■■■瀬島龍三とは何者か!■■■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1049011659/
703 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 10:13:04
このオーラルヒストリーを通して、私が強い印象を受けたのは、後藤田さんが瀬島龍三さんを
どう見ていたかです。 かつて私が瀬島さんの自伝『幾山河』を読んだとき--瀬島さんの自伝
にはい ろいろ問題があるのですが、最も不可解だったのが、後藤田さんについての言及が
ほとんどなかったことでした。つまり中曽根内閣は、一方で後藤田さんが支え、他方で瀬島さんが
支えていたと巷間言われているのですが、相互関係に ついて、瀬島さんはほとんど言及して
おらず、それが非常に不思議だったのです。ですから私は、それをかなり意識しながら後藤田さん
にインタヴューしま した。 結果はどうであったか-。是非、本を見ていただきたいのですが、
実は後藤田さんもまた瀬島さんについて触れた箇所が一カ所しかないのです。その場面も、
最初に中曽根さんが韓国に行くときに、瀬島さんが瀬ぶみ役になったと数 行出ているだけなのです。
では、後藤田さんが瀬島さんについてそれ以外はまったく言及しなかったか と言うと、実はもう
一つある。
略
非常に微妙なニュアンスを含んでいますが、こういう言い方をされている。 つまり、後藤田さんの
瀬島さんに対するある種の感情はここから醸成されているようにも見えるんです。だから、中曽根さんが
瀬島さんと仲がよくても、後藤田さんとしては、無視する。
中曽根さんが使う以上は、まあどうぞという、 それくらいの関係であったことがよくわかる。
なかなかインタヴューをしてい て面白い事例でした。
http://66.102.7.104/search?q=cache:4NWhBbHH8R0J:www.coe-oralhistory.grips.ac.jp/Japanese/POPE_06/06_01_03.html
704 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 10:44:25
なるほど
後藤田は瀬島が東京裁判ではソ連の立場を擁護する証言をした事を許せなかったわけだ。
生きてまだ政財界に影響力のある瀬島を直接的な言葉ではないが暗に批判していた。
中曽根が瀬島の売国的性格を解っていたのだろうか?
705 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 14:34:47
瀬島の東京裁判での証言とは具体的にどんなものだったのか?
「ソ連に対する擁護」と言うばっかりで具体的には何も知らない。
売国度で言えば後藤田が上だろうな。
典型的官僚左翼。オウム破防法も阻止したし。
706 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 21:47:13
昭和天皇の瀬島評
「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵たちを咎めるわけにはいかない。
しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き
日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。
瀬島のような者がそれだ」
(田中清玄自伝:文芸春秋:1993)
田中は「私のみるところ瀬島とゾルゲ事件の尾崎秀実は感じが同じだとね」としている。
田中は瀬島をソ連に屈服したスパイとみなしているのだろう。
708 :日本@名無史さん :2005/07/18(月) 19:10:49
KGBが作成して内務大臣(クルグロフ)に送った瀬島龍一が東京裁判での証人として
最適であるとの推薦書(抜粋)
瀬島龍一、中佐。1911年富山県松沢村生まれ。貧農出身。投降(1945年9月1日)まで
関東軍参謀部勤務。瀬島尋問書によれば、その職務の性格上、彼は対ソ戦をはじめアジア太平洋地域に
おける日本の戦争準備計画を知っていた。性格は毅然、原則は絶対曲げず、言ったことを否定したことは
一度もなかった。(訳注:彼ははじめ自らの参謀本部における任務についてソ連側にウソを言い、自分は
ウソの証言をしたと、あとで詫びをいれる)。1945年9月から1946年9月にかけての多数の質問で、瀬島は
詳細な証言を提出。その中には、自分の職務の性格に関する自筆証言を出したのみか、対ソ戦準備関連の
日本政府と軍司令部の行動を批判的に評価。これらはいずれも、彼が東京裁判の証人として適任であることを
示している。瀬島はほかの将校たちにもまして、証言、決意、言動に確固たるものがあることを強調すべき・・・
709 :日本@名無史さん :2005/07/21(木) 23:18:12
>>222
ジャーナリスト加藤昭氏が『文芸春秋』で「瀬島龍三・シベリアの真実」と題して
