前にも同じようなことを書いたが、2年ぶりくらいに「ミュージックステーション」をテレビ朝日(HTB北海道テレビ)で見る。平日、研究室を出るのが平均して23時。23:30札幌駅発の小樽行きに乗ると、家に着くのが0時半。我ながら、なかなかクソ真面目な大学院生活だ(その内実は…推して知るべし)。ともかく昨日は久々に20時前に帰宅したので、めでたく視聴の運びとなった。
白痴化が進んだなあ、というのはおっさんのグチのようで厭なのだが、言いたくなるのも仕方あるまい。かつては生放送ならではの怪しい空気感(タモリがそれを助長していく)と、スタッフのギョーカイ人的・乾いた笑い声がほほえましかったのに、昨日の放送を見るかぎり、若い女のバカ笑いが演出効果として「足されて」いた。明らかに意図的に。スタジオ以外のところにもマイク立てておいた感じ。オレンジレンジだろうと福耳だろうと、誰がしゃべろうが均等なトーンで笑いが起こる。なんとも空しかった。ちなみに「踊る!さんま御殿」の投稿コーナーも昨年からこうなった。
「オレの番組ではテロップは絶対入れさせへん」みたいなことを書いたのは『松本』の松本人志だったか。10年以上経ったいま、「HEY!HEY!HEY!」はいわずもがな「ガキの使い」でもコメントの文字化は頻発している。数ある音楽番組のなかでも生放送(ただし生「演奏」ではない)であることに存在価値があったはずの「Mステ」。次に見るのは何年後だろうか。
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「千円からお預かりしまーす」の「から」よろしく、おかしな日本語というのはやはり気になるもの。最近、というか大学院に入ってからしばしば目にするようになったのが、「~における」という言い回し。身内から例を出すのはちょっと憚(はばか)られるのだが、今月末にウチの研究科で開かれる修士論文中間発表会の題目から拝借する。
・英語発音における学習者のビリーフ
・チャットにおける学習ストラテジーに関する研究
・公共コミュニケーションにおける企業広報の社会的役割について
・中国における企業の社会的責任(CSR)への取り組み
・日本の大学における留学生獲得戦略と海外広報
・戦争報道における写真と動画の受容効果の差異について
・中国電力市場における東芝電力事業の可能性
・多文化共生社会における「他者」の受容に関する考察
・メディアにおける「戦争」メタファーの変遷
・海外における初級日本語学習者へのブログを使用した学習支援
・日本語の自然会話における「たぶん」の使用
・十勝地域における学習観光の可能性
・観光現場における社会的相互作用のあり方に関する研究
・芸術家における旅の意義と役割
・阿寒湖畔における観光開発と前田一歩園
・アドベンチャーツーリズムにおける観光客のリスク認知とリスクマネジメント
※計36名中16名
内容(実際、おもしろいことをやっている人は多い)はともかく、「~における」ばっかりだ。比較として、東大情報学環の修士論文リスト(2004年度)ものぞいてみた。
・マンガ読書による階級の再生産 ~タイにおける日本マンガおよびタイマンガ読者を事例に~
・ブランド構築における現状と課題 ~ブランド・パーソナリティから見るブランド構築アプローチ~
・頸髄損傷者の就寝時におけるうつ熱の測定と改善
・サイバースペースにおける名誉毀損と表現の自由
・経済報道番組における企業ニュースの送り手研究
・犯罪報道における「実名報道」の意義と可能性について ―少年法61条に対する学際的アプローチから
・モンゴル語の使用者減少とその社会的環境 ―中国内モンゴルにおけるモンゴル語の使用情況を中心に
・公民館における政策と実践の動態史 パブリックスペースのデザインのために
・情報社会論の系譜 ―1960-90年代日本における社会の「情報化」をめぐる言説分析―
・映像と音響 映画的時間-空間構成における視聴覚的表現と技術について
・インターネット時代の就職活動 ~「大学生の就職活動における情報行動調査」から~
・日韓の音楽産業と韓国におけるJ-POPの消費 ―自発的固質化と幇助、音楽消費者の離脱
・ルーマニアの近代化におけるメカニズムの内部の分析 ―メディアと政治的システムの間に発生した公共圏の構造変動―
・「自己啓発」の社会史 ―戦後日本Self-Help文化における「自己の自己への関係」
・日本での多施設共同型の研究者主導臨床研究における電子的支援により減少可能性のある症例報告書中の欠測項目に関する研究
・大学におけるパーソナル・ファイナンス教育の現状と課題 ―全国大学シラバス調査を通して―
・自然災害時の自治体行政組織における意思決定の分析 ―兵庫県豊岡市を事例に―
・インターネットにおけるテレビ番組の流通 ―日韓比較研究を中心に―
なんか、こう、ねえ。ひとまず『広辞苑』を引いてみる。「於ける」とは、文法的には「動詞オクの命令形に助動詞リの連体形がついた語形」となるらしい。意味は2つ。ひとつは「…にある/…においての」、もうひとつは「…に関しての/…に対する」である。英語の前置詞でいうと前者はin、後者はaboutないしconcerningに対応すると思われる。
違和感を覚えるのは後者のほうだ。「於いて」の項を見ると、①場所を示す、②時間を示す、③ある事柄・人物にかかわりのある意を表す、と出る。上にあげた例のなかでも、①の意味ならすっと呑み込めるのだが、③の意味で用いられるとなぜだが拒否反応が出てしまう。直截にいえば美しくないと感じてしまう。それって私だけ(だいたひかる)?
