「居場所」のイメージ

2016-02-29 22:21:00 | 日記
 障がい当事者とかかわる機会がありますが、多くの方々が「居場所」の必要性を訴えかけています。そもそも「居場所」のイメージとはどのようなものがあるのでしょうか。

1)人と人が安心してつながる場所
・自分の存在が受け止められる場所
・異年齢層が交流できる場所(異質な存在を認め合う)
・居心地の良い空間は自分にとっても自分以外の人にあっても心地よい場所

2)共通の趣味でつながる場所
・ゲームなどの共通した活動を通して人とつながる
・当事者同士の世界からつながる
・自分が社会とつながるプロセスとして、自分のペースでダラダラしていられる場所が必要。

3)文化活動を通してつながる場所
・居場所はたんなる居心地の良い場所だけではなく、文化活動を通した学びの集団(関係性)。

4)社会を制作する場所
・居心地の良い場所から社会に打って出るための拠点としての居場所へ
・社会の中の当事者として生きる
・社会と自分がつながるには、安心と信頼に満ちた社会を当事者とともに制作していく。

 以上の「居場所」のイメージは、障がい者グループホームを運営するうえで、とても大切な視点だと思っています。

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嘉山隆司さんとの出会い(1)

2016-02-29 21:51:19 | 日記
 社会に発信するためのシンポジウム開催
 S区役所の住宅手当緊急特別措置事業の相談窓口業務に携わっていた2011年、私の所属する事業所は、窓口に来庁される当事者の就労困難性に遭遇し、自分たちの仕事を問い直すことが必要なのではなかいと考え、私は事業所主催のシンポジウム開催を職場のスタッフに提案しました。当時内閣府参与だった湯浅誠さんが実行委員長を務める「活動家一丁あがり!講座」に参加していた私は、草の根的にイベントを立ち上げて、私たちが直面する貧困問題を社会に発信し、可視化することを考えていました。

 また、リーマンショック以降、国が実施した様々な制度の問題点や課題も浮上し、第2のセーフティネットである住宅手当制度が抱える問題点や、生活困窮者の生きづらさの実態、「貧困」に至るまでの構造的な連鎖がどんなものであるか、就労困難な当事者・生活保護受給者にとって大切なことは何かを検証していく時期に来ていて、シンポジウムを通して検証し、支援のあり方を追及できるのではないかと考えたのです。
 
 そればかりでなく、当時の私たちは、就労困難者、若者、高齢者、生活保護受給者などが気軽に立ち寄って相談し情報交換できる開放された「居場所」の必要性を感じていました。それは、たんに「住居」を確保するだけでは根本的な解決策にならないという住居喪失・おそれの方々の実態を捉えての結論でした。当事者1人ひとりが分断され孤立している状況から、「人と人がつながる場」を提供するなかでエンパワーされる意味合いの大切さを、当事者の実態を通して感じ取っていたからです。
 そこで、「若者・生活困窮者・就労困難者・生活保護受給者の居場所をいかに立ち上げていくか ~生きづらさや困難性を抱える人たちの自立支援のあり方を問い直す~」というタイトルでシンポジウムを開催することが決まりました。

 嘉山隆司さんとの出会い
 このシンポジウムは、生活困窮者、就労困難者、若者、高齢者、生活保護受給者の生きづらさや困難性の根にある問題とは何かを可視化し、彼女らあるいは彼らに必要なことが何かを考えるため、福祉事務所職員、住宅手当相談窓口職員、生活保護受給者の「居場所」を提供しているNPO団体等の方々に登場していただきたいと思っていました。
 ネットで調べていったところ、生活保護だけでなく、第2のセーフティネットである住宅手当制度にも詳しく、バランス良くセーフティネットのあり方を考えている福祉事務所職員がいらっしゃいました。その方がS区役所・福祉事務所ケースワーカーの嘉山隆司さんだったのです。嘉山さんは「新たなセーフティネットの再構築で住宅喪失者の自立支援を」という論文を書かれていました。リーマンショック以降、派遣切りなどで失職と同時に住居を失う非正規労働者や解雇・倒産等で生活困窮に陥った人が福祉事務所に支援を求め、その結果、生活保護受給者数が増大していること、第1のセーフティネットである雇用保険の加入適用外のため、次の職が見つかる前に蓄えが尽きればホームレスになってしまうこと、住居のある人、とりわけ若年層の申請も増加しており、雇用・住宅といったセーフティネットの十分さを生活保護が延々と救済している構図になっていること、などを指摘し、とりわけ、最後のセーフティネットである生活保護の一歩手前の第2のセーフティネット(住宅手当制度)が機能不全に陥っていることを詳細なデータに基づいて明らかにされていました。嘉山さんの論文は当時住宅手当窓口で業務をしていた私に平手打ちをくらわせるほどの衝撃がありました。つまり、「貧困問題」や「雇用・住宅セーフティネット」の事の本質を全く理解していないで支援にあたっていたということを私ははじめて思い知らされたのです。このことは私にとってとても良い契機になりました。
 そこで、「断られてもいいから、嘉山さんに私たちの思いを伝えてみよう」と決心し、私はシンポジウムの趣旨文を持って嘉山さんがいらっしゃる福祉事務所に行ったのでした。緊張して会いに行ったことを今でも覚えています。
 福祉事務所の嘉山さんを訪ねてシンポジウムでのパネリストの依頼をすると、嘉山さんは笑顔で対応してくださり、一生懸命説明する私の話を聞きながら、「『自立支援のあり方を問い直す』というテーマがいいですね」と嘉山さんは言われ、「パネリストを引き受けます。こういう催しには積極的に出て発信していくのが大切ですからね」と引き受けてくださいました。このシンポジウムのパネリストは嘉山さんの他に、元テレビディレクターの水島宏明さん(現法政大学教授)とNPO法人自立生活サポートセンターもやいのTさん、S区住宅手当職員のAさん、コーディネーターは私が担当しました。