ソ連の対日工作最高責任者イワン・コワレンコ氏にインタビューをしていたけど、
そこでコワレンコ氏は、シベリア抑留中の瀬島龍三が日本人抑留者を前にして
「『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と絶叫していた」と暴露していた。
加藤氏は「にわかには信じがたい話」と書いていたが、コワレンコ氏は「事実だ。絶対に
間違いない」と証言。
「瀬島氏はソ連のスパイではないのか」という加藤氏の問いには「それはトップシークレット」
だとか言ってはぐらかしていたけど。
【シベリア抑留問題】
シベリア捕虜収容所において、瀬島龍三は、天皇制批判を行い、将校団の民主化運動
(共産主義洗脳)を推進し、将校達に「赤いナポレオン」とささやかれていた…。
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/siveria.htm
711 :日本@名無史さん :2005/07/21(木) 23:55:36
>>709 若干訂正
「『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と絶叫していた」
↓
「『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」
712 :日本@名無史さん :2005/07/22(金) 12:44:21
佐高信が『噂の真相』で書いていたけど、瀬島にインタビューした『サンデー毎日』の編集長
にその時の話を聞いたら、記事にする事前に原稿を瀬島にチェックされたんだって。
「大本営陸軍参謀」という彼の紹介文に線を引き、「大本営陸軍参謀兼海軍参謀」に書き直さ
れ、「陸軍参謀と海軍参謀を兼任していたのは私だけだったんだ」と自慢。
さらに、「中曽根首相の密使として韓国へ・・・」という部分で怒り出し、「私は中曽根ごときの
使い走りではない!!」とのたまったんだって。
佐高は、「この男にはいろいろ伝説が出来上がっているが、伊藤忠時代にも大した実績は
残していない」と酷評。バブルに浮かれて巨額の損失を出したりもしたそうだ。
714 :日本@名無史さん :2005/07/22(金) 13:48:48
>「陸軍参謀と海軍参謀を兼任していたのは私だけだったんだ」と自慢。
陸軍の参謀が海軍(GFの場合だが)の参謀を兼ねたのは瀬島だけではないが
谷川一男(s18/3~20/8)、美山要蔵(19/6~20/2)、吉本重章(20/5~
島村矩康(18/9~20/1)、瀬島龍三(20/2~20/7)、井本熊男(20/5~
不破博(20/6~20/8)、晴気誠(20/7~20/8)。
716 :日本@名無史さん :2005/07/22(金) 14:05:31
>>715
瀬島自身の言葉によれば、「沖縄作戦のころ聯合艦隊司令部が九州の鹿屋にあって(間違い)
そこにいたわけです。というのは、九州方面の陸軍の航空兵力を聯合艦隊司令長官が統一指揮
することになった、そういう関係で私も行ってたんですね」。鹿屋にあったのは第5航空艦隊司令部
(例の宇垣纏が長官)。陸軍参謀が海軍に出向したのは、陸海軍の意思の統一や共同作戦で連携を
密にする狙いがあったはずだが
721 :日本@名無史さん :2005/08/10(水) 01:54:13
そもそもフィリピン戦があのような惨憺たる戦いになった元凶は、当時大本営参謀であった
瀬島氏(陸士44期)が、鹿屋に派遣されていた堀栄三参謀(陸士46期)の、昭和19年10月に
フィリピン戦のさきがけとして行われた台湾沖航空戦の戦果誤認訂正電報 (堀参謀は海軍
の戦果発表に疑問を抱き、独自に調査した結果、海軍の戦果発表は全くの誇大である事実
<註1・これを元にフィリピン戦を行えば確実に齟齬が生じる> )を大本営に打電した。
瀬島氏がその電報を握り潰したせいで、連合軍の艦隊は壊滅状態という海軍のでたらめな
発表を元にフィリピン戦の作戦が立てられ、あのような大東亜戦争で最大の犠牲をもたらし、
フィリピン国民にも多大な迷惑をかけたのである。
http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/yamashita.htm
以前読んだ陸軍参謀朝枝繁春の瀬島龍三についての証言で、
「インパール作戦の現状を視察した杉田参謀が軍を撤退させるべき意見を電報で具申した。
その後杉田さんが帰国して作戦室に入ると瀬島が激昂して先輩の杉田参謀に向かって、
「この馬鹿野郎!なんちゅう事を言うんだ」と怒鳴って物を投げつけた」
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/past/log30-8.html
731 :日本@名無史さん :2005/08/16(火) 00:41:28
>>724
この人、優秀といっても戦争理論の学術研究とかをやってたわけじゃなくて
あくまで大本営の実務家っつーか戦術屋に過ぎないから、兵学思想なんていっても
作戦要務令とか統帥綱領の域を超えるものはないと思う。
732 :日本@名無史さん :2005/08/19(金) 18:18:31
