ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

狼は生きろ 豚は死ね ~戦後史の一断面

2015-10-24 | 政治/社会/経済/軍事
 「狼生きろ 豚は死ね」という警句は、わりと人口に膾炙しているようだ。ただ「狼は生きろ 豚は死ね」と思っている人が多いのではないか。一般にはこちらのかたちで流布している。グーグルで検索を掛けると、「狼は生きろ 豚はしね」などと、なぜか平仮名で出てきたりする。

(追記 2019.11.  サンドウイッチマンの富澤たけしが、かつてこのタイトルでブログを書いていたことを最近になってようやく知った。それと共に、ぼくのこの記事に妙にアクセスが多い理由もわかった。みんなホントにお笑いが好きだね。まあぼくもサンドは大好きですが)

 ともあれ本来は、「狼生きろ 豚は死ね」が正しい。「オオカミイキロ・ブタハシネ」で、七五調なのである。古代の長歌、中世の和歌から江戸の俳諧、近代の短歌へと至る日本古来のリズム(韻律)に則っているわけだ。

 これが「狼は生きろ~(以下略)」に転化したのは、高木彬光の原作をもとに作られ、カドカワ映画が1979年に公開した『白昼の死角』の宣伝用テレビCMにおいて、渋い男性ナレーターの声で「狼は生きろ、豚は死ね。」とのキャッチコピーが繰りかえし流されたからである。ついでにいえば、主演は松田優作ではなく夏木勲(夏八木勲)だ。

 若い人はご存じあるまいが、気鋭の社長・角川春樹ひきいる当時のカドカワ映画の勢いたるや誠にすさまじいもので、その宣伝攻勢も、ちょっとした社会現象を形成しかねぬほどだった。ぼくなども、じっさいに劇場に足を運んで本編を観たことはないが(小学生だったんでね)、テレビで見かけた予告映像だけは今でもよく覚えている。『犬神家の一族』(1976年公開)の、湖面から二本の脚がニョッキリと突き立っているイメージなど、忘れようとしても忘れられるものではない(のちに同じ市川崑監督によってリメイクされた)。

 口に出せば分かるが、「おおかみはいきろ」と一息で言って読点(、)を挟むと、これが8文字で「字余り」になっていることは気にならず、わりとしぜんに「ぶたはしね」に続く。やはり助詞を省くと気持がわるいこともあり、むしろ「おおかみはいきろ、ぶたはしね」のほうが語呂がいい気さえする。

 こちらのほうが広まったのも当然かと思えるが、とはいえ本来はあくまで「狼生きろ」なのである。さっきから本来本来と何をしつこく言っているのかというと、ちゃんと元ネタがあるからだ。1960年、28歳の青年作家・石原慎太郎が劇団四季のために書きおろした戯曲のタイトルなのである。それをカドカワ映画(の宣伝部)が約20年後に引っ張ってきて、一部を手直ししたうえで使ったわけだ。

 しかも、字句が変わった以上に重要なのは、意味そのものが変わってしまったことである。時あたかも「60年安保」の真っただ中、弱冠28歳で、まだ政治家にはなっておらず、しかもしかも、にわかには信じにくいことだが「革新」のサイドに身を置いていたシンタロー青年は、「既存の体制の上にあぐらをかいた醜い権力者ども」を「豚」に、「それを打ち倒す真摯で精悍な若者たち」を「狼」になぞらえていたらしいのだ。

 らしい、とここでいきなり私も弱気になってしまったが、これは当の芝居を観たこともなく、新潮社から出たそのシナリオ版を読んだこともないからだ。つまり原テクストに当たっていない。原テクストにも当たらぬままにこんなエッセイを書いてしまうのは、研究者としてあるまじき態度ではあるが、しかしあの小保方さんに比べればはるかに罪は軽いと思われるのでこのまま続けることとする。そもそもよく考えてみると私はべつに研究者でもないし。

 原テクストに当たらぬまま、ネットで調べた資料を頼りにいうのだが、「狼生きろ豚は死ね」の「豚」はもともと「既存の体制の上にあぐらをかいた醜い権力者ども」で、「狼」は「それを打ち倒す真摯で精悍な若者たち」のことだった。大事なことなので二度言いました。