まあ、かくいう自分も研究計画書に堂々と「~おける」使ってたんですがね。反面教師。なんかいいつなげ方考えよっと。
※情報学環「学際理数情報学コース」という理系の分野では、「~による」の使用が多く見受けられたことも付記しておく。
白痴化が進んだなあ、というのはおっさんのグチのようで厭なのだが、言いたくなるのも仕方あるまい。かつては生放送ならではの怪しい空気感(タモリがそれを助長していく)と、スタッフのギョーカイ人的・乾いた笑い声がほほえましかったのに、昨日の放送を見るかぎり、若い女のバカ笑いが演出効果として「足されて」いた。明らかに意図的に。スタジオ以外のところにもマイク立てておいた感じ。オレンジレンジだろうと福耳だろうと、誰がしゃべろうが均等なトーンで笑いが起こる。なんとも空しかった。ちなみに「踊る!さんま御殿」の投稿コーナーも昨年からこうなった。
「オレの番組ではテロップは絶対入れさせへん」みたいなことを書いたのは『松本』の松本人志だったか。10年以上経ったいま、「HEY!HEY!HEY!」はいわずもがな「ガキの使い」でもコメントの文字化は頻発している。数ある音楽番組のなかでも生放送(ただし生「演奏」ではない)であることに存在価値があったはずの「Mステ」。次に見るのは何年後だろうか。
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「千円からお預かりしまーす」の「から」よろしく、おかしな日本語というのはやはり気になるもの。最近、というか大学院に入ってからしばしば目にするようになったのが、「~における」という言い回し。身内から例を出すのはちょっと憚(はばか)られるのだが、今月末にウチの研究科で開かれる修士論文中間発表会の題目から拝借する。
・英語発音における学習者のビリーフ
・チャットにおける学習ストラテジーに関する研究
・公共コミュニケーションにおける企業広報の社会的役割について
・中国における企業の社会的責任(CSR)への取り組み
・日本の大学における留学生獲得戦略と海外広報
・戦争報道における写真と動画の受容効果の差異について
・中国電力市場における東芝電力事業の可能性
・多文化共生社会における「他者」の受容に関する考察
・メディアにおける「戦争」メタファーの変遷
・海外における初級日本語学習者へのブログを使用した学習支援
・日本語の自然会話における「たぶん」の使用
・十勝地域における学習観光の可能性
・観光現場における社会的相互作用のあり方に関する研究
・芸術家における旅の意義と役割
・阿寒湖畔における観光開発と前田一歩園
・アドベンチャーツーリズムにおける観光客のリスク認知とリスクマネジメント
※計36名中16名
内容(実際、おもしろいことをやっている人は多い)はともかく、「~における」ばっかりだ。比較として、東大情報学環の修士論文リスト(2004年度)ものぞいてみた。
・マンガ読書による階級の再生産 ~タイにおける日本マンガおよびタイマンガ読者を事例に~
・ブランド構築における現状と課題 ~ブランド・パーソナリティから見るブランド構築アプローチ~
・頸髄損傷者の就寝時におけるうつ熱の測定と改善
・サイバースペースにおける名誉毀損と表現の自由
・経済報道番組における企業ニュースの送り手研究
・犯罪報道における「実名報道」の意義と可能性について ―少年法61条に対する学際的アプローチから
・モンゴル語の使用者減少とその社会的環境 ―中国内モンゴルにおけるモンゴル語の使用情況を中心に
・公民館における政策と実践の動態史 パブリックスペースのデザインのために
・情報社会論の系譜 ―1960-90年代日本における社会の「情報化」をめぐる言説分析―
・映像と音響 映画的時間-空間構成における視聴覚的表現と技術について
・インターネット時代の就職活動 ~「大学生の就職活動における情報行動調査」から~
・日韓の音楽産業と韓国におけるJ-POPの消費 ―自発的固質化と幇助、音楽消費者の離脱
・ルーマニアの近代化におけるメカニズムの内部の分析 ―メディアと政治的システムの間に発生した公共圏の構造変動―
・「自己啓発」の社会史 ―戦後日本Self-Help文化における「自己の自己への関係」
・日本での多施設共同型の研究者主導臨床研究における電子的支援により減少可能性のある症例報告書中の欠測項目に関する研究
・大学におけるパーソナル・ファイナンス教育の現状と課題 ―全国大学シラバス調査を通して―
・自然災害時の自治体行政組織における意思決定の分析 ―兵庫県豊岡市を事例に―
・インターネットにおけるテレビ番組の流通 ―日韓比較研究を中心に―
なんか、こう、ねえ。ひとまず『広辞苑』を引いてみる。「於ける」とは、文法的には「動詞オクの命令形に助動詞リの連体形がついた語形」となるらしい。意味は2つ。ひとつは「…にある/…においての」、もうひとつは「…に関しての/…に対する」である。英語の前置詞でいうと前者はin、後者はaboutないしconcerningに対応すると思われる。
違和感を覚えるのは後者のほうだ。「於いて」の項を見ると、①場所を示す、②時間を示す、③ある事柄・人物にかかわりのある意を表す、と出る。上にあげた例のなかでも、①の意味ならすっと呑み込めるのだが、③の意味で用いられるとなぜだが拒否反応が出てしまう。直截にいえば美しくないと感じてしまう。それって私だけ(だいたひかる)?
まあ、かくいう自分も研究計画書に堂々と「~おける」使ってたんですがね。反面教師。なんかいいつなげ方考えよっと。
※情報学環「学際理数情報学コース」という理系の分野では、「~による」の使用が多く見受けられたことも付記しておく。