神社の世紀

 神社空間のブログ

神社とは何か(2)

2012年07月15日 11時44分28秒 | 神社一般

★「神社とは何か(1)」のつづき

 中世史家の井上寛司は近年の書物で、従来と全く異なる神社の定義を提出している。井上による当該の書物は、『日本の神社と「神道」』と『「神道」の虚像と実像』であるが、特に後者は講談社現代新書から出版されたもので、かなり広く読まれていると思う。その第一章「神社の誕生」からちょっと長めに引用してみる。 

「日本に固有の宗教施設である神社は、弥生時代やそれ以前の時代にさかのぼる農耕儀礼のなかから自然発生的に成立したものだとする理解が、一種の社会常識として今日も広く受け容れられている。こうした考えは、第二次世界大戦後に建築史家の福山敏男によって定式化され、それが「神道」の理解とともに一般に広まったものであった。
 福山が指摘するのは、神社が自然信仰(アニミズム)そのものであり、その延長線上に位置するということにある。福山は次のように指摘する。 

「極めて古い時代には、主として農耕の季節的な行事などに結びついて、祭の時に臨んで一定の神域に於て神霊の来臨を仰いだと思われるが、次第にその祭事が恒例化して、毎年一回とか二回とか定まったときに仮設の神殿が造られ、祭事が終わると取り壊されていたものが、更に固定化して恒久的な性質を持つ神殿建築やそれに付随する種々の建物が出来るようになったらしい。」 

 そして、これに対応して神社は
  (a)神籬(臨時の神の座とされる常緑樹)・磐境(神を迎え、祭るために岩石などを用いて設けられた祭場施設)」
    (b)神殿のない神社
    (c)仮設の神社
    (d)常設の神社
 と、それぞれ変化・発展していったという。」
    ・井上寛司『「神道」の虚像と実像』p22~23
   
 こうした現在、一般的に行われている「神社」の理解を確認した上で井上は、「しかし、こうした神社についての理解は、いくつかの重大な問題点を抱えていると考えなければならない。」とした上で次のように述べる。 

「いちばん検討されなければならないのは、「神社」という呼称・用語そのものが、律令制成立過程のなかで新たに生まれたもので、それ以前にはさかのぼらないということである[西田長男 一九七八]。
 神社が成立するには、もちろんそこにいたる長い歴史が存在すると考えなければならないが、しかしそれはあくまでも前史であって、神社そのものとは区別する必要がある。神社とそれ以前の祭祀施設(ヤシロ、ミヤ、モリ、ホコラなどと称された)とを不用意に結びつけて理解したために、神社とはなにかがきわめて曖昧なものとなってしまった。(p24)」 

「では、神社とはなんなのか。そのもっとも重要な特徴は、福山が(d)として指摘したように常設の社殿をもつ宗教施設だということにある[三宅和朗 二〇〇一]。常時そこに神(祭神)が鎮座する者として、これを信仰の対象として種々の祭礼や儀礼が執りおこなう。こうした恒常的な神殿をもつ宗教施設、それこそが神社にほかならないのである。
 神社をこのように捉えなおしてみると、そこにはいくつかの重要な問題が含まれていることがわかる。
 神社とは、信仰形態という点でそれ以前と大きく異なるもので、そこに大きな質的な変化が認められる。神社成立以前の、福山のいう(a)~(c)では、神が神霊であるなど、人間の目には見えないものとされ、したがって祭礼の度ごとに神を招き降ろし、榊・岩石や人などの依代に憑依させることが不可欠とされた。これは、原始的社会以来の伝統にとづくアミニズム(自然信仰)特有のカミ観念を前提とする信仰形態ということができる。これにたいし、神社成立後にあっては、祭神が常時神殿に鎮座するものとされ、この固定化された祭神そのものが信仰の対象とされる。これは、本尊を祭ってそれを信仰の対象とする寺院と、その契機において本質的に異なるところがない。」
    ・井上寛司『「神道」の虚像と実像』p24~25 

「このことから、偶像崇拝的な信仰形態の成立、福山いうところの(c)から(d)への転換は自然史的な過程ではなく、人為的・政策的なものであったことが推測できる。実際のところ、天武十年(六八一)から始まって、律令政府は再三にわたって神社(神殿)を造営するよう命じていて、それが律令政府の国家的な政策にもとづくものであったことがわかる。その起点となった『日本書紀』の天武一〇年正月己丑(十九日)条には、「畿内及び諸国に詔して、天社・地社の神の宮を修理せしむ」(原漢文)と記されている。
 天神・地祇の神々を祭る神の宮(神殿=神社)を造営せよとの天武天皇の命令を伝えたもので、ここにいう「修理」は「神社」と同じく律令用語のひとつとして新しく生まれたもので、造営のことを意味している。
 天皇(国家)の命に基づいて造営された常設神殿をもつ宗教施設こそが成立期の神社の姿であり、国家(具体的には、国家の公的祭礼の執行と全国の神社・神官の統括・管理を任務とした神祇官)の保護と管理・統制の下に置かれたところから、一般にこれを官社(神祇官社)と称した。」
    ・井上寛司『「神道」の虚像と実像』p25~26 

 要するに神社とは常設の社殿をもつ宗教施設で、その成立は初期の律令国家がそれを造営したことに求められるというのだ。そこには、当時の祭政一致社会の中で、各地の神社を官社化=有・社殿化することにより、中央権力による地域支配が強化できるという目論見と、外来の仏教への対抗宗教として神道を特権化するには、「ハコもの」として寺院に対抗できるような宗教建築の整備が必要だった、という背景があった

 

神社とは何か(3)」につづく