 それが今では「豚」は「弱者」で「狼」は「強者」、すなわち「弱肉強食」の意味で使われている。『白昼の死角』は、戦後の世相をさわがせた大がかりな詐欺事件(光クラブ事件)を題材に取った作品である。今ならばさしずめ、「振り込め詐欺」にやすやすとひっかかる「情弱」の民衆が「豚」で、「それをまんまと誑かす連中」が「狼」といった感じか。

 それはむしろ「狐」か「狸」ではないかという気もするが、いずれにせよ、本来の内容が転化して、「狼は生きろ、豚は死ね。」が「弱肉強食」を指すようになったのは、『白昼の死角』のみならず、当の石原慎太郎じしんの存在も大きい。

 戯曲のタイトルだとは知らずとも、この文章の出どころはシンタローだよってことだけは何となくみんな知っており、あのシンタローが言うのなら、そりゃ「社会的弱者はとっとと死ね。んで、強ぇ奴だけ生き延びろや」ってことだよなあと、誰しもが思ってしまうのである。

 それはつまり、かつて大江健三郎らと連帯をして「若い日本の会」などの活動をしていた石原慎太郎が、自ら政界に進出し、そこで現実の政治の汚泥にまみれることによってどう変節していったかの好例であるし(まあ、ああいう人格は根本のところでは何も変わっていないのだろうが)、さらにまた、戦後のニッポンそのものの変節をあらわす好例でもあろう(まあ、この国も根本のところでは……以下略)。

 さて。じつはこの稿、「旧ダウンワード・パラダイス」に発表したものがもとになっている。それを新たに書き直しているのだ。ここまでの記述と重複するところもあるが、より詳しく書いてあるので、以下、元の稿をそのままコピーしよう。





 「狼生きろ豚は死ね」というフレーズを、ぼくは長らく誤解していた。しかもその誤解は、かなり多くの人々に共通のものではないか……。この字面をパッと見たら、誰しもが「弱肉強食」という成句を連想する。ましてや政治家シンタローの「差別的」言動をさんざん見聞きしてきたわれわれならば……。もう少し知識のある人なら、「太った豚よりも痩せたソクラテスになれ。」なんて文句を思い浮かべて(じっさいのソクラテスは、まあ、太っていたと言われているが)、「豚」とはたんに「捕食動物」の意味ではなくて、「ただ漫然と日々を生きている人。俗物」の寓意と考えるかもしれない。その伝でいくと「狼」は、「明確な目的意識にのっとって、毅然たる態度で日々を送っている人」みたいなニュアンスになろうか。じつはニーチェも、『ツァラトゥストラ』の中で、これに近い使い方をしている。

 「狼生きろ豚は死ね」は、浅利慶太が主宰する劇団四季のために、若き日の石原氏が提供した戯曲のタイトルである。じつは氏はこれを梶原一騎原作の劇画から取ってきたのだという説もあって、そういうことがあってもおかしくないとは思うが、確認はできない。しかし先述のニーチェの事例を除けば、ほかにネタ元と思しきものが見当たらないのも確かだ。このとき石原氏はまだ28歳。「太陽の季節」で一世を風靡してから四年のちだが、まだまだ青年といっていい年齢だ。

 時はあたかも1960(昭和35)年。まさに安保闘争の年である。GHQ占領下での数々の怪事件を取り上げた松本清張の「日本の黒い霧」が文藝春秋に連載されていた年でもあった。戦後史において際立って重要な年度に違いない。5月19日に強行採決、6月10日にハガチー来日(デモ隊に包囲され、翌日には離日)、6月15日が「安保改定阻止第二次実力行使」で、国会をデモ隊が取り囲む。あの樺美智子さんはこの時に亡くなった。新安保条約は19日に自然承認されるも、その代償のように、岸内閣は7月15日に退陣を余儀なくされる。

