お稽古の合間に、境内を散策して、万巻さんの奥津城(お墓)へお参りに行きました。
万巻上人については、箱根延年のなかでも紹介されていますが、 『箱根神社大系 下巻』に
箱根に伝わる伝説が掲載されていますので、紹介します。
「万巻上人の墓」
万巻上人は、今から凡そ千二百年前、養老年中鹿島神社の社人の家に生れ、名を京仁と
云っていたが、僧侶になってから、一日に一万巻の経典を読んだと云うので、万巻上人と
云われていた。この徳行高き上人が、天平勝宝年中箱根山へ来て修行していた。
或夜霊夢の告を得た。
變な姿をした三人が来て云うのには、「吾々は昔からこの山にゐて衆生を済度してゐる神だが、
お前はこの山にゐて修行しなさい」と云ったかと思うと、形が變って文殊、観音、弥勒となって
「池水清浄浮月影 汝意清潔来三体 三身同共住此山 結縁有情同利益」と唱え言を云った。
万巻上人が夢から覚めて信心を深め、三人のお姿を一社に崇めて、三社権現としてお仕え
したという。
この万巻上人は、弘仁7年に天子様のお召しがあったので、京都へ行く途中、三河の國で
病気でなくなられた。
お弟子が泣くなく遺骸を持って来て権現の裏山に葬った。
昭和6年まではそのお墓の邊は丈餘の篠竹が繁茂していた。
村人は秋から春へかけて、竹きりに山に入るのが主な仕事であった。
権現山は村に近いし、南向きの山で日当たりがよく、よい竹が出るし、手近に採れるので多くの
人がはいるのだった。
然し万巻上人のお墓近くへ寄っても病気になる、第一お墓を見たら、その晩から熱病になる、
と云って近寄る人がなかった。
昭和五年の豆相(ずそう)の大震災に万巻さんのお墓が倒れたので、宮司がお祭りして修復し、
その近くの竹を全部刈り取って、お詣りのできるようにした。
熱病をやむ事は昔話にはなったが、今でも近くを通る村人は必ず拝礼行くのである。
万巻上人の奥津城は、北参道を登った先にあります。
皆様もお参りの際には、ぜひこちらもお参りください。