7年目の破局

不倫の彼と別れて2年・・・
誰にも打ち明けられられない気持ちを心の整理を付けるために書き綴っています。

過呼吸

2012-09-30 | 日記
何事もなく日常は過ぎていく。
だが、まだ私は他人との接触を避けていた。家から買い物や他の用事で出る事はあるが、友達と遊びに行ったり等は一切せず、家事をして、本を読んだりTVやDVDの映画を観たりすることが唯一の娯楽となった。

過食がなくなり、決まった時間にきちんと食事をとるようになり10kg近く増えた体重もどんどん減り元の体重にもどりつつあった。美容室へも定期的に通いばさばさで白髪だらけの髪も元のように戻り、折れて抜け落ちた歯も綺麗になった。

だがお洒落をする気持にはなれず、服を買いに行く事がなくなった為ほとんど家着に近い服装で過ごした。

精神的にも落ち着きを取り戻しつつあったように感じられた。思春期の息子も私が倒れて以来、一切文句を言わなくなっていた。
一見、普通の家庭生活に見えていただろう。

ある日、ちょっとした事で息子と口喧嘩になった。あの日以来、息子は機嫌が悪い時でも私に対してはあまり怒らず文句も言わなかった。今考えてみると、私を気遣い我慢していたのだろう・・・・。
その糸が切れたのか、その日は珍しく私にくってかかってきた。私もいつもだったら黙って無視するのだが、私も何かの糸が切れたようにその日は息子にきつくあたった。喧嘩はどんどんエスカレートしていく。私はまたいつものように出て行くと言い出すが、息子はもう、出て行けとは言い返さなかった。きっとここ一年位の私の様子で何かを感じ取っていたのだろう、出て行くなと言い出したのだ。
それでも、もう感情に火がついた私はますます息子にくってかかり、物を投げたり、出て行くと暴れまわった。
止めに入る息子に抑えられ、泣きながら私は独りぼっちなんだから・・・と喚き続けた。まるで親子が逆転したみたいに息子が私をなだめ始める。だがもう、私の興奮は収まらず、ますます泣き狂った。
するとだんだんと息が苦しく、呼吸ができなくなり、息を吸おうとヒーヒーと音を立てて吸い続けた。なのに息を吸っても吸っても息が苦しい。そのうち苦しさで倒れ込み横になりながらスースーヒーヒーと音を立てながら呼吸していた。
息子が「過呼吸になってるからゆっくりと、深呼吸するんだ!」と叫ぶ。
台所からナイロン袋を持ってきて私の口にあて、「ゆっくり俺に合わせて呼吸して!」そう言い、ゆっくり吐いて吸ってと息子に合わせ呼吸する。しばらくすると呼吸は落ち着き私は疲れ果て、ソファーに倒れ込みそのまま眠ってしまった。

目が覚めると私には毛布がかけられ、そばに息子がいた。「大丈夫か?」と聞いた後、「ごめん、俺が言いすぎだ。何か最近イライラしてたから、興奮させてごめんな」と言った。

きっと大学受験の事などで精神的にイライラしていたのだろう。それに私に文句を言いたくても我慢していてそれが爆発したのだろう。
私もそうだ。あの日以来、無理に元気になろうとして感情を抑えていたものがこれをきっかけに爆発したのだ。

息子に謝らせる母親なんて・・・なんて情けない・・・・。

私はきちんと息子に謝り、過呼吸の処置をちゃんとしてくれた事に感謝した。

無理に立ち直ろうとしていた事で一気に噴き出した感情、その為に息子へあたり、こんな喧嘩をしてしまった自分を恥じた。

こんな事ではダメだ。自分に嫌気がさした。
だが、これも一つの私の転機なのかもしれない。それを息子が教えてくれた。

トラウマ

2012-09-29 | 日記
日々の葛藤は続いた。
外出はできるようにはなったものの、どうしても行けない場所がある。
Yと一緒に出かけた場所だ。食事をした場所などはそこへ行かなければ済むし、よく利用していたシティホテルも街中から少し離れていたりするので自分から行かない限りそこへは立ち寄らなくても済む。
だがよく待ち合わせた場所への道のりは私が住む場所の近くなのでどうしても通らなければならない事がある。
その道を通ると胸がぎゅっと握りつぶされるような感覚に襲われる。
なるべくその道を避け、遠回りでもその道のりは通らないようにしているが、2年経った今でもその場所は通れない。