 「狼生きろ豚は死ね」は、このような空気のなかで書かれ、上演されたわけだけど、それが「キャッツ」やら「オペラ座の怪人」などの商業演劇に専心している現今の劇団四季からは考えられない作品であったことは容易に想像がつく。しかしそもそも、なぜ石原青年が戯曲なんぞを書いたのか。ちなみにこのシナリオは、1963年に『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』として新潮社から出ている。60年代から70年代初頭くらいまでは、小説家がけっこう戯曲を書いており、それがまた単行本として出版されていたのだ。出版物としての戯曲が商業ベースに乗っていたらしい(今に残っているのは、井上ひさしを別格として、三島由紀夫や安部公房など、一握りの人のものだけだが)。「文壇」と「演劇界」との垣根が今よりずっと低かったのだろう。しかしさらに調べていくと、石原のばあいは、たんに「浅利慶太と仲がいいから頼まれた。」という話ではなかった。

 石原慎太郎青年は、1958(昭和33)年に「若い日本の会」という組織を結成している。この会のメンバーが今から見ると瞠目すべき顔ぶれで、大江健三郎、開高健、江藤淳、寺山修司、谷川俊太郎、羽仁進、黛敏郎、永六輔、福田善之、山田正弘等々とのこと。福田・山田両氏のことはぼくはまったく存じ上げぬが、ほかの方々の名はもちろんよく知っている。いずれも各々のジャンルで一家をなした、錚々たる文化人である。しかし1958年の時点では、いずれも20代かせいぜいが30代で、新進気鋭というべき年齢だった(ここで列記した人名はウィキペディアからの引き写しなので、フルメンバーを網羅しているかどうかは定かでない)。そして、浅利慶太もまたその中の一人だったのだ。石原氏の「狼生きろ豚は死ね」と同じ時期に、寺山修司も「血は立ったまま眠っている」を書き下ろして劇団四季に提供している。ただしこの時点での寺山は、大江・開高・石原といった芥川賞作家たちに比べ、ほとんど無名の一詩人に近かったらしいが。

 顔ぶれの豪華さから考えて、この「若い日本の会」のことはもっと知られていてもいいように思うが、まとまった研究書も出てないし、ネットの上にも有益な情報が置かれていない。こんなところにも、ニッポンという国の「過去の遺産を次の世代に継承しない。」悪い癖が表れている……。ただ、関係各位がこの会のことをあまり熱心に語りたがらないのも確かなようで、それはまあ、改めて指摘するまでもなく、メンバーの中にこのあと明瞭に「保守」のサイドへと参入していった方々が少なくないからだ。江藤、黛両氏はもちろん、浅利氏にしてもそうだろう。むろん石原氏は言うまでもない。「黒歴史」という表現がふさわしいかどうか知らないが、「体制」側に与したほうも、そうでない側に残った(?)ほうも、双方にとってあまり触れたくない「若気の至り」だったのかも知れない。

 言うまでもなく、「若い日本の会」は「反体制」のサイドに属するものだ。それが現実の政治運動の中でどれほどの力を持っていたのかはよく分からないけれど、そもそもが「当時の自民党が改正しようとした警察官職務執行法に対する反対運動から生まれた組織」であり、「1960年の安保闘争で安保改正に反対を表明した」組織であったのは事実である。国会を解散せよとの声明も出していた。文中のこの「」内はウィキペディアからの引き写しだけど、「従来の労働組合運動とは違って、指導部もなく綱領もない」というのはいかにも(そりゃそうだろうな……)という感じで、これだけ個性の強い売れっ子たちが集まって、指導部もなにもないだろう。まあ、「綱領」くらいは作ってもよかったんじゃないかと思うが、きっとそれも纏まらなかったんだろう。

 それにしても、その「狼生きろ豚は死ね」ってのはどんな芝居だったのか? しかしなんとも困ったことに、「若い日本の会」以上に、ほとんど資料が出てこない。先述の『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』はamazonで法外な値をつけているし、図書館で読むしかないのだが、さすがにぼくもこの件に関して、そこまで時間を費やすわけにいかない。困った困ったと言いつつネットを探して、やっと見つけたのが牧梶郎さんという方の「文学作品に見る石原慎太郎 絶対権力への憧れ――『殺人教室』」という論考。その冒頭にはこうある。「若い頃の作家石原慎太郎が、政治は茶番でありそれに携わる政治家は豚である、と考えていたことは『狼生きろ豚は死ね』に即して前回に書いた。」