>>725
奮って、じゃなくて糞なんだw
>>731
確かに、頭がいい故の世渡り上手な面でしか評価しようがないな。
都合の悪い事は全て沈黙、自分が誉められるものしかしゃべらない。
だからこそ長生きしてるんだろうけどな。
733 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 09:24:33
瀬島は今のところグレーという評価だが、
白側の応援といえば岡田啓介コネクションという点だろうな。
岡田と思想的に近くなければいくら縁戚でも私的諜報員などやらんだろうという推測が働く。
734 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 10:13:27
>>730
それで瀬島は敗北主義者認定くらって満州に飛ばされた
735 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 16:53:56
『この国のかたち四(文芸春秋)』の「日本人の二十一世紀」で、司馬さんは書いている。
「かつて『文芸春秋』で瀬島龍三さんと対談したことがありました。(昭和49年1月号)
瀬島さんは大本営参謀として大東亜戦争のプランを作った人です。
そのなかで『「作戦用務令」に、兵力は分散させてはいけないと書いてありますが、
あの戦争というのは、太平洋の島々に兵力を少しずつ送って、敵が来るのを待ってただけ
じゃないですか。』と言ったら、『先生、それはひどい、それはひどい』とおっしゃっていた」
736 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 19:51:01
司馬の戦史知識もお粗末だがな…瀬島氏と作戦、戦史をネタに論議をしたら、司馬なんてハナクソだろうよ… 大人なんだよ瀬島氏は。(瀬島氏の責任は別だが)
738 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 20:44:00
>>735
司馬さんもいやらしいな。
陸大首席卒業者で「作戦要務令」全文を暗唱できた人間にあえてそんな皮肉をかますとは。
兵力を集中したくても充分な輸送船がない、また片っ端から撃沈されてしまう状況では
いかに陸大首席の切れ者参謀でも如何ともしがたい。
まあ司馬さんは旧軍指導層に対する憎しみと偏見に満ちてるから。
740 :日本@名無史さん :2005/08/21(日) 11:10:38
>>738まったくその通りですね。司馬の軍事知識戦史知識っていうは彼が軽蔑していた陸軍軍人よりはるかに低いですよ。専門家の書いた戦史を読めば、彼の抱いていた戦争観がいかに悲愴な批判かわかる。(表面の事実の差異ではなく、裏にある彼の真相の認識がお粗末)
741 :日本@名無史さん :2005/08/21(日) 12:21:37
>>734
同僚だった朝枝参謀が『月刊宝石』で語っていたところによると、
仮病を使って大本営を抜けたらしいよ。
満州に転じ、モスクワ日本大使館へのクーリエとかをやっていた。
要は、ソ連軍を満州に導く裏工作だろ。
コワレンコが文芸春秋で語っていたけど、瀬島はソ連軍参戦時期を読み誤ったらしい。
わざとだろ。
746 :日本@名無史さん :2005/08/21(日) 13:54:58
>>742
たしか、瀬島は、秦彦三郎関東軍総参謀長から佐藤駐ソ大使に宛てた書類が入った
アタッシュケースを託されてモスクワに向ったと思うが。
関東軍での作戦参謀としても、ろくでもなかったようだが。
かの瀬島龍三参謀も19年12月~20年1月にクーリエとしてソ連に赴いています.
http://mltr.e-city.tv/faq16.html
ソ連軍戦車や軍隊が、シベリア鉄道を東へ向かって延々と流れていった。
ソ連への密命をおびて西へ向かう、シベリア鉄道の車窓から見ていた、と、
瀬島龍三氏が話していた。
http://blog.qlep.jp/blog.php/17376/5496?categ=1&year=2005&month=8
余談ですが、未だにフジテレビあたりでデカイつらをしている元関東軍
参謀の瀬島龍三は、入植者に何の情報も与えないまま、関東軍を朝鮮国境
まですやかに撤退させた張本人です。
ソ連軍の電撃的な侵攻は、関東軍が全面的に撤退していたから可能だった
http://www.freeml.com/ctrl/html/MessageForm/peace@freeml.com/5125/
747 :日本@名無史さん :2005/08/21(日) 16:57:42
>>735
さりとて、保阪に突っ込まれると話題を少しずつ関係ない方に横滑りさせて行き、質問の本論とまったく関係
ない話題に変わると極めて雄弁だったそうな。
保阪は「実に頭のいい官僚だと思う」って書いてたけど、そりゃ褒めてるんじゃなくて皮肉だろ。(w
755 :日本@名無史さん :2005/08/30(火) 15:56:08
シベリア抑留といっても、実際は厚待遇だったんじゃなかったっけ?
