Winter spring summer fall take turn and watch us
Sunshine wind rain and snow take turn and touch us
They are still there and also here to create new memories
We all are part of our Furusato
冬、春、夏、秋が、代わりばんこに私たちを見守ってくれる
日の光、風、雨、雪が、代わりばんこに私たちに触れていく
それはずっと変わらない、あの場所でも今ここでも
そして思い出は 作られるのです 新しく。
私たち一人一人は、ふるさとのひとかけら
Wise slow enough to live thousands of years
Kind rich enough to feed thousands of us
Fish and rabbits trees and human all are fed, grow old and change
We all return to our Furusato
大地は賢く急がず、何千年を生きている
優しく豊かで、何千の命に食べものをくれる
魚、うさぎ、木、人、みんな
栄養を受けとり、大きくなり、年をとり、姿は変わり
そしてだれも、ふるさとに帰っていく
(「ふるさと」英語詞 by とらさん)
※ ふるさとと私
この世界に生まれる私を迎え、みなと祭り、大島リフト、熊長のかき氷、おばあちゃんちの急な階段…子ども時代の輝く夏の全てをくれた生まれ故郷の気仙沼。
加えて、4年前に大地震に打たれた心のふるさと栗駒、親友家族が移転を余儀なくされた飯舘村、台風で流された和歌山の友人宅、福島に隣り合う今住む那須。
そのままでいてほしかった姿が次々に、去っていきました。
震災から一年後の三月、気仙沼で千人規模の寄席イベントを見、復興を担う人たちのユーモアと会い、おばあちゃんち跡を何度も通り、流されて強くなったもの、失われた故にやってきたものを見ました。
与えられる側にいつまでもいたがる私の子ども心は、たとえば気仙沼と聞くたび涙を流したのですが。
大人に、自分にしかできない、ふるさととの新しい付き合いを始めたいという願いが生まれました。
詞を書くこともその一つとして。
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