7年も付き合ってしかも最低週一回会っていれば色んな場所へ行くので私がその場所へ行かないようにするのは難しい事であるが、どの場所も私にとっては辛い。
まるでフラッシュバックのように胸が締め付けられ、酷い時には気分が悪くなる。

TVを見ていても例えばYの奥さんが大ファンだと聞いていた郷ひろみが出た途端、冷や汗が出る。あの声を聞いただけで胃がきゅっと縮こまる。
当然Yとよくコンサートへ行ったHの歌も聞けない。HはTVに出る事はないのでめったにあの顔と歌を聞くことはないが、大好きだったHの歌を私はもう一生聞くことはないだろう。

日々を元気に過ごせば過ごすほどYとの思い出の場面や場所へ出くわす。その度にまた克服しかけていたあの嫌な感覚が蘇える。
いつかそれも何にも感じなくなる日が来るのだろうか?
7年という長い歳月へのつけは決して軽くはない事をまた思い知らされる。

2年間の間、そんな場面が多すぎてまた外へ出たくないとまた引きこもった時期も何回かあった。
いくつかのキーワードもまるでそれを聞いただけで吐き気がするほど気分が落ち込むことも多々あった。

いっそ記憶喪失にでもなれば楽になれるのに・・・。そう楽しくて幸せだった事さえも引き換えにしてでもこの辛さを消し去りたい。だが、私は一生このトラウマと闘って生きていかなければならないのか?

こんなに辛い思いをしていても、もうYを憎む気力はなくなっていた。

別れた相手への最大の復讐は憎む事ではなく、相手の事を忘れ去ることだ。
そう誰かが言っていたのを思い出す。憎んでいる間はまだ相手の事を忘れていないからだと。相手の存在さえも忘れてしまっているときは自分が幸せな時だからそれが一番の復讐なんだそうだ。

復讐のつもりはないが、この辛さから解放される為には早くYの事を忘れ去ることしかない・・・・。

悪夢

2012-09-28 | 日記
今までの気持ちを切り変えようと毎日明るく過ごそうと努めた。
今までできなかった外出も少しずつ増やしていき、食事もちゃんと取りYの事は考えないようにしていた。

身体は手術以来、びっくりするほど元気になり、毎年春夏秋冬と季節毎にひいていた風邪もひかなくなり病院へも全く行かなくなっていた。
昼に無理して動くせいか夜も薬なしで眠れるようになっていた。
精神が病むと身体まで不調になるのがよくわかった。だが私の心の奥底にはやはりYの裏切りが全て消え去ったわけではなく、心のどこかで人を信じる事はできない自分がいた。

忘れたつもりでも同じ夢を何度もみる。
Yと待ち合わせしているのにいつまで待ってもYは来ない。するとYの奥さんが来て、Yは来ないと私に告げる。
それでも私はYを信じ待つが、「Yはあなたとは遊びなんだ、私と一緒に行くことになっているから」とまたダメ押しをされる。
悲しくて悲しくてどうしようもなく不安になり泣いても涙はでるのに声が出ない。
そんな悪夢にうなされて夜中に目が覚める事が度々あった。
目が覚めるとまた辛い現実を思い出す。夢を見ながら泣いていたのだろう、涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。

それでも朝になれば普通に生活をして、まるで辛いことなどなかった顔で一日を終える。
今でもその夢は時々見るが、この夢をいつか見なくなる日がくるのだろうか・・・?