 なんと! 「豚」とは「政治」という「茶番」に携わる「政治家」のことであった! まことにびっくりびっくりで、びっくりマークをあと二つくらい付けたい気分なのだが、これではそれこそジョージ・オーウェル『動物農場』の世界観ではないか。つまりこれは28歳の石原青年が披瀝した、諷刺小説ばりにマンガチックな世界観のあらわれだったということだ。とにもかくにも、「豚」というのが「弱者」ではなく「政治家」を意味していたとは、ぼくをも含め、世間の通念とは180°正反対の事実と言ってよいだろう。

 「政治は悪と考える純血主義が六〇年代には支配的だった……(後略)。いいかえれば六〇年代の学生運動は全然政治的運動ではなく、現実回避への集団的衝動であったということでしょう。」と関川夏央(1949年生)さんが自作の小説のなかで自分の分身とおぼしき男に語らせているが、「太陽の季節」を書いた青年作家石原慎太郎の1960年における感性(ちょっと思想とは言いがたい)は、ここでいう「純血主義」の見本みたいなものだったらしい。

 牧梶郎さんは「前回に書いた。」と記しておられるので、ぼくとしては当然、その「前回」の論考も探したのだが、あいにくネットの上にはなかった。ほかの論考も見当たらず、「文学作品に見る石原慎太郎」という連載エッセイの内で、どうやらたまたま「絶対権力への憧れ――『殺人教室』」の回だけがアップされているようだ。はなはだ残念ながら、ネット上ではこういうこともよく起こる。ともあれ、重要なのは「豚」とは「弱者」ではなく「政治」という「茶番」に携わる「政治家」のことであったということだ。これにはぼくもほんとに驚いたので、この場を借りて特大明記しておきたい。ところで、じゃあ「狼」のほうは何ぞやって話になるが、それはやっぱり、「権力の上にあぐらをかいてぬくぬくと肥え太る豚」どもを、その鋭い爪と牙とで打ち倒す「新世代の覚醒した若者」たちなんだろう。

 「安保闘争」の1960年から八年が過ぎた1968(昭和43)年、これもまた戦後史におけるもう一つのエポック・メイキングな年だが、36歳の石原慎太郎は7月の参議院選挙に全国区から立候補し、300万票余りを得て第一位で当選する。これが今日に至る政治家・石原慎太郎氏の軌跡の華々しい幕開けだったわけだが、この八年という歳月のあいだに、戦後ニッポン、および、石原慎太郎という「時代の寵児」の双方にどのような変化が起こったのかは、字数の都合で今回は触れることができない。

 しかしあくまで想像ながら、かなりの確信をもって言えることがひとつある。36歳の石原氏は、けっして「豚」となるべく国会議員に転進したのではなかろうということだ。そうではなくて、どこまでも氏は自らを「狼」と任じて政治家になったと思われる。つまり、「政治はすべて悪」と考える「純血主義」から、もう少しばかり大人になって、「政治の中には悪(豚)もあれば善(狼)も含まれている。」という認識に至った。そして自分は「狼」としてこの国の政治に関わっていく。心情としてはそういうことだったと思うのだ。もちろんまあ、現実にはもっともっとドロドロしたことが内にも外にも山ほどあって、そんな単純な話ではなかろうが、少なくとも心情としては、36歳の慎太郎青年はそう考えていたのであろう。

 そのように仮定してみると、1968年からかれこれ五十年近くに垂(なんな)んとする彼の政治活動の特異さの因って来たる所以がまざまざと見えてくるような気がしてくる。齢80歳を迎え、あれだけの権力を恣(ほしいまま)にするに至った現在も、あの人は自分を「豚」とは微塵も考えてはいない。いささか老いたりとはいえ、まぎれもない一匹の「狼」であると確信し続けているのであろう。だからこそあれほど矯激な言動を休むことなく取り続ける。もちろんこちらも、現実にはもっともっとドロドロしたことが内にも外にも山ほどあって、そんな単純な話ではないわけだけど、少なくともあの人の「心情」のレベルに即していえば、要するにそういうことであろうと思われる。



 以上。長くなったが、おおむねこれが、3年まえ(2012年)に書いた元の記事の大綱である。基礎になる情報をネットに置いて下さっていた牧梶郎さんには改めて感謝しなければなるまい。「狼生きろ 豚は死ね」について言いたいことは大体こんなところだが、ちょっとした後日談がある。当の記事についてコメントを頂いたので、ぼくはこう返事を書いた。





