絵、大好き・Yoh-Mのブログ

ジャズ聴きながら絵を描くYoh-Mが、自身の頭の整理の為に書くブログです。

富士山の日・・??

2010年06月27日 | インポート

昨日、静岡県教育委員会発表で

【公立学校休日?】として、2月23日を、【富士山の日】。

教育委員会が勝手に休日に決めた。。。。。。って・・!!

仕事に就いた事もなく、名ばかりの書店経営者女房が・・現在、静岡県教育委員会々長。

経歴は単に京大卒業。

まったく、旧自民党政権の旧帝大主義・弊害人事が・・・まだ化石のように動いている。

シーラカンスに失礼ではないかい??

まず、

富士山は【自然】であるのに、【文化】として...《富士山の日》。だ~~って

ただでさへ、静岡県の教育レベルは落ちているのに・

現在の静岡県教育長は、教育現場を知らない女。

単なる、知識もない知識人として・・教育改革を訴えて教育長に任命された女。

任命者は、静岡空港の利権でウゴメイタ・石川という前の悪知事。

売名行為で教育長と言う名誉職を手に入れた女だ。

まず、富士山は、

人間が作った【文化】なのか・・・問うのが、教育界が考える第一であろうに

当然、答えは、単に《自然とそこにある山》。であるよ。何の事はない。

本当に教育界は堕落した。

売名行為者が上層部に座り、日教組は給料欲しさに【議員へ贈与】。

教育の名の旗が泣く。

何がなんでも・・

といった、バカバカしい考え方を捨てないから、偉大な自然を、文化。と、のたまう。

富士宮浅間神社も、「富士山文化遺産登録」に夢中である。

こいつも、本当にスバカだ。

神道は、自然を崇拝する事から始まるだろうに、富士宮浅間神社は、人間のケツを追いかけようとしている。笑い事では済まんよ。

教育委員会は、休日にした理由の一つに

「親子の触れ合い」がある。・・・

子供が休日で、親は働く日。どう調整するんだろう。

女教育長を知っているだけに・・・アホらしく馬鹿げた事を決めたことだ。

人間、もう少し謙虚にならザ~~ヨ。

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大連大学の学生達。

2010年06月27日 | from 清水港

P1010406久し振りの旅行より戻りました。

                                                                                                                       然も、旧知の歌手『すがはらやすのり、四季の詩・日中友好コンサート in 大連』へ参加しての帰国です。

中国嫌いで名を馳せる?私ですが、今回の大連では学生達との交流が、今後の考え方に少し変化をもたらせるかも知れません。

それだけ有益と思える交流ができましたので、少し書いておきます。

 まず、今回は、大連生まれの『作詞家、荒木とよひさ氏』も同行し、菅原氏の出生地瀋陽でもコンサートを開いたわけです。企画準備に奔走してくださった関係者、参加を呼び掛けてくれた菅原氏と成沢マネージャーに感謝しつつ、良い思い出として書き始めます。

 中国嫌いの男が大連、瀋陽と訪れた訳ですが、この遼寧省と呼ばれる地区は、ニュース画像で良く流される北京、上海とは大きく異なる土地柄と強く心に刻まれました。僅かな時間で中国の多面性を見たわけですので整理には少々時間が掛かりそうですが、大まかに今回書くブログは日本の若者達と比較しての文面になりますので、若い人達が将来、自身の眼で見る際の参考になれば・・との気持ちです。

 『すがはらやすのり、四季の詩・日中友好コンサート in 大連』に示した大連大学の学生達。

大連市、日本遼寧省領事館が後援となっている為、コンサート前には恒例の・・偉い人達ご挨拶。があった。

日本の領事館からは宮田氏が挨拶に立ってくれたが、面白かったのは、大連市長の挨拶と学長挨拶に対する学生の反応。

市長挨拶は、テレビで見る、まぎれもない中国共産党大会演説を思い起こす強い口調で、言っている内容が全く分からない私でも【この小僧め】と言いたくなる口調。学生達は、神妙なのか?反感を持っているのか?全く静かに聞いていた。

反面、学長挨拶の時は、彼がマイクの前に立っただけで【ひゃほー】の黄色い掛け声が。

まず、この反応の違いは何だろう。と考えたが、演奏会前に2年女子学生と話した時の思いが蘇った。個人に対する親密感だけではなさそうである。

演奏会後の懇親会では柔らかな表情に変化した若い市長ではあったが・・今の中国学生達は、外部からの情報を大分得ている筈です。更に、学長の宋さんはナント名古屋大学へ留学経験があり、在日期間11年。日本語も上手だし、あらぬ事か、荒木さんの伴奏で「四季の歌」も歌ったのです。

