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「臨時特別編」カタコンベ(カタコム)と広辞苑

2018年03月25日 08時10分50秒 | 

 

 

 1996年にイタリア旅行をしたときローマで半日自由時間があったのでかねてから行きたいと思っていたアッピア街道を歩きました。(写真上)そのとき人がたくさん集っているので野次馬の私は近寄ってみると「カタコンベ」(カタコム)観光のグループでした。その時点での私の「カタコンベ」への知識は「キリスト教徒は、ローマ皇帝の迫害に対し、カタコンベ(地下墳墓)にかくれて信仰を守った」(三省堂世界史{B}2003年版p40)でした。

 中に入っての説明(英語なのでほとんどわかりませんでしたが)に迫害の話は無かったようでした。(写真下)しかも考えてみると日本で言えば東海道という人の行き来が激しいところで「かくれて」というのもおかしいと思いました。

 そこで帰国後調べてみると迫害とカタコンベには関係の無いことがわかりました。そのことをこのブログに書いたところ以下のようなコメントが入りました。

 

そのほうが納得できます (colo)(元高校世界史教諭)

2005-12-29 10:27:07

 ウーン、そう言われればその通り、なぜ今まで教科書を鵜呑みにしていたのかと我ながら可笑しくなります。人間はだまされやすい・・・

納得できません (bosch)

2006-09-02 21:40:43

キリスト教徒はローマのネロ帝による、ローマの大火の責任転嫁ややディオクレティアヌス帝によって大迫害を受けました。事実、ペテロ、パウロは殉死しています。カタコンベは本来墓地ではなく、迫害されたキリスト教徒が地下に作った信仰の場所です。303年以降キリスト教の大迫害はなく、その後何度もの会議が重ねられて少しずつ認められていきましたが、キリスト教成立初期の頃はローマの全ての皇帝が寛容だったわけではありません。

 

 結局私は以下のように結びました

 

 カタコンベを「迫害」と関連づけて書いているのは130年前の岩倉使節団の「米欧回覧実記」(岩波文庫四p309~310)と日本の世界史の教科書、広辞苑(5版)だけです。(2006年9月26日)

 

さて広辞苑の登場ですが、

5版では「古代の地下墳墓。特に、ローマの初期キリスト教徒のものが有名で、迫害を避けてここに集まり祈ったという」

今年改訂された7版では「古代の地下墳墓。特にローマの初期キリスト教徒のものが有名」迫害以下の箇所が削除されていますね。

 

なぜこのような間違いが教科書などにあるのか私のそれ以来の疑問です。最近の私の妄想ではどうも「米欧回覧実記」が元凶ではないか。日本にカタコンベが最初に紹介されたのはこの「米欧回覧実記」の記述からと考えれば腑に落ちるような気がしています。


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