浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

仏法を学ぶには必ずこのような認識がなければならない

2013-01-12 | 【修行の方法】


學佛必須有這種認知 / 仏法を学ぶには必ずこのような認識がなければならない
文摘恭錄—淨土大經解演義(第三一七集)2011/3/5 檔名:02-039-0317

「又東密(日本密宗)亦謂阿彌陀佛即是大日如來。日興教大師《阿彌陀秘釋》云」,這解釋阿彌陀的,「一者無量壽,法身如來居法界宮,不生不滅,是故大日如來或名無量壽佛。二者無量光。法身如來妙觀察智光,遍照無量眾生,無量世界,常恆施利益,故大日如來或名無量光佛。」大日即毘盧遮那,大日即阿彌陀佛。佛教裡無論是哪個宗派,他的本尊名號不相同,其實是一個,這是真的,一點都不假。
【注解】「又東密(日本密宗)亦謂阿弥陀仏即是大日如來。日興教大師《阿弥陀秘釋》云」
「また東密(日本の密教=真言宗)では阿弥陀仏は即ち大日如来であると言う。日本の興教大師【注1】は『阿弥陀秘釋』に言う。」これは阿弥陀を解釈したものです。
「一者無量壽,法身如来居法界宮,不生不滅,是故大日如来或名無量壽仏。二者無量光。法身如来妙観察智光,遍照無量衆生,無量世界,常恒施利益,故大日如来或名無量光佛。」
「一つには無量壽。法身如来のおわす法界宮は、不生不滅である。故に大日如来は、またの名を無量壽仏と言う。二つには無量光。法身如来の妙観察智光は、無量の衆生、無量の世界を遍く照らし、常恒のご利益を施されている。故に大日如来は、またの名を無量光仏と言う。」
大日とは即ち毘盧遮那【注2】であり、大日とは即ち阿弥陀仏です。仏教の中ではどの宗派に関わらず、その本尊の名号は異なりますが、実際には一つなのです。これは真実であり、まったく偽りではありません。
--------------------------------------------------------------------------
 【注1】 興教大師(こうぎょうだいし)・・・・覚鑁(かくばん、1095-1143)。平安時代後期に活躍した真言宗の高僧で、真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。興教大師は諡号(しごう=贈り名)。
 【注2】 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)・・・・大乗仏教では、蓮華蔵世界に住し、その身は法界に遍満し、身光・智光の大光明で全宇宙を照らす仏。真言宗では大日如来、天台宗では法身仏、華厳宗では報身仏を指す。(大辞泉)
--------------------------------------------------------------------------

再擴展到全世界任何一個宗教,他所崇拜的創世主都是一個,絕對沒有兩個。我最近十年,有緣分跟世界各個不同宗教接觸,我把我的看法向他們報告,那就是全世界大家所尊奉不同的教主,真神只有一個。每一個宗教那個神不同的名詞、不同的形像,都是一個真神的化身。這個真神在佛教裡面不稱為神,佛教裡面稱為真如、法性,其他宗教稱它為真神,全是他的化身!所以世界宗教是一家,我們要互相學習。
更に全世界に拡大させてみるなら、如何なる宗教においても崇拝する創造主はすべて一つです。絶対に二つはありません。私はここ十年、ご縁があって世界各国の異なる宗教と接触しています。私は私の考えを彼らに伝えています。それはつまり、全世界の人々が尊奉している異なる教主、神はただ一つということです。どの宗教の神も異なる名前、異なる形象ですが、すべて一つの神の化身だということです。その神は、仏教の中では神とは言いません。仏教の中では「真如」、「法性【注3】と言います。他の宗教では神と言いますが、すべてその化身なのです!ですから世界の宗教は家族であり、私たちはお互いに学び合わなければなりません。
--------------------------------------------------------------------------
 【注3】 真如(しんにょ)・・・・万物の本体としての、永久不変の真理。ありのままの姿。(=法性、実相)
      法性(ほっしょう)・・・・万物の本体。(=真如、実相)
--------------------------------------------------------------------------

你要不相信,你去研究你的經典,然後研究世界上不同宗教經典,你就會發現真的是一個。我問大家,你們相不相信真神有圓滿的智慧?相信;真神有圓滿的能力?相信;真神有圓滿的相好?相信;真神能夠變化種種不同的形相?相信。那就對了!真神在各個不同的族群、不同的文化、不同的生活方式,都變化跟你們這個地區的人相同。你要是接觸很多地區,你就看到很多大家不一樣,其實是一個。
あなたは信じられないなら、あなたの経典を研究して、その後で世界の異なる宗教の経典を研究して見て下さい。あなたは本当に一つだという事に気が付くでしょう。私は皆にこう質問します。あなた方は神様には円満な智慧があることを信じますか?(彼らは)信じます。神様には円満な能力があるでしょうか?(彼らは)信じます。神様には円満な融和があるでしょうか?(彼らは)信じます。神様は様々な異なる形象に変化できるでしょうか?(彼らは)信じます。それで良いのです!神様はそれぞれ異なる民族、異なる文化、異なる生活様式において、すべてその地域の人と同じように変化したのです。あなたが様々な地域で接触してみれば、多くの違いが見られるでしょう。しかし実際には一つなのです。

所以經典裡面的教誨,總的目標、總的方向絕對是相同的。不同的地方是生活方式、風俗習慣、文化背景這不一樣,所以大同小異。於是我們要徹底了解事實真相,一定要記住互相學習、互相尊敬、互相的敬愛、互相關懷、互助合作,才真正能體現出神愛世人。在佛法裡面講,範圍擴大了,大慈大悲,神愛眾生,比世人的範圍大得太多了。神的愛心包括全宇宙,叫大慈大悲,無條件的。為什麼?因為整個宇宙是一體,是真如自性的相分,性相一如,性相不二,學佛必須有這種認知。
ですから経典の中の教誨、中心となる目標、中心となる方向性は絶対に同じものです。異なる所は生活様式、風俗習慣、文化的背景であり、そこは同じではありません。ですから大同小異なのです。私たちは徹底して事実の真相を理解しなければなりません。必ずお互いに学び合い、お互いに尊敬し合い、お互いに敬愛し合い、お互いに関心を持ち合い、お互いに協力し合うことを忘れてはなりません。それでこそ本当に神様の人々への愛を体現することができるのです。仏法の中では範囲を大きく広げて「大慈大悲【注4】と言います。神様が衆生を愛すること、それは人々の(愛する)範囲よりも遥かに大きなものです。神様の愛は全宇宙を包括しています。それを大慈大悲と言い、無条件なのです。なぜでしょう?なぜなら全宇宙は一体だからです。真如自性とは、性相一如、性相不二【注5】なのです。仏法を学ぶには、必ずこのような認識がなければなりません。
--------------------------------------------------------------------------
 【注4】 大慈大悲(だいじだいひ)・・・・仏菩薩が衆生の苦しみを救う、その広大無辺の慈悲。
 【注5】 性相一如(しょうそういちにょ)、性相不二(しょうそうふに)
   ・・・・共に「万物の本体とそこから生じる現象は一つである」という意味であろう。
--------------------------------------------------------------------------


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 経懺・仏事の由来 | トップ | 老子『道徳経』 第十三章 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。