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「ギリシア」編 クルージング21 クレタ島1

2008年03月15日 08時42分44秒 | ギリシア

 次の寄港地はクレタ島でした。クレタ島にはすでに紀元前3000年頃から文明が起こり紀元前18世紀~紀元前15世紀にはクノッソス宮殿などが建てられ華麗な文明が花開きました。

 ところでヨーロッパ文明の源流はギリシア文明とされています。(特にヨーロッパ人の共通認識) 欧州共通教科書とされる「ヨーロッパの歴史」(注)では「ギリシア古典文化がローマ帝国を経て、ヨーロッパ文明の基礎になった」(日本語版 東京書籍p41)と書かれています。そして、そのギリシア文明の始原がこのクレタ文明というわけです。「ヨーロッパの歴史」では次のように書かれています。

 「クレタ島が事実上、ヨーロッパ最初の国家である。《英語版ではthe first genuine European state 最初の純粋な本物のヨーロッパ国家》クレタ島はギリシアのオリエントに対する進出のための足場」(p38)このようにヨーロッパ人のクレタ文明への思いが良く分かります。しかしどうもこれはヨーロッパ人の片思いではないかと私は思っています。まずこの文明を担った人たちは系統不明ですが、ギリシア人ではなくアジア系の人ではないかというのが最新の説のようです。とすれば「ギリシアのオリエントに対する進出」ではなく逆に「オリエントのギリシアに対する進出」の方が正確ではないでしょうか。

 この地では「線文字A」と「線文字B」という2種類の文字が発見されています。「線文字B」は2008年2月12日~14日で紹介したミケーネでも発見されており1952年に解読されギリシア語を表記する文字ということが分かりました。これに対して「線文字A」はこのクレタ島だけで発見されており「線文字B」より古くいまだ解読されていませんが東方系ではないかとされています。長くなるのでこのくらいで止めておきますが、このことからも前述の「ヨーロッパの歴史」の記述には少し無理があるようです。写真はクノッソス宮殿遺跡です。

 (注)

 ヨーロッパでは第2次世界大戦後共通の歴史認識を持つことが長く模索されてきました。最初は学校の歴史書の作成が試みられましたが、結局、15歳~16歳の生徒を主な対象とした副教材念頭に置きながらも、啓蒙書としても読むことを目指して1992年に出版されたのがこの本でした。最初はフランス語版(日本語訳はこのフランス語版から)でした。この本に対するヨーロッパ各国内部での批判もたくさんあるようですが、非ヨーロッパ人の私から見て「ヨーロッパナショナリズム」とも言うべき偏重があるような気がしています。その一例としてクレタ文明の評価があるような気がしましたので前述のようなことを紹介してみました。

 なおこの本に興味がある方は「国際歴史教科書対話」(中公新書)を参考にしてください。


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