 当日は小さい会議室に40名以上の方が参加し、盛況でした。嘉山さんとの関係は、シンポジウム以降、親密になっていきます。

続く

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私の原点・浦商定時制

2016-02-28 21:17:16 | 日記
 20年前、私は埼玉県立浦和商業高校定時制(以下、浦商定時制と略す)に勤務していました。この学校で多くのことを学び、そしてそれは今でも私の実践の基盤になっています。

 では、浦商定時制という学校が私に突き付けてきた問いとはいったい何であったのでしょうか。それは、教師になることの意味とはどういうことか、という問いでした。

 教師であることは簡単です。けれども、一人の教師が教師になるということは、自明ではありません。自分が教師であることを疑いつつ、教師になることの意味を探り続けること。当時、教師生活二年目の私が教師になることを意識させてくれた学校こそ、浦商定時制だったのです。

 教師であることを疑いつつ、教師になることの意味を探り続けることは、実は難しいことです。なぜなら、教師という自分自身を否定しかねないからです。しかし、私が教師であるかどうかは、私個人が決めることではありません。私が教師になれるかどうかは、私自身がいかに生徒たちと関わってゆくかで、決まるのです。そのことを本気で教えてくれたのが、浦商の教職員集団だったのです。

 ところで、浦商定時制の教職員集団の教育力を支えていたのは、いったい何であったのでしょうか。それは、生徒に対する思いや願いを共有し、生徒一人ひとりが抱えている諸問題を、教職員一人ひとりが我がものにし、自覚できる学習の場を組織していたことです。一人の生徒が抱えている問題は、一人の担任が抱える問題でもあります。そうした問題を担任一人だけで抱え込まず、教職員集団で共有することなくしに学校づくりはありえない、そうした視点に浦商の教職員は立っていました。

 毎月行われていた「生徒を語る会」では、教師がどんなまなざしで生徒たちを見、働きかけ、支えているのかを確認し合うことができました。一人の生徒のことで何時間も語ることができる教師が私の前に存在する、そのことが嬉しくてたまりませんでした。「生徒を語る会」が終わった後も、議論が尽くせなかった点を別の場所(飲み屋)で語り合い、ときには言い合いにもなり、お互いの意見を譲らない緊張した場にも参加させていただきました。その当時に出会った平野先生や和田先生らが一人の生徒のことでこれほどまでムキになり、ケンカをしている姿を見て、カッコイイ人たちだと思ってしまったほどです。

 もちろん、浦商の教職員集団の教育力を支えていたのはそれだけではありませんでした。他の学校の教師たちと比較し、浦商の教師たちが秀でているのは、自分のやっている教育活動を対象化し、論理化することを怠っていないところでした。教育実践にゆきづまると、いろんな分野の本を読んで、自分の実践を立て直そうとする姿勢を持っていました。毎日、白熱した議論が交わされた記憶は今でも残っています。私はこうした浦商の教師たちに囲まれながら、教師になりつつあったのだと思います。

 教師になりつつある教師が本当の意味で教師になるには、どのようなプロセスを踏むのでしょうか。むろん、それは、生徒と出会い、関わるというプロセスを通して、です。要するに、私を教師にさせてくれた生徒と出会い、格闘したからでした。とりわけ、はじめて担任をしたときに出会った生徒たちとの一年間は、教師であるよりも、私を一人の「人間」にしてくれた一年でもありました。私は彼ら・彼女らに何かを教えたという印象はありません。生徒から大切な何かを学んだという印象の方が強いのです。彼ら・彼女らの前では、教師でありまながら、素直に「人間」になれました。教師という枠の中から出発した私が、彼ら・彼女らとの関わりを通して、教師という職業から解き放たれる瞬間を経験した。不思議な感覚だった。考え方も立場も違う私たちが、「楽しい」ことを共有できたことの驚きと嬉しさ。「生徒と共に生きる」ということはそう簡単なことではありません。しかし、浦商での彼ら・彼女らとの一年間は、本当に私は「生徒と共に生きる」ことを実感したのです。

