エコ・ニュージーランド Eco New Zealand

ニュージーランド発。エコライフ、環境保護、山、森、動物、アウトドア、山歩き、猫についてのブログ。

ねむりねこよりみなさんへ

エコ・ニュージーランドへようこそ!! その時の気分で、過去の旅行の話になったり、庭、環境保全、トレッキング等々、話が飛んでいます。ジャンル別にお読みになりたい方は、左のカテゴリーからどうぞ!! また、本文中のトレッキング(トランピング)関連の用語の説明は、同じくカテゴリー欄から「ニュージーランドのトランピング用語集」をご参照ください (^o^)

植村直己さんを偲んで

2010年09月30日 | 思ったこと
 ねむりねこの周囲は、アウトドア、特にトレッキングや登山の好きな人が多い。典型的な「類友」である。

 随分前のことになるけど、海外の山の話をしてて、田部井淳子さんのことが話題に出た。その話を持ち出したのはの上司、オーストラリア人の登山家なんだけど、

「日本にはいろいろすごい山があって、いつか登ってみたいと思ってるんだ 有名な登山家も多いよね、ジュンコ・タベイとか」

おおおっ 日本人以外から田部井さんの名前を聞くとは思わなかった 4年ほど前に、旅行会社の企画で、ニュージーランドを代表するトレッキング・コースのミルフォード・トラックを歩きにきたことがあったけど、当時のこちらのガイド会社のスタッフで、田部井さんがエベレスト登頂に成功した世界初の女性ということを知っている人がいなかったのに。さすが山オタクは違う

「そうなのよ~ 猫かぶりが山に興味を持ったのは、田部井さんの講演を聴きに行ったのがきっかけなのよ」

ってな具合に話は盛り上がった。 

 しばらくして、特に何の脈絡もなく、日本を代表する冒険家の故・植村直己さんのことをふと思い出した。

 植村さんが活躍していた頃は、はまだ子供、山なんて全く興味がなかったから、彼が成し遂げた偉業の価値など全く知らなかった。気になることは調べないと気が済まない性分のは、植村さんの本が読みたくなり、猫かぶりに

「植村さんの本がほしい」

と言ったら、

「買う必要ないよ。俺、持ってるから。日本の実家においてあるから帰ったら探そう」

おおおっ、それはラッキー ……でも、自分の持ち物じゃないとはいえ、自分の家にあることも知らかったのね


『青春を山に懸けて』『極北を駆ける』『植村直己と山で一泊』

 帰国中に無事植村本をゲット。去る8月のマウント・クックに出張中の楽しみのひとつに、あちらに持って行った。

 夜、家でくつろいでる時に本を開いたが、ページをめくるごとにどんどん引き込まれて、職場での休憩中など、寸暇を惜しんで読み耽るようになってしまった

 謙虚で実直な語り口で、脚色ゼロの物語だけど、植村さんの山に対する熱い思いがひしひしと伝わってくる。

 彼が冒険を志した時代は、海外旅行がまだ一般的ではなく、ましてや海外登山や極地への冒険なんて今以上に珍しかった。まだだれも挑んだことのないチャレンジを次々と成し遂げて行く植村さん、しかし気負いや驕りなどはまったくない。自らの体験の中から、さまざまなことを学び、己の糧として次のステップへと発展して行く。

 登山を始めたのは大学に入ってから、しかも転んでばかりいるので「ドングリ」というあだ名がついていた、というのはものすごい意外 

 その後、努力を重ねて山岳部のサブリーダーになり、全人類未踏の冒険を重ねる偉大な冒険家へと成長していくのだ。「天才は99%の努力と1%の才能」とは、植村さんみたいな人のことを指すんだろうね

 それでもって発想が、これまたスゴい

「当時は、まだ円が世界の主要通貨のひとつではなく、換算レートがとても悪かったので、資金稼ぎはアメリカで、(不法)就労して貯めたお金を持ってヨーロッパへ渡りモンブランに挑戦する」

とか、

「南極単独横断の準備として、グリーンランドに滞在して、イヌイットから犬ぞりや狩りの方法を教えてもらう。狩りを学ぶのは、積み荷を減らすため。食料は野生のアザラシなどを狩った方が効率がいい」

などなど。

 植村さんは、冒険前の「現地化」というのを徹底して行っていた。現地の人と一緒に暮らして、体を現地の気候に慣らすのはもちろんのこと、言葉、食べるもの、生活習慣までをも習得する。

 確かに、ここまでできれば本当に理想的なんだろうな、と頭では理解できるけど、たとえばアザラシやトナカイの生肉を三度の食事にするなど、実行に移すのは決して容易ではない。植村さんは、そうした生活・習慣の違いに初めは戸惑いながらも、強固な意志と見事な順応性を発揮して、次々とモノにしてしまう