忘れたいのにいつもYとの事が頭から離れない。そんな自分との葛藤とこれから先は闘っていかなければならなくなる。

それが不倫という過ちを犯した本当の自分への報いなのだと思った。

当たり障りのないメール

2012-09-27 | 日記
Yの誕生日を指定してグッチから直接発送してもらい、何事もなく月日が過ぎた。
数日後にYからPCへメールが来ているのに気付く。

「Kちゃんありがとう。身体の具合はどうですか?僕は最近年のせいか身体の動きも鈍ってきていますが、毎日朝早くから夜遅くまで忙しく働いています。僕の誕生日覚えてくれてたんだね。とても嬉しかったです。気を遣ってくれてありがとう。身体に気をつけて。じゃあまた。」
という内容のものだった。

Yの事だからいくら嫌でもちゃんとお礼のメールはするはずだ。ただ何を書いていいのか迷ったのだろう。当たり障りのない文が、私の心に突き刺さった。
メールなどしてもらわない方がよっぽどすっきりした。それより、いっそもうこんな事はやめてくれ、もう関わりたくないから連絡しないでくれ。と。
携帯へメールしなかったのはもう私のアドレスを消しているからだろう。
当たり障りのない文の中に、Yのいいようのない冷たさを感じた。
怒ったり文句を言うのはまだ感情があるからだ。私の感情に火をつけないように当たり障りのない文章のメールでYから私の存在を否定された気がした。

22日後、私の誕生日の翌日、宅急便が届いた。
いつもの服屋さんからの袋ですぐにYからだとわかった。中身は数枚のTシャツとGジャン、今季もののカジュアルなものばかりだった。
私へのお返しとして、義理がたいYは忙しいのに買いに行ったのだろう。

Yからの贈り物はいつも嬉しかった。だが、この贈り物ほど悲しいものはなかった。

Yへありがとう、私が送ったから余計な気を遣わせてごめんなさい。仕事頑張って、Yの幸せを祈っています。
そうメールするのが精いっぱいだった。
Yからは当然返信はなかったが、かえってそれですっきりした。

これで本当にもう連絡することはないと。私自身の礼はちゃんと尽くした。これからはYの事で悩む事もなくなる。早く立ち直って今まで私が自分勝手な事をして迷惑をかけた分を償って生きていこう。

それから先は葛藤の日々だった。

私自身のけじめ

2012-09-26 | 日記
身体が元気いなってくると外へ外出できるようになり少しづつだが前のような日常が戻ってきた。
ただ、まだ他人と連絡をとったりする事はできずにいた。

歯の治療もあと少しで終了できる位になり、見た目は元の感じよりも綺麗に仕上がりつつあった。
歯が自分の物ではないので多少の違和感はあったが以前の甘さや味を感じない味覚障害もなくなって食事も普通に取れるようになり、食べたくない物をたくさん摂取する事もなくなっていた。

以前通っていた美容室はYと一緒に行った事があったので美容室を変え、新しい所を探しそこで白髪だらけの髪をカラーリングし、パーマとカットをしてもらい、以前のようにきちんと整えた。

そんな頃Yの誕生日が近づいていた。
もう私には関係ない事なのだが、前の年にはプレゼントも渡せないまま処分してしまいお祝いの言葉も言わなかったのに私の誕生日にはちゃんとプレゼントとおめでとうメールをもらった。
人として、貰ったらちゃんお返しをする。
それは私が小さい頃から両親に教育されてきたことだ。
もう縁もゆかりもないが、昨年貰いっぱなしでは私が人としてますますダメになっていくような気がした。
ずいぶん悩んだが、Yの誕生日前に恒例のグッチのネクタイを買いに行き店から直接Yの会社へ送ってもらった。
送り主はY本人の名前にし、メッセージも何もつけなかったが多分私からという事はわかるはず。

前にも何回か購入しているので店員は親切で新作や今流行っている柄を勧めてくれたりしてあれこれとスーツに合わせてくれたりした。
以前はYの物を購入するときは自分の買い物よりも楽しかった。だが今回は違った。やはり頭の片隅にYに送らない方がいいのではないかという迷いがあったからだ。
送られてきて迷惑だと思われたり、しつこいとか、贈り物でまた連絡を取って復縁を迫られるのではないか・・などと思いはしないかと不安になった。

だが、どんな風に取られようと、これは私自身のけじめなんだ。

そう思い直し、これで何かが変わるような気がした。最後にきちんとお返しをして、これからはもうYの事を考えたり、悔やんだりするのは終わりにしようと。

買い物から帰った後は何か憑き物がおちたように気分がすっきりとしていた。