浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

功徳と福徳

2012-09-23 | 【疑問に答える】


功與福 / 功徳と福徳
文摘恭錄—淨土大經解演義(第四四二集)2011/6/7 檔名:02-039-0442

「《勝鬘經寶窟》曰」,這是解釋什麼叫功,「者,得也」,古時候這兩個字通用,就是你真正得到,得到什麼?「修功所得」。所以在這個地方順便給諸位提一提,真正修功所得的叫功;普通拿錢出來做好事不是功,拿錢出來做好事,那是福,不是功。我們就想到過去,達摩祖師剛剛到中國來,遇到梁武帝。
『勝鬘經寶窟』曰」(『勝鬘經寶窟』に曰く)、ここでは功徳とは何かを解釈しています。「徳者,得也」(徳は、得なり)、昔はこの「徳」と「得」の二字は共通して用いられました。それはあなたが本当に得るものです。「修功所得」(功を修めて得るところ)。これは何を得るのでしょうか?ちょうど良いので皆さんに提起しておきましょう。本当に功を修めて得るものを功徳といい、普通にお金を出して良い事をするのは功徳ではありません。お金を出して良い事をするのは福徳であって、功徳ではありません。私たちはかつて達磨祖師【注1】が中国に来たばかりの頃、梁の武帝【注2】に会った時のことを振り返ってみましょう。
--------------------------------------------------------------------------
 【注1】 達磨祖師・・・・達磨。達磨大師。インドから中国に渡り、嵩山少林寺に禅を伝えた。達磨が九年間壁に向かった達磨洞は、中国における禅の発祥の地とされる。日本の縁起物としての「だるまさん」は達磨大師がモデルになっている。
 達磨・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%94%E7%A3%A8
 嵩山少林寺・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B5%A9%E5%B1%B1%E5%B0%91%E6%9E%97%E5%AF%BA
 【注2】 梁の武帝(464-549)・・・・南朝の初代皇帝。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%AD%E8%A1%8D
--------------------------------------------------------------------------

梁武帝是佛門大護法,聽說印度有個高僧到中國來,非常歡迎,請他見面。見面的時候他很得意,跟達摩祖師說他一生護持佛法所做的,為佛法建了四百八十多座道場,就是寺廟,以國家的力量做的。只要有人出家他就歡喜,他護法,他供養,十幾萬人,真是佛門第一大護法。他向達摩祖師請教,「我這個功大不大?」他心裡想達摩祖師一定稱讚他,沒想到達摩祖師跟他說「並無功」。這一句話聽到,他就生氣了,把達摩祖師就驅逐出去了,送客,不談了,送客。達摩祖師到少林寺去面壁去了,面壁九年才等到一個慧可。不錯,有一個傳法傳下去了。
梁武帝は仏門を手厚く保護していました。インドの高僧が中国に来たことを聴くと、喜んで迎え入れ、面会することにしました。面会の時彼は得意になって、彼が一生かけて仏法を保護してきたことを達磨祖師に話しました。彼は国家の力で、仏法のために四百八十もの道場、寺院を建てました。出家する人がいれば喜んでその人を保護し、供養しました。それは十数万人に及びます。本当に仏門を手厚く保護した第一級の人物です。彼は達磨祖師に教えを請いました。「私の功徳は大きいでしょうな?」彼は達磨祖師は必ず彼を称賛すると思っていましたが、思いがけず達磨大師は、「特に功徳はありません」と言いました。このひと言を聴くと、彼は怒り出して達磨祖師を追い出しました。「お帰りだ。話は終わった。お送りしなさい」 達磨祖師は少林寺に行って壁に向かい、壁に向かって九年【注3】でようやく慧可と会いました。素晴らしいことです。一つの法が伝えられたのです。
--------------------------------------------------------------------------
 【注3】 面壁九年(めんぺきくねん)・・・・達磨大師が九年間壁に向かって坐禅し続け、大悟したという故事。
 慧可(えか)・・・・達磨の弟子となり、禅を継承した人物。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A7%E5%8F%AF
--------------------------------------------------------------------------

這就是什麼?功跟福是兩樁事情,梁武帝所修的是福。如果他問我的福大不大?那就是很大很大,你修的大福報。功?功沒有,沒有功。功是自己真正修,譬如說你持戒,持戒真有功夫就得定,那個定是功;修定有功就開悟了,開悟是修定的功。這個與你拿錢做好事,辦什麼好的事、慈善事業不相干!這個道理一定要懂。
これは何でしょう?功徳と福徳とは別のことであり、梁武帝が修めたものは福徳です。もし彼が「私の福徳は大きいか?」と尋ねたなら、それはとてつもなく大きなものです。彼は大きな福報を修めたのです。功徳はどうでしょう?功徳はありません。功徳とは自分で本当に修めるものです。例えば、あなたが戒律を守り、持戒すれば「定」(じょう)を得ることができます。その「定」が功徳です。「定」を修めれば開悟することができます。開悟は「定」を修めた功徳です。この事は、あなたがお金を使ってどんな良い事をしようと、慈善事業をしようと関係ありません!この道理は必ず理解しておかなければなりません。

很多人功跟福分不清楚,但是功裡頭一定有福,福裡頭沒有功,這是我們一定要把它搞清楚、搞明白的。真正持戒,譬如你學《弟子規》、學《感應篇》、學《十善業》有功,你心地清淨,智慧長,幫助你破迷開悟,斷疑生信,這是功。你不是真修,哪來的功!而功最怕的是發脾氣,佛經上常常講「火燒功林」,你看修了很多功,功是戒定慧,一發脾氣全完了。修了一輩子功,臨命終時發一頓脾氣,全報銷了。
多くの人は功徳と福徳の区別があいまいです。功徳の中には必ず福徳がありますが、福徳の中には功徳はありません。この事ははっきりさせなければなりません。真に持戒し、例えば『弟子規』を学び、『感応篇』を学び、『十善業』を学んだ功があれば、あなたの心は清らかになり、智慧が増して、迷いを断って悟りを開き、疑いを断って信心を生む助けとなります。これが功徳です。あなたが本当に修めなければ、どうして功徳を得られるでしょうか!また功徳で最も注意しなければならないのは、癇癪を起こすことです。仏典にはよく「火焼功徳林」(火は功徳の林を焼く)と説かれています。功徳は戒・定・慧(戒律・禅定・智慧)ですが、あなたがたくさんの功徳を修めても、一たび癇癪を起こせばそれまでです。一生かけて功徳を修めても、臨終の時に癇癪を起こせば、すべて帳消しになってしまいます。

第一回更新 2012-09-23
第一回訂正


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 修行の三部曲 清浄・平等・覚 | トップ | 戒律は六道・十法界の超越を... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。