756 :日本@名無史さん :2005/08/30(火) 22:49:33
ソ連側の手先として働いた奴(日本に帰ってきて赤化運動に積極的だった奴)は優遇された。
それが条件で抑留期間が短かったりした。「にほんしんぶん」協力者とかな。
自身の保身のため、同じ日本人をファシストとしてつるし上げたりした人間だ。
おかげで日本人は平気で仲間を売るとドイツ人などから言われてる。
757 :日本@名無史さん :2005/09/17(土) 04:24:38
何で瀬島が駄目なんだ?
頭脳超優秀な上に政治力、実行力も備え義理人情にも厚いと聞く。
えっ?大戦時の責任感が皆無な上ソ連のスパイの疑いすらあるって?
そんなのしょうがないじゃん。しょせん彼は富山の百姓の息子なんだよ。
でも頭よかったんだよ。50人しか採らない幼年学校優秀成績で
卒ったんだよ。陸大時代だって天皇の前で演説組だよ。単に優秀なだけで
なく上司、教師への覚えも目出度かったまさに期待のエリートだったのさ。
これぞまさに明治以来日本の誇る学歴系空気読み系エリート!
でも根は百姓。臆病だって無責任だって当たり前ジャン。
官僚組織の一部だっただけなんだから自分に責任を伴う権力が発生してた
自覚も多分無い。ああこれこそ日本的エリート!田舎者でキレ者、
おべんちゃらと政治力の区別もつかない切実な出世願望、そしていざとなっ
たらただの腰抜け、卑怯者。優秀な日本官僚のある典型タイプとして
後世に語り継ぐべきお人です。でもマジで根は素朴な爺さんらしいよ。
戦略的、姑息的過ぎるのは軍事学校の戦略優等生の性だとしたら
ちょっとカワイソ。
758 :日本@名無史さん :2005/09/17(土) 04:38:40
瀬島の権力者の自覚が無く、それゆえに結果に対する責任意識も無い
学歴エリート官僚の精神構造や、出自が社会上層でないがゆえの
貴族的責任感の最初からの喪失がいざという時のまさに庶民的な
命乞い姑息選択を生む貧弱な自意識は日本高級官僚研究のいい材料だ。
腰抜けで卑怯者な彼の敗戦時の身の振り方は実は一般日本人に最も
ティピカルなものだった。でもそれを中枢にいた者がやっちゃいけ
ねえ、って言う当たり前のことが官僚機構にいた当時の学歴エリート
たちには瀬島だけじゃなくみんなわかっちゃいなかった。
まさにお里が出たって感じですわ。
759 :日本@名無史さん :2005/09/17(土) 04:46:36
頭脳は超優秀だったらしいけどね。でもやっぱ責任感無さ杉、卑怯杉。
760 :日本@名無史さん :2005/09/17(土) 04:56:03
でも伊藤忠はバッジの受注でたいそう儲けました。
ただ瀬島のキャリアでこのことはタブー視されてる。
で、勢いナントカ化学の間抜け買収や土地のヘボい買い漁りっつー
後の伊藤忠の2大重荷になった前科ばかりが言われてる。w
けっこう間抜けなジジイだ。参謀としては優秀でも商売のセンスは
はっきり言ってゼロ。ペプシが日本でコカコーラの足元にも
未だ及ばないのは当時の瀬島にみそめられた不運です。w
761 :日本@名無史さん :2005/09/17(土) 05:07:32
ただの繊維商社だった伊藤忠が防衛庁関係の食い込みを期に一気に
総合商社になった事実は瀬島の功績と言うか戦後の防衛庁の実態を
物語ってる。日本が腐ったのはやっぱこの辺りの時代からだな。
768 :日本@名無史さん :2005/10/05(水) 16:47:21
大本営参謀連中は、天皇の戦争責任無しと同時に放免されたから
まんまと生き残ってるんだろ?
