神社の世紀

 神社空間のブログ

神社とは何か(1)

2012年07月04日 22時31分29秒 | 神社一般

 神社が古代にさかのぼる原始的な在来信仰をルーツとして、長年月にわたって、さまざまな契機を取り入れながら日本人の宗教生活上に命脈を保ったことは言うまでもない。そしてこのように優れて歴史的な存在である神社について、その起源が問われるのはむしろ当然のことだと思う。じっさい、神社いっぱんについて触れられた書物を読むと、必ずといっても良いほど起源のことが触れられている。また、個別の神社でも創祀についてわかっている場合は、由緒においてそのことが必ず記されているものだ。神社とは何かについて考えるにあたっても、まず起源の問題について考えることから始めたいと思う。

 神社の起源を問う前に、まず神社が成立する以前はどのような祭祀が行われていたかを見ておく。 

 古い時代の祭祀は、祭りが行われた後は祭場を元の状態に復元し、儀式に使用された道具もそのつど、廃棄されたという。考古学者も土坑の中から祭具がまとまって見つかるのは、使用済みのそれを捨てた跡として通常の祭祀遺跡と区別している。
 だがその場合、祭りを行う場所は決まっていたのか、それとも祭礼毎に選定し直される一回性のものであったのかという疑問が生じる。 

 神社いっぱんに関して書かれた書物の中でもこのことに関してはわりとブレがあるようである。例えばたまたま手元にある2冊の書物でも、『神社』(岡田米夫、近藤出版社)には「ヤシロは屋代で、神を祭る場所(神庭)をさしており、古くはこの祭場そのものは特定地であっても、祭礼に臨んでそこに神を迎えるための簡単な建築物を設け、祭が済むとこの一般的(←「一次的」の誤植?)な仮屋は撤去したのである。(p11)」とあるが、いっぽう『日本の聖地ベスト100』(植島啓司、集英社新書)には「アジアの国々では、聖地はアド・ホック(暫定的)なもので、祭りが終わるときれいに片づけられ、たちまち普通の場所へと戻される。ある特定の祭りの期間だけ聖地として崇められるが、それが終わるとたちまち村の一角へと格下げされてしまう。それこそ聖地の本来のありかたであった。「不動の聖地」という考え方が生まれるのはもっとずっと後の時代になってからのことであろう。(p10~11)」とある。両書とも祭礼が終わると祭壇や祭具の類が撤去されたとする点は共通しているが、祭礼の場所が特定したものだったかどうかについては考えが分かれている。 

 このことに関し私は、古代人が祭礼が終わるたびに祭具類を破棄していた時代は、祭礼の場所も一定していなかったと考えている。彼らが祭具類を廃棄したのは、聖なる時空は日常のそれと隔絶していることを強く意識したためだったと思う。聖なる存在は畏怖すべき存在である、したがい、その痕跡や記憶が日常の時空に残ることを極力、避けねばならない、── ここにはそんな思考態度が感じられる。その場合、彼らは「聖地」の誕生を恐れた。祭礼が終了するたびに祭具を廃棄していた古代人は、その場所もまた特定化させず、1回ごとに選定し直したのだ。およそ神社的なものからこれほど遠いものもないだろう。  

 では、こうした神社成立以前に行われていた場所性の極めて希薄な祭祀から、どのようにして神社が誕生したのだろうか?

 神社の起源については定説となった説明がある。すなわち、原初の神社には社殿がなく、代わりに山や樹木や岩石のような自然物を信仰の対象にしており、現在のように常設の社殿が設けられるようになったのは後世になってからだ、というものだ。じっさい、現在でも古社の中には奈良県の大神神社のようにそうした原始的信仰のスタイルを残したものがいくつかある。

奈良県の大神神社は拝殿だけで本殿はなく、
背後にある三輪山を神体として祀っている

 注意しておきたいのは、常設の社殿ができたということが神社成立の絶対条件ではない、ということだ。それはあくまでも今日のわれわれがイメージするような神社の成立にすぎず、そのいっぽうで社殿がなく自然物を崇拝していた頃の神社は神社でなかった、ということにもならない。社殿があるかどうかは、神社成立の絶対条件ではないのである。 

 では、神社の起源は山や岩などに対する古代人の素朴な信仰に求められるものとして、そのことの何が神社を成立させる決定的な契機となったのだろうか? 

 前掲書『日本の聖地ベスト100』には、さっき引用した部分の少しあとに続けて次のようにある。 

 「聖地が特別なものであるということを示すには、結界を張り、そして、それを恒常化するために、四方に榊(柱)を立て、しめ縄をはりめぐらすだけでなく、そこを特別な場として固定する目印を必要とするようになる。それをプリミティブな順に挙げると以下のようになる。
  (1)神籬
  (2)磐座
  (3)磐境
  (4)神奈備
  (5)社・神社
 もちろん、それらのいくつかは区別がはっきりしないし、同時に存在することもある。(p11)」

 ここで著者は、古い時代の祭場はアド・ホック(暫定的)なもので、その場所は一定していなかったという上述の議論を前提に、そこから聖地が生まれるには場所を固定するための目印が必要であったとしている。そしてその例として神籬や磐座から神社(ここでの「神社」とは社殿のことだろう。)までが並べられているのだが、それらの間にはどれだけ原始的であるかという程度の差があるだけで、目印としての機能するという意味では本質的に同じものとして扱われている。

 要するに山や石や樹木が原初の神社となりえたのは、たんに古代人がそれらに信仰心を抱いたからというだけでなく、それらが地面に定着していて場所を固定化する機能を持つためなのだ。そしてそれによって祭祀の場所が特定されることが、神社成立の契機なのである。これはなかなか透徹した議論ではないか。少なくとも従来から行われてきた、自然物に対する原始的なアニミズムの信仰がそのまま神社に発展した、という説明では取りこぼされてきた面に光を当てているように思われる。 

 このことと併せて次のようなことも注意される。すなわち、原初の神社が神体として祀っていた自然物は、山、岩石、樹木、湧泉のようにすべて地面に定着したものなのだ。いっぽう巨大な入道雲や美しい夕焼けや猛烈な嵐や稲妻も、古代の人びとに畏怖の念を呼び起こしただろうが、寡聞にしてそうした気象現象を神体として祀った神社の例は全く聞かない(風雨や雷の神を祭った神社というのはあるが、神体としてそれらの自然現象じたいを祀っていたという例はない。)。これはこうした現象が地面に定着したものではないため、場所を固定化する働きを持たなかったからなのだ

 

神社とは何か(2)」につづく