 そういえば『狼と豚と人間』という邦画があったはずだ、と思って調べてみたら、1964年の東映映画でした。監督は深作欣二で、出演は三國連太郎、高倉健、北大路欣也。ここでは狼が健さん、豚が三國さんで、人間が欣也さん。それぞれ、一人で生きようとする者、人に飼われて生きる者、人間らしく生きたいと願う者、という図式だそうです。

 1979年の『白昼の死角』の宣伝用コピーは石原戯曲のパクリでしたが、角川映画はその前年に、フィリップ・マーロウの名セリフ「(男は)しっかりしていなかったら、生きていられない。優しくなれなかったら、生きている資格がない。」を、「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」と改ざんしたうえでパクッた前科があります。

 さらに、2002年の映画『KT』で、KCIAをサポートする富田(佐藤浩市)の「狼生きろ、豚は死ね」という言葉に対して、元特攻隊員で活動家くずれの新聞記者・神川(原田芳雄)が「豚生きろ、狼死ね」とやり返すくだりがあった、とYAHOO知恵袋に書いてありました。

 いずれにしても、権力者こそが「豚」なのだ、という「動物農場」的な発想がまったく見受けられないのは興味ぶかいところです。 投稿 eminus | 2012/11/16





 するとその後、この補足に対して、「翻訳の文章なんだから、どれがオリジナルかは一概に言えない。『改ざん』や『前科』は言い過ぎではないか」という主旨の別のコメントが来た。そこはけっこう重要なんで、補足をさらに補足しておきましょう。

 「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない。」は、翻訳家で、映画の字幕の名訳者としても知られた清水俊二の手になる訳である。ご存じレイモンド・チャンドラー『プレイバック』(ハヤカワ文庫)の中で、私立探偵マーロウが女性からの問いに答えての至言だ。

 これと、『白昼の死角』のコピー「男は、タフでなければ生きていけない。優しくなければ、生きている資格がない。」はどう違うのか。なぜぼくは「改ざん」「前科」という強い言葉を使ったか。たんに清水訳のほうが早かったというだけではない。

 「しっかりしている」と「タフ」との違いはこの際どうでもいいのだ。もっと大事な理由が2つある。ひとつめ。マーロウの名せりふの原文は、“If I wasn’t hard,Ⅰ wouldn’t be alive.If Ⅰ couldn’t ever be gentle, Ⅰ wouldn’t deserve to be.”だ。もういちど、清水俊二訳と「野性の証明」のキャッチコピーを見比べていただきたい。

 この台詞のキモは、「優しくなることができなかったら」という点にある。つまり、「タフでなければ生きていけない」のは大前提。そのうえで、「時と場合、つまり情況に応じて」「優しくなれる」ところがオトコの値打ちなんだぜ、と言っているわけだ。『野性の証明』のコピーは、その肝心なニュアンスを落としてしまっている。

 ふたつめは、この台詞に目をつけたのが、当時のカドカワ映画の宣伝部の手柄ではなかったということ。先駆者がすでにいた。もともとは丸谷才一がミステリ評論の中で紹介したのが最初で、それを生島治郎がいたく気に入り、「ハードボイルド美学の精髄」としてあちらこちらで引き合いに出した。ミステリ・ファンには常識といっていい話である。

 映画『野性の証明』が制作/公開されたのはそのあとで、しかもこの名セリフをキャッチコピーとして使うにあたり、関係者各位になにも挨拶はなかったらしい。それらの点から、ぼくも改ざんなどと書いたわけだ。いずれにしても、当時のカドカワ映画(の宣伝部)がかなり荒っぽいことをしていたという傍証なのだ。

 ただ、「狼は生きろ、豚は死ね。」と転用するに当たって石原慎太郎に仁義を切ったのかどうかは知らない。慎太郎は弟(裕次郎)を通じて映画界にも太いパイプを持っているので、なんらかの挨拶はあったかもしれぬが。