火事場泥棒みたいに、どさくさに紛れまんまと生き延び、責任放棄する狡猾さ
そんな瀬島を使って、大勲位がもらえる国だからな。
>764-765
そういう機運が高まった、1990年頃瀬島がソ連の高官に合って
「過去の事」だからと、資料公開で、余計な波風立てないようにとか言ったらしいな。
さすが「賢い」な。ズルがつくけど。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1049011659/
703 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 10:13:04
このオーラルヒストリーを通して、私が強い印象を受けたのは、後藤田さんが瀬島龍三さんを
どう見ていたかです。 かつて私が瀬島さんの自伝『幾山河』を読んだとき--瀬島さんの自伝
にはい ろいろ問題があるのですが、最も不可解だったのが、後藤田さんについての言及が
ほとんどなかったことでした。つまり中曽根内閣は、一方で後藤田さんが支え、他方で瀬島さんが
支えていたと巷間言われているのですが、相互関係に ついて、瀬島さんはほとんど言及して
おらず、それが非常に不思議だったのです。ですから私は、それをかなり意識しながら後藤田さん
にインタヴューしま した。 結果はどうであったか-。是非、本を見ていただきたいのですが、
実は後藤田さんもまた瀬島さんについて触れた箇所が一カ所しかないのです。その場面も、
最初に中曽根さんが韓国に行くときに、瀬島さんが瀬ぶみ役になったと数 行出ているだけなのです。
では、後藤田さんが瀬島さんについてそれ以外はまったく言及しなかったか と言うと、実はもう
一つある。
略
非常に微妙なニュアンスを含んでいますが、こういう言い方をされている。 つまり、後藤田さんの
瀬島さんに対するある種の感情はここから醸成されているようにも見えるんです。だから、中曽根さんが
瀬島さんと仲がよくても、後藤田さんとしては、無視する。
中曽根さんが使う以上は、まあどうぞという、 それくらいの関係であったことがよくわかる。
なかなかインタヴューをしてい て面白い事例でした。
http://66.102.7.104/search?q=cache:4NWhBbHH8R0J:www.coe-oralhistory.grips.ac.jp/Japanese/POPE_06/06_01_03.html
704 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 10:44:25
なるほど
後藤田は瀬島が東京裁判ではソ連の立場を擁護する証言をした事を許せなかったわけだ。
生きてまだ政財界に影響力のある瀬島を直接的な言葉ではないが暗に批判していた。
中曽根が瀬島の売国的性格を解っていたのだろうか?
705 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 14:34:47
瀬島の東京裁判での証言とは具体的にどんなものだったのか?
「ソ連に対する擁護」と言うばっかりで具体的には何も知らない。
売国度で言えば後藤田が上だろうな。
典型的官僚左翼。オウム破防法も阻止したし。
706 :日本@名無史さん :2005/07/15(金) 21:47:13
昭和天皇の瀬島評
「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵たちを咎めるわけにはいかない。
しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き
日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。
瀬島のような者がそれだ」
(田中清玄自伝:文芸春秋:1993)
田中は「私のみるところ瀬島とゾルゲ事件の尾崎秀実は感じが同じだとね」としている。
田中は瀬島をソ連に屈服したスパイとみなしているのだろう。
708 :日本@名無史さん :2005/07/18(月) 19:10:49
KGBが作成して内務大臣(クルグロフ)に送った瀬島龍一が東京裁判での証人として
最適であるとの推薦書(抜粋)
瀬島龍一、中佐。1911年富山県松沢村生まれ。貧農出身。投降(1945年9月1日)まで
関東軍参謀部勤務。瀬島尋問書によれば、その職務の性格上、彼は対ソ戦をはじめアジア太平洋地域に
おける日本の戦争準備計画を知っていた。性格は毅然、原則は絶対曲げず、言ったことを否定したことは
一度もなかった。(訳注:彼ははじめ自らの参謀本部における任務についてソ連側にウソを言い、自分は
ウソの証言をしたと、あとで詫びをいれる)。1945年9月から1946年9月にかけての多数の質問で、瀬島は
詳細な証言を提出。その中には、自分の職務の性格に関する自筆証言を出したのみか、対ソ戦準備関連の
日本政府と軍司令部の行動を批判的に評価。これらはいずれも、彼が東京裁判の証人として適任であることを
示している。瀬島はほかの将校たちにもまして、証言、決意、言動に確固たるものがあることを強調すべき・・・
