅名を村名に合わせるよう請願が出され、昭和24年(1949年)に饅頭石駅が上伊集院駅に改称されています。

一方で、上伊集院村の中心部は松元(まつもと)にあったことから、駅設置の請願が出され、昭和29年(1954年)に上伊集院駅の北西約2キロのところに薩摩松元(さつま まつもと)駅が開設されています。

1889年(明治22)の町村制施行に伴いそれまでの伊集院郷(外城)のうち南部にある6村の区域を以って上伊集院村(かみいじゅういんむら)として発足。

1960年(昭和35)に上伊集院村を松元村に改称、即日町制施行し松元町となり、2004年(平成16)11月1日に鹿児島市に編入されています。

私の中では・・・鹿児島市松元町に薩摩松元駅があるのに、鹿児島中央駅に近い方に上伊集院駅がある・・・伊集院の飛び地だったのか・・・昔は饅頭石駅だったとも聞いたが・・・頭の中の混乱が解消されました。

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