ファミリー メンタル クリニック

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女王の教室から考えたこと 9 自己評価

2005年09月24日 | 児童精神医学
最終回の誰が何といおうと私は私のやり方があるんだ!(直接そんな科白じゃないけど)和美ちゃんは発言しています。
でもドラマの後半あたりでは、ホントはいつもびくびくして自信がなくて、ママの顔色ばかり見ていた・・・と告白する場面がありました。

よく自分らしくやればいいと言うかもしれませんが、自分自身を評価するときに幼いときは、周りから「良くできたね!」「上手上手!」「おりこうさんね!」「うちの子は天才だ!(笑い)」とか言われる自分を意識していくのです。
だから自己評価とは、他人から自分がどのように見られているのかの、評価になってきます。
友人からシカトされると自分自身が存在しないような気にさえなってしまいます。
由介はその不安が著しく強い子として登場しています。常におちゃらけていることで自分を保とうとしていました。
自分の周りの友人が楽しそうにしているので、自分も安心していられる。
周りがイライラしてると何か変なこと言ったのかな・・・と落ち込んでしまいます。

そんな自分と他人との間で自己評価をしてしまう人が多い中で、由介のおじいちゃんが他人の視線を気にしながらも、自己評価がきちんと出来ている人物だったのでしょう。おばあちゃんと呼びなさいってところはサイコーです。
その反対の軸にいるのが、教頭先生です。校長になりたいのに、直属の上司である校長(泉谷)はだらしない。教育委員会に目をつけられると昇進できないというのに,部下の阿久津先生のおかげで直に学校へ視察に来るし。
生徒に視線は向かずに生徒の向こう側にいる教育委員会の評価の中にしか自分を位置づけることができないタイプの人物として描かれています。(ドラマでなく実際に多いので、ある意味共感しやすいかもしれないですね)

思春期の自己評価は,他人の視線から反射する自分像として見てしまう傾向が強いので、ちょっと友達に見せびらかそうとしたレア物の財布でとんでもない事件がドラマでは起きてしまいました。
そして、犯人の子は誰にも見られないように焼却・隠滅しようとしたのです。
他人の目の中にある自分がホントの自分で、他人の視野にいない自分は何をしてもOKだと錯覚しているかのようです。
恐らく真矢はその現場をデジカメか何かで写しているのでしょうが。(笑)

昔は、そんなことするとオテント様に申し訳が立たねえ・・・と自分の視線から自分を見ていたようです。(それが可能となる年齢は明らかに今より早かったでしょう)
出来るだけ早く、自分の視線で自分を評価できるようになると、どんなにか生きることが楽になるでしょうか。

でもホントはかなり難しいことのようです。
バルセロナオリンピックで銀をもらい、次回アトランタで銅の女子マラソン有森選手は、銅の時に「生まれて初めて自分で自分をほめたいと思いました」とコメントしていました。
これが自己評価の本質です。2位が3位になったわけですから、他人の視線の中で自己評価をしていると出てこない言葉です。
苦しい4年間を精一杯やり通した彼女だから出てきた言葉です。そしてバルセロナの時よりも見ていた僕は感動しました。

きっと阿久津先生は言うでしょう「いい加減目覚めなさい。他人のためにご機嫌をとって奴隷のように生きていくつもりなの。それは自分に自信がないからでしょ。そうよね、自分に自信が持てる程あなた達が一生懸命努力しているようには見えないわね。だからいつも他人の目ばかり気になるんです。誰も見ていなければ勉強しないでもいい、悪いことをしてもいい、そんなことで、自分自身を愛し慈しむ人間にあなた達はなれるかしら。きっと無理ね。」

「その10 不在」へ続く

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1 Comments

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追記 (なかまた)
2005-10-04 18:04:32
このblog後半の真矢の言葉は、結構厳しいのですが、一方で由介のおじいちゃん(おばあちゃん)は、きちんと自己評価が出来た人間だと阿久津先生が認めています。

そこのバランスを見ながら読んで頂けるといいかなあ。
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