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ハズセカイ系とは何か(4)【幡頭神社(愛知県西尾市吉良町宮崎)】

2012年05月15日 22時03分17秒 | 三尾勢海の神がみ

★「ハズセカイ系とは何か(3)」のつづき

 ちょっと変わった島神としては琵琶湖の多景島の例も挙げられる。この島は彦根から6~7km沖合に浮かぶ周囲600mほどの孤島で、現在は日蓮宗見塔寺の境内となっている。

 昭和57年、遊覧船の桟橋を建設した際、この島の水底から土器が発見され、その後の調査でも土器類を主体とした大量の遺物が出土した。注目されるのは土器は平安期のものが多かったものの、少数ながら弥生期のものや古墳前期の布留式のものなども含まれていたことである。琵琶湖の舟運は古代において畿内から東海や北陸へ抜けるルートで重要な役割を果たしていたが、これらの遺物はその航海安全を祈願して島神に供献されたものだろう。 

 ところでこの多景(たけ)島の例をはじめ、全国各地には「たけ島」とか「たか島」という名のついた島が多い(高島、竹島、武島etc.)。注目されるのはそれらの島から祭祀遺物が見つかる例があることだ。岡山市南区宮ノ浦の高島で、山頂ふきんにある巨岩しゅうへんから祭祀遺物が見つかったことはすでに紹介した。 

 和歌山県有田郡湯浅町にある鷹島は、明恵の「われ去りてのちにしのばむ人なくは 飛びて帰りね鷹島の石」の歌で知られるが、古墳後期の製塩遺跡が発見されており、大量の製塩土器に混じって仿製内行花文の破片や、勾玉と管玉が入った状態の古式の土師器も見つかっている。これらは祭祀遺物と考えられている。  

鷹島遠景(中央)
手前は明恵が創建した施無畏寺。明恵は航海神と縁が深い

 「たけ島」とか「たか島」という名の島から祭祀遺物が見つかるのは、おそらくこれらがほんらい「嶽島」の意で、古代においては島神として信仰を受けていたからだろう。 

 総じて、各地の「たけ島」「たか島」は港から目立つ場所や、航海の要所にある場合が多い(領土問題が起きている竹島はいずれのケースにも該当しないが、あれは近世まで松島という名前だった。)。例えば唐津湾の高島は、唐津港を守護する島神として倭人伝の頃から信仰されていたと思う。岡山市の高島と並んで神武天皇の「高島宮」の候補地になっている岡山県笠岡市の高島は航海の要所にあり、やはりかつては島神だったろう。このほか、近年、元寇の沈没船が近くの海底で発見されて有名になった伊万里湾に浮かぶ長崎県松浦市の鷹島などがある。 

 愛知県蒲郡市にある竹島は日本七弁天の一つに数えられる八百富神社の境内となっているが、島の全域には国の天然記念物に指定されている貴重な暖帯林が見られる。こうした植生が手付かずで残されているのは、この島が古くから信仰の対象として大切にされていたためだろう。竹島はハズ世界の一員だ。 

 伊豆国は東日本において陸奥国の100社についで式内社の数が多く(88社)、それだけに祭祀遺跡も多い。中でも下田市須崎の恵比須島と下田市田午の遠国島のそれは島にある特異な立地で知られる。これらもふきんを航海する者たちが、海上の安全を願って祀った島神ではなかったか(もっとも、この二つの島は祭祀が行われていた頃は本土と地続きで、波による浸食を受けて切り離されたという説もあるが。)。

恵比寿島

遠国島

 関東の島神としては『常陸国風土記』信太郡条に登場する「浮島」の例が挙げられるだろう。 

「乗浜の里の東に、浮島の里あり。長さ二千歩、広さ四百歩なり。四面絶海にして、山と野交錯れり。戸は一十五烟、田は六七町余りなり。居める百姓、塩を火きて業と為す。而して九つの社在りて、言と行を謹慎めり。」 

 現在の霞ヶ浦はかつては海だったが、そこに浮島という島があり、十五戸ほどの人家があって、島民は塩を焼くのを生業としている。島内には九社の神社があるため、彼らは言葉と行動を慎んで謹厳な生活を守っているという。 

 浮島は現在の茨城県稲敷市にあるが、島内からは古墳時代の祭祀遺物が発見されている。また、近くにある広畑貝塚からは炭酸カルシウムが付着した縄文式土器が出土し、製塩に使用された土器としては最古級のものとされている。この島ではかなり古くから製塩が行われていたことになり、風土記の記事を裏付けるものである。塩焼きを生業にしながら神に仕える暮らしをしているというのは、先ほど紹介した製塩土器とともに祭祀遺物が出土した鷹島遺跡の例も思い出させる。また現在でも伊勢神宮では、神饌に使われる塩を古式の製法で作る「御塩づくり」が行われており、神道と塩には深いつながりがあるが、浮島の例はそれが始まったのがずいぶん古い時代であったことを感じさす

浮島全景
浮島は干拓により昭和四十年代前半に本土と地続きになった
現在は海の代わりに田んぼやレンコン畑が周囲に広がっている

 それはともかくこの島が位置しているのは東海道が下総国から常陸国へ入る古代交通の要衝であり、風土記の時代に人家が十五戸しかなかったにも関わらず神社が九社もあったのも、こうした立地からこの島が海上交通を守護する島神として信仰されていたからだろう。 

 東北の島神の例としては、宮城県石巻市の小金山神社が鎮座する金華山や、宮城県気仙沼市の「緑の真珠」大島などが挙げられる。また、福島県いわき市小名浜にある住吉神社は、陸奥国磐城郡の式内社だが、当社の鎮座する小丘はかつては海に浮かぶ島であったと言われている。実際に社殿の背後にある巨岩の磐座は、表面に波による浸食の跡が残っている。

住吉神社々殿

社殿背後の磐座には波による浸食の跡が残っている

 

ハズセカイ系とは何か(5)」につづく

 

 

 



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