 では、この実感はどこからくるものなのでしょうか。それは、生徒たちが考える「学校」とは何か、学校にいることの「楽しさ」とは何かを、浦商の教職員集団全員がつき合わせ、共に模索し、生きることのできる「場」があったからにほかなりません。言い換えれば、生徒たちが何にこだわり、何を楽しみ、何を要求し、何をしたいのかをくみあげてゆく「場」があったからです。

 私はあのとき、教師であったことを誇りに思っています。
 浦商定時制こそは、私の原点であります。

 私はこの原点を忘れず、障がい者グループホームで障がい当事者の方々と関わっていきたいと思っています。

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刑余者・非行少年の社会復帰

2016-02-21 21:59:41 | 日記
 日本司法福祉学会第16回全国大会のテーマは「インクルージョンを促進する社会的条件」です。大会では罪を犯した方や非行少年が社会に戻るにはどのような仕組みが必要かが話し合われました。その様子を『福祉新聞』が掲載していますので、紹介します。

 基調講演ではソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)を提唱する炭谷茂さん・恩賜財団済生会理事長が「現在の社会は意識的なつながりを作らないと排除が生まれてしまう」と指摘され、「罪を犯した人が仕事や教育の場を通じて社会とかかわりを持てるようにすべきだ」としました。その例として、公園清掃や古着ショップなどをビジネス的な手法ではじめた例を挙げています。

 シンポジウムでは、福井県地域生活定着支援センター長の松岡伸郎さんが刑務所出所者のうち、高齢者・障がい者を福祉施設等につなぐ実践を報告しています。松岡さんによれば、今年から厚生労働省の補助金が減少し、職員も2人減。困難を抱える方々の支援は手厚くなければいけないはずなのに、そうなっていないのが現状。また、松友了さんは不起訴となった障がい者の社会復帰支援にあたっている社会福祉士の方です。松友さんは「支援の場は疎外された特殊な場であってはならない。問題を関係性の中でとらえるべき」だとしています。

 プレシンポジウムでは犯罪・非行当事者の方が、同じような境遇の方々の「立ち直り支援」にあたっていることを報告しています。
 NPO法人再非行防止サポートセンター愛知の理事長・高坂朝人さんは、中学2年生で暴走族に入り、2回少年
院に入院。逮捕歴は15回。現在は知的障がい者のグループホームで管理責任者。2014年3月にNPO法人を立ち上げ、少年院に出向いたり、出院した少年の「おかえり合宿」をしたりしています。「人は変われるが、1人では変われない」と言います。
 NPO法人田川ふれ愛義塾の理事長の工藤良さんは、暴走族の総長になり、22歳の時に逮捕され、更生を決意。2008年から未成年専用の更生保護施設を運営し、現在は14歳から22歳まで20人の少年少女を預かっていると言います。女子は性的な関係を抱えている方が多く、なかなか簡単にはいかないそうです。最近は発達障がい、知的障がいのある子も増えており、早い段階で支援を受けていれば問題を起こさない例が多いと言います。
 NPO法人マザーハウスの理事長・五十嵐弘志さんは刑務所に3回、通算20年入っていたと言います。「刑務所は健常者中心の世界で、知的障がい者にはほとんど教育しない」と言います。出所後、2012年4月にNPO法人を設立。現在は受刑者350人と文通したり、30人超の生活を支援したりしているそうです。五十嵐さん自身、母親から愛された記憶がなく、居場所がなかった経験を持っていました。「一人ひとりの『生きた愛』が人を変える。人生は出会いで決まる」と言います。

 当事者3人の方の発言に共通しているのは、「関係性」「つながり」「出会い」なのではないかと思います。当事者の方の言葉だからこそ、深みのある言葉です。関係性」「つながり」「出会い」を意識的につくっていく社会の仕組みが必要なのではないかとあらためて問い直された次第です。

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当事者参加について考えるヒント

2016-02-12 16:43:17 | 日記
 2年前、東京都庁にて立教大学元教授の河東田博さんの「当事者参加は社会を変える」というタイトルの講演がありました。河東田さんは、①当事者と対等・平等な関係を築き上げていくことの大切さ、②当事者の決定権、③当事者の手による組織づくり、など、当事者管理の意義を語っておられました。河東田さんの考え方は当事者が社会にコミットしていく重要な視点だと思います。

 私たちが大切にしている視点は「当事者が決定に参加すること」、「価値の共創」です。障がい者に関する制度の多くは当事者抜きに決められているのが現状で、当事者が決定の場に参画できない状況です。障がい者の置かれている社会は、当事者の主体性や当事者の決定権が奪われている状況だと言えます。

 当事者が社会につながる接点の構築や、政治への参画、あるいは社会制作は、当事者が自分たちの権利を奪い返す契機になると考えております。
 河東田さんのお話はそういったことの示唆を与えてくださり、とても勉強になった講演でした。

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