追記①) 2017年11月
 その後ネットを見ていたら、戯曲「狼生きろ豚は死ね」につき、新たな情報を得た。現代劇ではなく、幕末が舞台の時代もので、「坂元龍馬の護衛をする久の宮清二郎という青年が、その龍馬と幕府老中の松平帯刀、商人の山井九兵衛、土佐藩士後藤象二郎らの権謀術数の中で、理想と政治と権力に振り回される話。」とのことだ。ブログ主さんの感想によれば、「ちょっと新国劇の香りがする」内容だったとのことで、石原青年が書いたんだから、そうだろうなあという気がする。あの人はもともとセンスが古いのである。
 「久の宮清二郎」を演ったのは、劇団四季の看板役者・日下武史。なお「久の宮清二郎」については、検索してもこれ以外ヒットしないので、架空の人物と思われる。


 追記②) 2020年7月
 この記事の元となる原稿を書いたのは8年前で、そのとき石原慎太郎という政治家はまだ現役だった。この頃ぼくはかなり批判的な感情を込めて石原氏のことを見ており、それはこの文章にも色濃く反映されている。ところがこのたび、中国発のコロナウィルスの世界的蔓延ということがあり、そこであらわになった一党独裁体制の恐さを目の当たりにして、石原氏に対するぼくの評価は変わった。たしかにいろいろと問題もあったと思うが、じつは氏は先見の明を持った政治家だったのかもしれない。いずれまた石原氏については資料を集めてきちんと考えなければならないと思っている。


 追記③) 2023年11月
 そのご、2019年11月25日に、「シリーズ・戦後思想のエッセンス」の一冊として、中島岳志『石原慎太郎 作家はなぜ政治家になったか』が出た。「若い日本の会」についての言及もある。また、ユリイカも2016年5月号で慎太郎特集を組んだが、ぼくはこちらは未読である。














4 コメント

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カドカワ映画❓ (高木彬光ファン)
2019-01-20 18:05:53
映画「白昼の死角」については、配給は東映なので、“カドカワ映画”ではないです。
製作陣の中に角川春樹氏の名前が連ねてあるので、時々間違えてそう呼ばれることがあるそうですが。
Unknown (猿)
2019-05-21 08:23:16
その白昼の死角も、三島由紀夫の青の時代の派生の小説ですよね。青の時代より、良く書かれてますが。青の時代は、根津甚八が、山崎を演じてました。東大生が街金をやり、失敗して服毒自殺を図る、実話を基にした、小説です。今、52ですが、独り言を言って家人に笑われます。 狼は生きろ、豚は死ね、と。
蒼い光芒 (eminus(当ブログ管理人))
2019-11-26 04:49:09



 はい。よく覚えてます。NHKドラマ。放送はバブル発生にはまだ少し間のある1981(昭和56)年の夏。
 タイトルは『蒼い光芒』になってましたね。こっちもまだ学生だから、何を観ても面白い時期でした。
 それを差し引いても、あの頃の根津甚八は脂がのりきっていて、圧倒的な存在感だったなあ。
 第一話をみて、すぐに学校近くの本屋で新潮文庫の『青の時代』を買って帰ったけど、こちらはドラマほど面白くなかった記憶があります。いま考えても、ミシマの中ではそんなに優れた作品ではないでしょう。
 「光クラブ」をつくって社長に収まった山崎晃嗣(やまざきあきつぐ)の友人で、腹心でもある三木仙也は、岡田裕介が演じてました。
 ちなみにこの岡田さん、俳優を引退し、のちに東映の社長にまでなりました。まあ、もともと御曹司で、こう言っては失礼だけど、もともと俳優業のほうは「道楽」の感もありました。
 コメントを頂戴して、あらためてウィキペディアで調べてみましたが、「光クラブ事件」は他にもいろいろとフィクション化されてますね。

 小説では、
『青の時代』 三島由紀夫
『悪の華』 北原武夫
『東京の門』 田村泰次郎
『白昼の死角』 高木彬光。なお、これが当記事でふれた映画の原作。
『虚業集団』 清水一行 (手形パクリ屋の芳賀龍生がモデルだが、三木をモデルとした人物も登場)