709 :日本@名無史さん :2005/07/21(木) 23:18:12
>>222
ジャーナリスト加藤昭氏が『文芸春秋』で「瀬島龍三・シベリアの真実」と題して
ソ連の対日工作最高責任者イワン・コワレンコ氏にインタビューをしていたけど、
そこでコワレンコ氏は、シベリア抑留中の瀬島龍三が日本人抑留者を前にして
「『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と絶叫していた」と暴露していた。
加藤氏は「にわかには信じがたい話」と書いていたが、コワレンコ氏は「事実だ。絶対に
間違いない」と証言。
「瀬島氏はソ連のスパイではないのか」という加藤氏の問いには「それはトップシークレット」
だとか言ってはぐらかしていたけど。
【シベリア抑留問題】
シベリア捕虜収容所において、瀬島龍三は、天皇制批判を行い、将校団の民主化運動
(共産主義洗脳)を推進し、将校達に「赤いナポレオン」とささやかれていた…。
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/siveria.htm
711 :日本@名無史さん :2005/07/21(木) 23:55:36
>>709 若干訂正
「『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と絶叫していた」
↓
「『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」
712 :日本@名無史さん :2005/07/22(金) 12:44:21
佐高信が『噂の真相』で書いていたけど、瀬島にインタビューした『サンデー毎日』の編集長
にその時の話を聞いたら、記事にする事前に原稿を瀬島にチェックされたんだって。
「大本営陸軍参謀」という彼の紹介文に線を引き、「大本営陸軍参謀兼海軍参謀」に書き直さ
れ、「陸軍参謀と海軍参謀を兼任していたのは私だけだったんだ」と自慢。
さらに、「中曽根首相の密使として韓国へ・・・」という部分で怒り出し、「私は中曽根ごときの
使い走りではない!!」とのたまったんだって。
佐高は、「この男にはいろいろ伝説が出来上がっているが、伊藤忠時代にも大した実績は
残していない」と酷評。バブルに浮かれて巨額の損失を出したりもしたそうだ。
714 :日本@名無史さん :2005/07/22(金) 13:48:48
>「陸軍参謀と海軍参謀を兼任していたのは私だけだったんだ」と自慢。
陸軍の参謀が海軍(GFの場合だが)の参謀を兼ねたのは瀬島だけではないが
谷川一男(s18/3~20/8)、美山要蔵(19/6~20/2)、吉本重章(20/5~
島村矩康(18/9~20/1)、瀬島龍三(20/2~20/7)、井本熊男(20/5~
不破博(20/6~20/8)、晴気誠(20/7~20/8)。
716 :日本@名無史さん :2005/07/22(金) 14:05:31
>>715
瀬島自身の言葉によれば、「沖縄作戦のころ聯合艦隊司令部が九州の鹿屋にあって(間違い)
そこにいたわけです。というのは、九州方面の陸軍の航空兵力を聯合艦隊司令長官が統一指揮
することになった、そういう関係で私も行ってたんですね」。鹿屋にあったのは第5航空艦隊司令部
(例の宇垣纏が長官)。陸軍参謀が海軍に出向したのは、陸海軍の意思の統一や共同作戦で連携を
密にする狙いがあったはずだが
721 :日本@名無史さん :2005/08/10(水) 01:54:13
そもそもフィリピン戦があのような惨憺たる戦いになった元凶は、当時大本営参謀であった
瀬島氏(陸士44期)が、鹿屋に派遣されていた堀栄三参謀(陸士46期)の、昭和19年10月に
フィリピン戦のさきがけとして行われた台湾沖航空戦の戦果誤認訂正電報 (堀参謀は海軍
の戦果発表に疑問を抱き、独自に調査した結果、海軍の戦果発表は全くの誇大である事実
<註1・これを元にフィリピン戦を行えば確実に齟齬が生じる> )を大本営に打電した。
瀬島氏がその電報を握り潰したせいで、連合軍の艦隊は壊滅状態という海軍のでたらめな
発表を元にフィリピン戦の作戦が立てられ、あのような大東亜戦争で最大の犠牲をもたらし、
フィリピン国民にも多大な迷惑をかけたのである。
http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/yamashita.htm
以前読んだ陸軍参謀朝枝繁春の瀬島龍三についての証言で、
「インパール作戦の現状を視察した杉田参謀が軍を撤退させるべき意見を電報で具申した。
その後杉田さんが帰国して作戦室に入ると瀬島が激昂して先輩の杉田参謀に向かって、
「この馬鹿野郎!なんちゅう事を言うんだ」と怒鳴って物を投げつけた」
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/past/log30-8.html
731 :日本@名無史さん :2005/08/16(火) 00:41:28
>>724
この人、優秀といっても戦争理論の学術研究とかをやってたわけじゃなくて
あくまで大本営の実務家っつーか戦術屋に過ぎないから、兵学思想なんていっても
