とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

「広告批評」1987年3月号 とんねるず10時間しゃべりっぱなし

2009年09月01日 17時58分50秒 | とんねるずの言葉


80年代のとんねるずは、「広告批評」や「ビックリハウス」といったサブカルチャー系の雑誌にひんぱんに登場していました。

今回とりあげる「広告批評」87年3月号なんて、まるごと一冊とんねるずLOVE♪の様相を呈しています。

表紙は、恐竜の絵ととんねるずの顔写真をコラージュした横尾忠則の作。
恐竜の絵を描いているのは、横尾氏の娘さんで美術家の横尾美美。

考えてみたら、とんねるずをモデルに使ったアート作品もきっとたくさん存在するはず。
その歴史をたどってみるのは、すごくおもしろいでしょうね。うむ、またひとつ目標発見。

とんねるずワンフーを公言していた当時の副編集長・島森路子さんにつれられて、浅田彰、糸井重里との対談にのぞんだとんねるず。当初は6時間の予定が、終わってみれば拘束時間10時間というとんでもないお仕事になったようです。

ただでさえ多忙なとんねるずが、丸々1日を「広告批評」のためだけに空けてるんですから、とんねるず側もこういう形の露出を当時大切に考えていたんでしょう。

さて対談の内容ですが、これがいろんな意味でおもしろいです。

まず浅田彰ととんねるず、という組み合わせ自体が意表をつくというか、なにやらハラハラさせられるというか。そのハラハラはけっこう的中していて、対談してもいまひとつ噛み合ってない感じが、逆にイイ(笑)

これ言うと浅田さんに失礼かもしれないけども、とんねるずとならんでると、どーにも浅田氏が木梨ノリ男に見えてしまって・・・ほんと、すいません。これ、ある意味ホメ言葉なんで(そうか?)。

浅田さんは一応とんねるずファンを自称していて、かなり早い時期にとんねるず論を書いたりもしていたそうです(読んでみたい)。で、給食とかスポーツとか遊園地とかの記号を通してなんとかお笑い論にもっていこうとするんだけど、いまいち乗っていかないとんねるず。というか、ノリようもないっつーか。

<野球かサッカーか それが問題だ>と題されたセクションがおもしろい。
スポーツ観戦の話になって、「サッカーは好き、野球は嫌い」という浅田さんとのやりとりに、なにげなくタカさんの鋭い洞察力があらわれてます。

浅田:サッカーはずっと動いてるけど、野球は一回ごとに仕切りをするじゃない。

石橋:でも、オレは、日本人はサッカーのほうが耐えられないと思う。野球は攻守交替がはっきりしてるから、その場面の状況を常に把握できるけど、サッカーはとにかくボールを相手のゴールに入れることだけを45分間やり続けるわけでしょう。あれは、日本人の体質に合わないですよ。サッカーが盛り上がんないの、アメリカと日本だけだもん。

日本の野球はおもしろくない、という持論をゴリ押ししようとする浅田さんに対して、タカさんが冷静に「野球と日本人」論を述べているのが興味深いところです。


なんとなく微妙に終わった浅田彰さんとの対談につづいて、糸井重里氏の事務所にむかう一行。

さすがに糸井さんはギョーカイ人だけあり、まともに真剣な話をしようとしたら逆にとんねるずにはぐらかされるだろうと敏感に察知しています。ファミコンやらモノポリーやら関係ないところから入って、知らない内に自分の土俵にとんねるずを引き込んでしまってる。とんねるずも、まだ若かったからね~素直に引き込まれちゃってます。

しかしそれが功を奏したのか、後半ではかなり深い話題になっている。

(「一気!」が急にヒットした話から)
糸井:そういう感じを、そのままテレビでやったでしょ。お笑いでもなんでもない、オレたちはいかにエラくなったか。

石橋:自慢話だもん。「テメエら、いいか、オレたち来週ベストテン出るぜ!」とか、そういうことばっかり毎週言ってた。

木梨:「スゲエだろ」って、それしか言ってない。自慢話をアレンジしてるだけ(笑)

糸井:だから、ある意味で、お笑いというよりパフォーマンスだよね。で、そのうちコントだけやってても、つまらなくなってきたの。自慢をしないと。つまり、自慢を見てるわけ。で、こいつらがどうなっても、世の中に影響ないなって感じがよかった。ようするに、宝くじに当たった人を見るようなものよ。
(後略)

当時のとんねるずの言動が「自慢」という「パフォーマンス」だった、というのがおもしろいですね。

言われてみればたしかにそうで、あれだけ爆発的なブレイクをしても「いや僕らなんてまだまだ」なんて言われてたら、逆にイヤミだったかもしれない。自分達に起こったことをむしろ客観的に見ていたからこそ、それを「パフォーマンス」にすることもできた。

それと、とんねるずが純粋な「お笑い」の文脈からはみだした「パフォーマー」だった、と見るのは、重要な視点なのだと思います。ネット上でもそのように分析している人を時々見かけますが。

ただ、そういうタレントとしてのありかたに当時のとんねるずが自覚的だったわけではなく(あたりまえだけど)、この対談のころは一種の"谷間"にあったんじゃないかと思う。「ブレイクはしたものの、さてこれからどうしよう」って時期だった。糸井さんとの対談には、そんな25、6才の若者の将来への不安みたいなものも見えかくれしています。

「どうすれば売れつづけるか」というシビアな話に終始してるんだけど、それが逆に芸能論、お笑い論の本質をついていて、非常におもしろい内容になっています。


だけど、糸井さんの「分析されたときには(芸人は)終わってる」という一言、わたしにとっては耳がイタイ・・・さんざっぱらとんねるずを分析してる自分は、まちがってるんだろーか!?

とはいえ、とんねるずが積み重ねた29年という歴史があるのも事実なわけで、そのおもしろさ、豊かさに魅せられてきた自分としては、彼らを分析するというよりもむしろ、「なぜ自分はとんねるずを愛するのか」を知りたい、ということのほうが大きいかもしれません。

そういうわけで、このブログもご容赦いただくとして・・・(汗)

29年もの歴史があるとはいっても、とんねるずはいままだ48才。
若くしてブレイクしたことが、いまの、そしてこれからのとんねるずにとってどんな意味をもつのか。25才の青年が夢を模索していたように、いまの彼らにもやれることはまだたくさんあるはず。

とんねるずを見て育った世代が、彼らの「大志」を受け継いでさらに新しいものを生み出してゆく、そこにまたとんねるずが乗っかって新しいとんねるずを見つけてゆく・・・
それが、ワンフーとしてのわたしの夢です。








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