箱根山・延年の会

皆様への箱根延年の紹介と、連絡用(会員専用)として使いますので、よろしくお願いしま~す。

万巻上人の奥津城

2013年06月10日 15時49分42秒 | 箱根延年の会から皆様へ

 

お稽古の合間に、境内を散策して、万巻さんの奥津城(お墓)へお参りに行きました。

万巻上人については、箱根延年のなかでも紹介されていますが、 『箱根神社大系 下巻』に

箱根に伝わる伝説が掲載されていますので、紹介します。

 

「万巻上人の墓」

万巻上人は、今から凡そ千二百年前、養老年中鹿島神社の社人の家に生れ、名を京仁と

云っていたが、僧侶になってから、一日に一万巻の経典を読んだと云うので、万巻上人と

云われていた。この徳行高き上人が、天平勝宝年中箱根山へ来て修行していた。

或夜霊夢の告を得た。

變な姿をした三人が来て云うのには、「吾々は昔からこの山にゐて衆生を済度してゐる神だが、

お前はこの山にゐて修行しなさい」と云ったかと思うと、形が變って文殊、観音、弥勒となって

「池水清浄浮月影 汝意清潔来三体 三身同共住此山 結縁有情同利益」と唱え言を云った。

万巻上人が夢から覚めて信心を深め、三人のお姿を一社に崇めて、三社権現としてお仕え

したという。

この万巻上人は、弘仁7年に天子様のお召しがあったので、京都へ行く途中、三河の國で

病気でなくなられた。

お弟子が泣くなく遺骸を持って来て権現の裏山に葬った。

昭和6年まではそのお墓の邊は丈餘の篠竹が繁茂していた。

村人は秋から春へかけて、竹きりに山に入るのが主な仕事であった。

権現山は村に近いし、南向きの山で日当たりがよく、よい竹が出るし、手近に採れるので多くの

人がはいるのだった。

然し万巻上人のお墓近くへ寄っても病気になる、第一お墓を見たら、その晩から熱病になる、

と云って近寄る人がなかった。

昭和五年の豆相(ずそう)の大震災に万巻さんのお墓が倒れたので、宮司がお祭りして修復し、

その近くの竹を全部刈り取って、お詣りのできるようにした。

熱病をやむ事は昔話にはなったが、今でも近くを通る村人は必ず拝礼行くのである。

 

万巻上人の奥津城は、北参道を登った先にあります。

皆様もお参りの際には、ぜひこちらもお参りください。

 


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