漢族より満州族学生の多い大学。なにやら、反体制。民族意識の高揚。を後ろに感じてしまったのは・・私だけではなく、日本よりの参加者の多くが感じたようです。

 その学生達、日本語で応えてくれる学生、向こうから声掛ける学生も多く、日本への興味の強さを強く感じました。私が構内案内を請うた学生は、日本語は少しだけ、主に英語での会話に終始しましたが、将来を聞くと、日本よりアメリカへ留学希望。という事でした。

それにしても、声を掛けた学生達はいずれも清々しい感じで、丁度、昭和60年代日本の学生の雰囲気を持っていました。音楽室へも案内してもらいましたが、何故か、卒業式の予行練習の雰囲気。一人の学生がハチャトリアンを弾いて呉れました。・・上手かった~~。

学生は、携帯電話で友人を集めてくれましたが、会話中に割り込んで来る学生がいるわけではなく、秩序を守って質問もしてくれたので・・実に気分が良く。バカバカしい。と言った感じで立ち去る者もなく日本の学生達の根気と比べてしまいました。

メディアも来て、演奏中はカメラも回っていましたが、日本のおばかさん達の様に「ピース」とやるわけでもなく、最後まで礼儀正しかった学生達。

但し、その彼らの将来についての希望を聞くと、殆んどの学生から

【チーフ】になりたい。と言う答えが返ってきました。いかにも、共産党第一主義国、地位の格差国を感じました。この答えを聞いて、『可哀相』になった気持ちは日本人だからでしょうか。彼らは今後、友人を押しのけていかなければ、良い生活にめぐり合えないのです。

中国より出たい。という願望を強く感じました。

中国で歌われる歌曲は・・・中国々家賛歌。毛沢東賛歌。共産党賛歌に繫がらないといけないようです。実に若者には窮屈な事ですね。その為か、中国で一番愛されている歌が、荒木とよひさ氏の『四季の歌』『時の流れに』とか、遠藤実氏の『北国の春』だそうです。

翌日、大連港を観光で行きました。そこにあったのは、【何百人の足跡を型取った】100メートルに及ぶ長いオブジェが、海に向かって添えられていた事が強烈です。

黄海は浅い海。大連港には中型船さへ入港できない。

何億人という中国の願望を表わしているオブジェがありました。

学生との交流からみえた、中国が抱える民族感情を次回にでも書いて見ます。

日本人の心を歌わせたらNo1なのに、遠慮深い歌手『すがはらやすのり』を知らない人の為に、やすのり宣伝もしてみたいと思っています。

・・非常にナンダイですが~~その際はお読み下さいな・・・

                 Yoh-M.

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版画の醜い世界

2010年06月15日 | インポート

どこの世界でも醜いものはあるのだが・・

日本の誇る木版画の世界は、ここ20年ばかり大分醜い事が多い。

醜い状況を読んで頂く前に、まず、版画エディションの定義を知って下さい。

版画の種類を大まかに分けると

【木版画】

凸に彫り進める作業が殆んどで色の調合さへ記録しておけば、時代が経ても摺る事ができる。(浮世絵は現在でも江戸時代の版で刷れる)

【銅版画】

銅板へ凹に刻み、刻んだ場所へインクを入れ、プレスしてインクを搾り出し、紙に刷る方法。

刻んだ線が腐食等で太くなる為、あるいはインクが固まる為に、制作枚数に制限が有る。

【リトグラフ】

フランス人マーグさんが開発した印刷方法で平版印刷。インクの乾燥が速い為、一気に印刷する限界は5~800枚位と言われる。又、マーグ社製ポスター作品には多く見られる。

【シルクスクリーン】

色に厚みを出せる平版印刷方法で近代発展した方法。リトグラフ同様に一気に印刷しますが枚数は3000枚程可能。

【ジグレー版画】

現在流行のPC処理による制作方法。1枚から何枚でも可能。

以上が大まかに判別される版画技法ですが

版画に於けるエディション番号とは、

この銅版画における制作枚数の制約から来るものでして、枚数も100枚以内の作品が多いわけです。中でも、緻密な作品に至っては10枚限定というような作品も多く見ます。

ですが、

最近はこの銅版画での限定枚数というエディションを、他の版画技法でも作者が取り入れています。ここに大きな問題があります。

・・・・・・・・・

日本画家が作品を写真に撮らせ、彫り師、摺り師に木版画と称して作らせる作品は、本来許されるものではなく、我々、絵を扱うプロの間では、【単なる印刷物】としか評価しません。

