++雑想ノート++

日々ふと思いついた事や考えた事などを書き綴ってみる。

甘い幻想を抱くな。

2007-08-16 00:34:09 | Weblog
戦争こそが希望だ、そう書いたフリーターがいるらしい。
今、安定した雇用が(自分に)与えられないのは、企業のせいで
社会の閉塞状態を打破してくれるのは戦争しかない、という話だそうな。

憲法9条について考える、という事をテーマにした今日のNHKの特番で
とあるフリーターが
「戦争にいけば英雄になれるけど、フリーターでは誰にも覚えてもらえない」
というような事を言っていた。

前者と後者は違うものなのだが、あまりにも稚拙な考えだと思う。

第2次世界大戦から62年。
日本は、戦後教育のおかげで戦争から遠い国となっている。
それは本来歓迎すべきことだと思うのだが、戦後に生まれた世代にとって
戦争というものがどうしても遠い事になってしまっている。
ある意味で、現実感がない、とでもいうべきか。

だから、冒頭のような発言があるのかもしれない。

だが、彼らの発言は甘い。甘すぎる。
日常が日常でなくなる事の怖さがわかってない。
戦争ともなれば、人の命など紙切れ同然となる。
実際、前の戦争の際、兵士一人の命は、はがき一枚ほどの値打ちしかないと言われた。
多くの、本当に多くの人間が、無駄に、どうしようもなく理不尽にその命を散らした。
戦争をするということは、結局のところ、理不尽を行い、理不尽を行われることであり、他人も他人でない人も殺し、または殺されるということである。

戦争になれば状況は変わる、それは確かかもしれない。
だが、自分の身の事を他人のせいにする人間が生き残れるような『変化』では決してありえない。
戦争になって生まれるものなどせいぜいが憎悪や怨嗟の声くらいで、それ以外に得るものなんて皆無だといっていい。

戦争にいけば英雄になれる、そんな夢物語があるはずもない。
たしかに、戦争で勝利を掴むのはある意味で輝かしい事だったのかもしれない。
だが、そこにあるのは数多の、人の死体の山を築き上る事に他ならない。
そして、そうなるにいたる前にそれこそ夏の虫のごとく、それこそ圧倒的な不条理の前に潰されるようにして死んでいくのが関の山だろう。

今の日常をすら戦えない人間が、戦争になって生き残れるはずもない。
戦争に理想を抱く前に、やるべき事をやってから物を言うべきだろう。

この62年間、この日本が平和であった事に感謝したい。
そして、この後の歴史においても、平和であって欲しいと切に願う。
その為には、あの戦争がどういうものであったのか。
そして、これから平和である為に、その教訓をどう生かしていけばいいのか。
私達は考え続けていかなければいけないと、思う。