intoxicated life

『戦うやだもん』がお送りする、画日記とエッセイの広場。最近はライブレビュー中心です。

梅雨も終わりですね

2005-07-14 | ライフサイクル
「Blue in Green」で涙するキセツもそろそろ明けて、bonobosとスクービードゥーで跳ねた夏がやってきます。


この夏が終わると皆こぞってスーツという名のsocial codeを身にまとうのでしょう。今日はちょっとその話を。



前にどこかで書いた気もしますが、僕の持論では「見かけで人を判断するな」はウソです。ことファッションに関してですが、そこには必ずその人なりの個性やアイデンティティを反映するものがあって、たとえそのオレンジ色のフリースが、色の薄いジーンズが、ユニクロのトランクスが親などが買ってきたものであったとしても、それを是としている自分なりの価値観が反映されているに違いないからです(それを拒否するだけのこだわりがあるのなら、死活的な金銭的問題がない限り自分なりの服を選ぼうとするからだと思う)。


だから学校で見るピンクのキャンパスバックを持ってる女の子を与することは、僕にとっては第二の電車男が生まれるくらいの確率でない。


よって、服装は十分にsocial codeを表すものであるといえます。そう、大人になったらスーツを着てればいいのです。礼儀正しさはもちろん大事ですが、まともな人と判断されるには会社でも営業でも結婚式(これはちょっと異論アリですが)でも同じ格好をしていればいいのです。ああ、なんてつまらないんでしょう。


ならば学生服はどうか、とも考えます。でもこれは(僕は決して「愛国心」的な思想を一概に支持するものではありませんが)一応その所属校を表現するという点でオリジナルであるといえるので、僕の懸念するsocial codeとは一線を置くものだと考えます。もちろん人によっては「なんでこんなスカスカしたスカートはかにゃならんのだ」とかいう思いを経験してきた人がいることも理解できますが。



スーツというものは違う。少なくとも僕にとってはまったく気に入らない存在で、あれが日本人の働く姿だと思いたくもないし外の人にそう思ってほしくもない。みな一様に襟付きのシャツでボタンは3つが限度のジャケットを着て、ダサい靴下に硬くて歩きにくいクツを履かなければ「はい失格」の世界。本当にイヤだ。こういう話をすると「じゃあ(就職は)アパレル関係だね」とかいわれますが、そういう問題ではない。こういう社会全体に僕は嫌悪感を覚えるものなのです。礼儀と服装、そりゃある程度はピシッとしているのが望ましいですが、それを画一化する必要って本当にあるんでしょうか。みなさんは無抵抗にスーツを着られてるんでしょうか。それが「大人」みたいに思ってるんでしょうか。本当に疑問。



ちなみに、僕の敬愛するファッションリーダー(下半身)は勝俣洲和。また昨今のクールビズ、これも現状変革のひとつとして評価したい。

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