この事への批判は後日としまして、本日は、木版画家親子と、宣伝商売ばかりで本業へは力を入れない静岡新聞への批判です。

3月12日、静岡新聞に大きく

静岡新聞創刊70周年記念、【牧野宗則・風鈴丸】版画特別販売。と、大きく宣伝が出ていました。

親である牧野宗則氏木版画2点。娘である風鈴丸氏木版画1点。同サイズ、エディション数、それぞれ175枚。

内、3枚セット120組・・55万円+消費税。

エディション枚数がどうのこうのへの批判ではありません。あくまで、私個人として値段設定への批判です。

今回の値段は、人によれば、最適価格。と言う人もいれば、安すぎる。という人もいるでしょう。当然、商売として文句をつける筋合いではありません。

但し、私個人は非常に・・異常価格。と、決め付けています。

何故なら、価格は文化にとって重要なファクターであるからです。

別に買うわけではないから文句言うな。との声も聞こえそうです。が、

3作品で55万円。X 175 枚限定=9625万円。

親の牧野氏は版画家としてはキャリアはあるが、娘さんはまだ無名作家。

棟方志功は別格価格として、この棟方と同時代の作家に、日本を代表する木版画家・関野準一郎(故人)がいる。世界でも非常に有名な作家です。

この関野版画が実質10万前後で取引されている現在、牧野親子木版画3点のみで9625万円。

1作品当たり、3208万円である

版画もプリント複製品であるにも拘わらず。である。

先日亡くなった平山郁夫氏の原画作品が10号位の大きさで実質6~800万円程度。

原画で発表する作者が余りにも惨めだ。

既に亡き、世界的に評価の高い池田万寿夫氏も、この木版画の価格については非常に怒っていた事を思い出す。

木版画は刷ろうと思えば、何枚でも刷れる。AP(アーティストプルーフ)のエディションで何枚も市場へ出す木版画家もいる。

ヨーロッパに於いては、このエディション定義が厳しく、現在の日本で流通する版画作品の中では、刑務所行きに値する作家も見受けるのです。

銅版画は、一度インクが乾けば、版そのものの使用が不可。である。作者の手元にも作品は4~5枚しか残らない。

で、あるに関わらず、現在、有名作家の銅版画100枚エディション作品で、約5~6万円。

報道機関を名乗る天下の?【静岡新聞】が、【牧野宗則・風鈴丸木版画家親子】に発注して?、9625万円。折半でも4812万円。

購読者へのサービスが創刊記念にふさわしいと思うのだが・・全く、非常に、異常に、酷く、呆れた商売をするものだ。

私の知る牧野版画。

技術は素晴らしいと思っています。が、私好みではありません。こればかりは個人的な嗜好ですから購入者、又は購入希望者へ文句は言へません。

かって、ミキモト画廊が1枚4万円で牧野版画を大々的に売り出した事を覚えています。

ミキモトが2回目に牧野氏個展をした際は8万円。それ以後、倒産した大阪春秋館画廊?でも扱っていたのを思い出します。

この二つの画廊が牧野氏から手を引いた頃の価格は約30万円ぐらい。

恐ろしい販売価格と思っていました。当時で、1作品が30万X120部=3600万円。

呆れ返っていました。

結局、牧野氏の作品購入者は、当時より30万前後を代価々値として支払っている人が多いので、彼としても、値段を下げる事が・・実質できない。と言った処が本音と思うのだが、文化作品とて、経済と連動するのである。

世界的な銅版画家、長谷川潔、駒井哲郎、浜口陽三等より高価で驚きっぱなし。です。

ちなみに、

版画というのは多くの人に見て頂きたい。という願望のあるプリント印刷の一種と考えて宜しいです。

メディアは、本来真面目に取り組み、苦労している絵描きを取り上げ文化の向上に目を向けるべき側面を持つはずですが、静岡新聞と私は意見が異なるようです。

こんな酷い価格をつけて大宣伝する連中。私は【メディアと作家の売名行為】と断じます。実に傲慢です。

牧野版画を誰が下取りし、後世へ残そうと考えるでしょう?

私は絵を扱っており、自身でも描きますが・・素晴らしい力量を持ち、誠実で苦労している作者達を多く知っています。

特定宗教のみを大きく宣伝し、挙句、版画家と結託して儲けだけに走る【静岡新聞】。

静岡新聞が報道機関として意見を押し付ける側面を持つ以上、私も言い分はありますので書きました。

投書で意見を述べたりするのは時代遅れ、ブログ上にて批判です。

    

                      以上。    by  Yoh-M.

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