作戦要務令とか統帥綱領の域を超えるものはないと思う。
732 :日本@名無史さん :2005/08/19(金) 18:18:31
>>725
奮って、じゃなくて糞なんだw
>>731
確かに、頭がいい故の世渡り上手な面でしか評価しようがないな。
都合の悪い事は全て沈黙、自分が誉められるものしかしゃべらない。
だからこそ長生きしてるんだろうけどな。
733 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 09:24:33
瀬島は今のところグレーという評価だが、
白側の応援といえば岡田啓介コネクションという点だろうな。
岡田と思想的に近くなければいくら縁戚でも私的諜報員などやらんだろうという推測が働く。
734 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 10:13:27
>>730
それで瀬島は敗北主義者認定くらって満州に飛ばされた
735 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 16:53:56
『この国のかたち四(文芸春秋)』の「日本人の二十一世紀」で、司馬さんは書いている。
「かつて『文芸春秋』で瀬島龍三さんと対談したことがありました。(昭和49年1月号)
瀬島さんは大本営参謀として大東亜戦争のプランを作った人です。
そのなかで『「作戦用務令」に、兵力は分散させてはいけないと書いてありますが、
あの戦争というのは、太平洋の島々に兵力を少しずつ送って、敵が来るのを待ってただけ
じゃないですか。』と言ったら、『先生、それはひどい、それはひどい』とおっしゃっていた」
736 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 19:51:01
司馬の戦史知識もお粗末だがな…瀬島氏と作戦、戦史をネタに論議をしたら、司馬なんてハナクソだろうよ… 大人なんだよ瀬島氏は。(瀬島氏の責任は別だが)
738 :日本@名無史さん :2005/08/20(土) 20:44:00
>>735
司馬さんもいやらしいな。
陸大首席卒業者で「作戦要務令」全文を暗唱できた人間にあえてそんな皮肉をかますとは。
兵力を集中したくても充分な輸送船がない、また片っ端から撃沈されてしまう状況では
いかに陸大首席の切れ者参謀でも如何ともしがたい。
まあ司馬さんは旧軍指導層に対する憎しみと偏見に満ちてるから。
740 :日本@名無史さん :2005/08/21(日) 11:10:38
>>738まったくその通りですね。司馬の軍事知識戦史知識っていうは彼が軽蔑していた陸軍軍人よりはるかに低いですよ。専門家の書いた戦史を読めば、彼の抱いていた戦争観がいかに悲愴な批判かわかる。(表面の事実の差異ではなく、裏にある彼の真相の認識がお粗末)
741 :日本@名無史さん :2005/08/21(日) 12:21:37
>>734
同僚だった朝枝参謀が『月刊宝石』で語っていたところによると、
仮病を使って大本営を抜けたらしいよ。
満州に転じ、モスクワ日本大使館へのクーリエとかをやっていた。
要は、ソ連軍を満州に導く裏工作だろ。
コワレンコが文芸春秋で語っていたけど、瀬島はソ連軍参戦時期を読み誤ったらしい。
わざとだろ。
746 :日本@名無史さん :2005/08/21(日) 13:54:58
>>742
たしか、瀬島は、秦彦三郎関東軍総参謀長から佐藤駐ソ大使に宛てた書類が入った
アタッシュケースを託されてモスクワに向ったと思うが。
関東軍での作戦参謀としても、ろくでもなかったようだが。
かの瀬島龍三参謀も19年12月~20年1月にクーリエとしてソ連に赴いています.
http://mltr.e-city.tv/faq16.html
ソ連軍戦車や軍隊が、シベリア鉄道を東へ向かって延々と流れていった。
ソ連への密命をおびて西へ向かう、シベリア鉄道の車窓から見ていた、と、
瀬島龍三氏が話していた。
http://blog.qlep.jp/blog.php/17376/5496?categ=1&year=2005&month=8
余談ですが、未だにフジテレビあたりでデカイつらをしている元関東軍
参謀の瀬島龍三は、入植者に何の情報も与えないまま、関東軍を朝鮮国境
まですやかに撤退させた張本人です。
ソ連軍の電撃的な侵攻は、関東軍が全面的に撤退していたから可能だった
http://www.freeml.com/ctrl/html/MessageForm/peace@freeml.com/5125/
747 :日本@名無史さん :2005/08/21(日) 16:57:42
>>735
さりとて、保阪に突っ込まれると話題を少しずつ関係ない方に横滑りさせて行き、質問の本論とまったく関係
ない話題に変わると極めて雄弁だったそうな。
保阪は「実に頭のいい官僚だと思う」って書いてたけど、そりゃ褒めてるんじゃなくて皮肉だろ。(w
755 :日本@名無史さん :2005/08/30(火) 15:56:08
シベリア抑留といっても、実際は厚待遇だったんじゃなかったっけ?