 ドラマでは、
◎高木彬光シリーズ『白昼の死角』(TBS系。毎日放送制作)(1979年8月~9月)
主演は渡瀬恒彦。山崎をモデルとした隅田光一は山本圭が演じた。
◎『蒼い光芒』(NHK。1981年 全4回)
◎火曜サスペンス劇『夢を喰う男』(日本テレビ系。1990年11月27日)
山崎(劇中では江崎)は佐藤浩市、三木(劇中では佐々木)は段田安則が演じた。
◎ザ!世界仰天ニュース「緊急特別版 落ちた偶像~光クラブ事件」(日本テレビ系。2006年6月28日)
山崎は萩原聖人が、三木は加藤晴彦が演じた。
◎『わが家の歴史』(フジテレビ系。2010年4月9日-4月11日)
山崎をモデルにした「宮崎正志」という東大生が「太陽グループ」を作るエピソードあり。演じたのは岡田将生。

 とのこと。ぼくがみたのは映画『白昼の死角』と『わが家の歴史』だけですが。
 これだけドラマ化され続けるのは、戦後のいわゆる「アプレゲール」世代を象徴する事件として、現代史に刻まれているということもあるし、近年では、「ライブドア」事件を連想させるからでしょうね。2006年の「緊急特別版 落ちた偶像」なんて、きっとそうだと思います。


難しいところですね……。 (eminus(当ブログ管理人))
2019-11-26 04:59:25


 ご指摘ありがとうございます。
 企業としての「角川映画」が作った作品じゃないぞって話ですね。
 紛らわしいんで、以下、企業名を「角川映画」、ジャンルとしての名称を「カドカワ映画」と表記します。
 Wikipedia「白昼の死角」の項には、「1979年4月7日公開。上映時間154分。当作品は角川春樹事務所が企画し、メディアミックス展開(角川商法)もされカドカワ映画と誤解されることが多い。実際は、角川春樹をプロデューサーとして招聘した東映内部作品である。」とありますね。
 いっぽう、同じwiki内の「角川映画」の項には、1970年代の「カドカワ映画」作品として、
犬神家の一族(1976年 10月公開、配給:東宝)
人間の証明(1977年 10月公開、配給:東映)
野性の証明(1978年 10月公開、配給:東映・日本ヘラルド)
悪魔が来りて笛を吹く(1979年 1月公開、東映、角川春樹個人がプロデューサーに迎えられた純粋の東映映画である)
白昼の死角(1979年 4月公開、東映、同上)
金田一耕助の冒険(1979年 7月公開、配給:東映)
蘇える金狼(1979年 8月公開、配給:東映)
戦国自衛隊(1979年 12月公開、配給:東宝)
 などが挙げられています。
 「どっちやねん!」って話なんだけど、よくみると、その上の『悪魔が来りて笛を吹く』と共に、「純粋の東映映画」との但し書きが入っている。でも「カドカワ映画」にもリストアップされてるという。
 これはやはり、「角川春樹事務所が企画し、メディアミックスもされた」ことを重視してのものでしょう。
 この映画を監督した村川透さんはこの少し前、松田優作主演で「遊戯シリーズ」と呼ばれるハードボイルド・アクションを精力的に撮っていて、その製作は東映傘下の「東映セントラルフィルム」だった。いっぽう、同じ松田優作主演で話題になった『蘇える金狼』や『野獣死すべし』(1980年)は「カドカワ映画」です。
 世界観が通底していて、主演と監督が同じなんだから、似たようなムードにはなるわけだけど、見比べると、『蘇える金狼』や『野獣死すべし』と、「遊戯シリーズ」とは違う。予算ということもあるんでしょうが、たしかに、カドカワ映画と東映セントラルフィルムの映画は違います。
 そういう意味ではむろん、制作会社の違いは無視できないし、たしかに『白昼の死角』(主演は夏木勲)という映画にも、カドカワ映画ってよりは、東映くさいところがありました。このあたりはうまく言語化できなくて、「空気」とか「味わい」としか言いようがないんだけど……。
 ただ、ぼくはリアルタイムで当時の空気を知ってる世代なんですが、テレビCMをはじめとして、この映画の宣伝ぶりには、やはり「犬神家」や「証明」2部作なんかと共通する「カドカワ臭」を強烈に感じましたね。当時の角川春樹という人の勢いはそれくらい凄かった。
 というわけで、せっかくコメントを頂戴して、迷ったんですが、本文には手を加えず、このコメント欄を「注」として附しておくことで、訂正に代えておくこととします。



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