「喜雅楽」僅かばかりにとりとめもない喜びを探しながら大小の障壁を出来るだけ取り除き笑いと穏やかな気分を取り戻せる様にと。

日常に見い出せる僅かばかりの感動に気付くことの大切さを実感しつつ、未来はこんなであってほしいと願いつつ!

原発再稼働は❝認める❞として

2014-12-09 11:23:13 | Weblog
現在点検保守中の原発の再稼働は新基準に適合後認めることにしても、廃止時期の年次を明確に表記し時期の延長は何を理由にしても認めない、と法律で確約明言すべきではないか。

最終処分場の無い現状で、確約された廃止時期によりその原発設備は廃止され使用済み燃料の長期保管をその原発施設で行う であれば各原発での最終保管能力を考えれば稼働出来る原発の寿命も自ずと決まるはずだ。

廃炉後の施設内で、先の見えない長期保管が不可能であり現実的で無いのなら、原発再稼働そのものが不可能 と言う事になる。

原発電気料金が安いと言われるが、補助金等の税金投入が有って初めて成立することであれば、安くは無いその補助金の10%でも再生可能エネルーギー分野に投じれば産学官の発展は計り知れないと考える。

また、廃止された原発の施設用地には再生エネルーギー設備の立地最適地が多いと考えるがどうでしょうか。

廃炉の管理をしながら、再生可能エネルギーを生み出して行く、技術者のやる気を落とさずポテンシャルを高めていく場所がそこに発生するのでは、と考えます。

投稿から遠く離れて時が過ぎ今また再開

2014-12-02 15:17:45 | Weblog
もう長い時の間ささやきを離れていました。

世の中はすっかり変わった様な気がしますが、世界の出来事がどの様に変化しても権力を取り巻く人々の欲望だけは変わらず有るものですね。

最近時々思うのですが、世の中に伝わる数ある宗教はどれも“自分が死後に天国へ、極楽浄土へ行ける様に”が目的の導きの様ですね。

でも、考えて見てください“死後の世界”つまり“遺族のその後”が死者の死後の世界ではないですか。
遺族が死者を語る時、懐かしく惜しみながら思い出すのか。
疎まれた死者が生活から消えほっとした気分で清々したすがすがしい気分で、また死者がいない生活が開放感に満たされているのか。

真実の宗教の有るべきまた伝えるべき心得は❝遺族に向けた世間の言葉が死者への感謝と畏敬に満ちた心で語られる❞心を戴けるように生前を過ごすことだと導く事ではないでしょうか。

ならば、戦争の口実に宗教を語ることはないはずです。
戦争は、権力闘争以外の何物でも無いからです。
権力がもたらす“富”が欲しいだけです。
武力で“名声”は得られません、世に“変化”はもたらしますが。

死者自らが天国や極楽浄土で過ごす事は無いと断言します。
遺族が安らかに死者を語れる生活を残す事こそ“極楽浄土”だと思います。