756 :日本@名無史さん :2005/08/30(火) 22:49:33
ソ連側の手先として働いた奴(日本に帰ってきて赤化運動に積極的だった奴)は優遇された。
それが条件で抑留期間が短かったりした。「にほんしんぶん」協力者とかな。
自身の保身のため、同じ日本人をファシストとしてつるし上げたりした人間だ。
おかげで日本人は平気で仲間を売るとドイツ人などから言われてる。
757 :日本@名無史さん :2005/09/17(土) 04:24:38
何で瀬島が駄目なんだ?
頭脳超優秀な上に政治力、実行力も備え義理人情にも厚いと聞く。
えっ?大戦時の責任感が皆無な上ソ連のスパイの疑いすらあるって?
そんなのしょうがないじゃん。しょせん彼は富山の百姓の息子なんだよ。
でも頭よかったんだよ。50人しか採らない幼年学校優秀成績で
卒ったんだよ。陸大時代だって天皇の前で演説組だよ。単に優秀なだけで
なく上司、教師への覚えも目出度かったまさに期待のエリートだったのさ。
これぞまさに明治以来日本の誇る学歴系空気読み系エリート!
でも根は百姓。臆病だって無責任だって当たり前ジャン。
官僚組織の一部だっただけなんだから自分に責任を伴う権力が発生してた
自覚も多分無い。ああこれこそ日本的エリート!田舎者でキレ者、
おべんちゃらと政治力の区別もつかない切実な出世願望、そしていざとなっ
たらただの腰抜け、卑怯者。優秀な日本官僚のある典型タイプとして
後世に語り継ぐべきお人です。でもマジで根は素朴な爺さんらしいよ。
戦略的、姑息的過ぎるのは軍事学校の戦略優等生の性だとしたら
ちょっとカワイソ。
758 :日本@名無史さん :2005/09/17(土) 04:38:40
瀬島の権力者の自覚が無く、それゆえに結果に対する責任意識も無い
学歴エリート官僚の精神構造や、出自が社会上層でないがゆえの
貴族的責任感の最初からの喪失がいざという時のまさに庶民的な
命乞い姑息選択を生む貧弱な自意識は日本高級官僚研究のいい材料だ。
腰抜けで卑怯者な彼の敗戦時の身の振り方は実は一般日本人に最も
ティピカルなものだった。でもそれを中枢にいた者がやっちゃいけ
ねえ、って言う当たり前のことが官僚機構にいた当時の学歴エリート
たちには瀬島だけじゃなくみんなわかっちゃいなかった。
まさにお里が出たって感じですわ。
759 :日本@名無史さん :2005/09/17(土) 04:46:36
頭脳は超優秀だったらしいけどね。でもやっぱ責任感無さ杉、卑怯杉。
760 :日本@名無史さん :2005/09/17(土) 04:56:03
でも伊藤忠はバッジの受注でたいそう儲けました。
ただ瀬島のキャリアでこのことはタブー視されてる。
で、勢いナントカ化学の間抜け買収や土地のヘボい買い漁りっつー
後の伊藤忠の2大重荷になった前科ばかりが言われてる。w
けっこう間抜けなジジイだ。参謀としては優秀でも商売のセンスは
はっきり言ってゼロ。ペプシが日本でコカコーラの足元にも
未だ及ばないのは当時の瀬島にみそめられた不運です。w
761 :日本@名無史さん :2005/09/17(土) 05:07:32
ただの繊維商社だった伊藤忠が防衛庁関係の食い込みを期に一気に
総合商社になった事実は瀬島の功績と言うか戦後の防衛庁の実態を
物語ってる。日本が腐ったのはやっぱこの辺りの時代からだな。
768 :日本@名無史さん :2005/10/05(水) 16:47:21
大本営参謀連中は、天皇の戦争責任無しと同時に放免されたから
まんまと生き残ってるんだろ?
火事場泥棒みたいに、どさくさに紛れまんまと生き延び、責任放棄する狡猾さ
そんな瀬島を使って、大勲位がもらえる国だからな。
>764-765
そういう機運が高まった、1990年頃瀬島がソ連の高官に合って
「過去の事」だからと、資料公開で、余計な波風立てないようにとか言ったらしいな。
さすが「賢い」な。ズルがつくけど。