 本を通して、冒険家、そして人としての植村さんがいろいろと見えてくる。

 当時、ヨーロッパ系人種の冒険家・登山家の原住民に対する偏見・差別が強く、現地人ガイドに対して横柄な態度で接し、思いのままにならない場合は脅したりということもあったという。

 植村さんは、これとは正反対に「現地化」を通して原住民と友好(時にはそれ以上に親しい)関係を築くので、何か困ったことが起きてもみんなが救いの手を差し伸べてくれた。「自分の成功は、周囲の人々の協力なしではありえない」と何度も語っているが、これは決して謙遜だけではなさそうだ。

 というか、植村さんがあのような人柄だったからこそ、言葉も習慣も異なる人々と暖かい絆を作ることができたのに違いない。そして、それが数々の前人未到の冒険の成功へとつながったのだ。日本人の美点である「謙虚」「誠実」は国際世界でのパスポート、小学校では英語教育なんかより人間教育をした方が真の国際人への近道になりそうだ

 植村さんは口下手な方で、これに輪をかけて言葉の壁から饒舌、多弁ではなかったが、それでもそのことを必要以上に気にして卑屈になどならず、何かあった時にはズバッと自己主張する強さがあった…… 古き良き日本男児なのだ

 植村さんの冒険に対する哲学。

「経験と技術もなくて、また生還の可能性もない冒険に挑むことは、それは冒険でも、勇敢でもないのだ。無謀というべきものなのだ」

 行く先々で現地の人から「それは危険だからやめなさい」と言われ、行くべきかどうか迷ったことが幾度となくあったが、自分で冷静に状況判断して決断することを繰り返してきた植村さんならでは。自分が世界初単独登頂を遂げたマッキンリー山の、真冬の単独登攀で帰らぬ人になるとは…… 一番無念に思っているのは当の植村さんに違いない

 最後に、植村さんに励まされた一言。

「山登りを優劣で見てはいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山が本当だと思う」

 さて、今年の夏はどんな心に残る山歩きをしようかな……

花盛りのラッパスイセンとオリーブの謎

2010年09月09日 | エコ
 9月に入ると、陽気がめっきりと春めいてくる。陽射しが暖かで心地よく、日が長くなったし、朝晩の冷え込みも穏やか。夜は、暖房を入れなくても過ごせることがある。
 
 花壇にはラッパスイセンが花盛り



 ラッパスイセンを背景に、トラに写真のモデルを頼んだ。



 椿のつぼみも随分ふくらんだし、チューリップもぐんぐん育っている。この家で迎える初めての春、庭の草木が花をつける日が、ひたすら待ち遠しい。 
 
 冬の間に鉢に植えた、そら豆と



フダンソウ(シルバービート)の芽も大きくなってきて、畑に植え替える日も間近だ。



 昨日、友人が遊びにきて、畑で取れた人参とごぼうをお土産にもらった。玄関先に植えてあるオリーブを見て、



「これさぁ、せっかく実がなってるんだからどうにかして食べられないのかしらね」



「私達が越して来る前にこの家に住んでた人は、食用かどうか分かんないって言ってよ」
「じゃあ、インターネットで調べたら? もし食べられる種類ならラッキーじゃない!?」

 宿題を残し、彼女は去って行った。オリーブって買うと結構高いから、自給自足できたら嬉しいかも…… という訳で、早速ネットで調べたけど、葉っぱの形とか、似てるのが多くって何だか良く分からない



 写真では立派な実がついてるように見えるけど、実際は人差し指の爪ほどの大きさしかないし、スペインなど食用オリーブが育つ地域に比べるとここは気候が冷涼だから、どんなもんなのか 実が落ちるまでの間に、何とか判明するといいなぁ。


アオラキ・マウント・クック国立公園 4週間の総括

2010年09月07日 | 思ったこと
 アオラキ・マウント・クック国立公園での4週間の単身赴任は駆け足のように過ぎ去った。赴任した日は雪が降っており、赴任を終えてクイーンズタウンの自宅へ戻る前日も降雪と、雪で始まり、雪で終わった感がある。

 環境教育の仕事はものすごく楽しくやりがいがあった 国立公園に課外授業で訪れた小中学校の団体と一緒に、近くの谷を歩いたり国立公園の人的影響や環境保全の仕事に関するレクチャーを見学・補助したり、プレゼンテーション用の資料を作成したり……

 思えば、日本の大学・大学院の6年間で学んだ、社会教育・レクリエーション・生涯学習と中高の教員の資格、ニュージーランドの専門学校で学んだ環境管理学の両方を活かせる、こういう仕事をずっと、ずっと、やりたかった 

 ニュージーランドに来た当初は、この国での職歴が皆無だったので、学歴・資格・キャリアとは全く関係のない観光業の仕事からスタートし、政府系の環境関係の仕事に就いたのが4年前。それもインフォメーション業務が中心で、教育関係のポジションに何度か応募して、やっと実現したのだった。

 できればもっと長期間の方が有り難かったけど、二重生活による出費が予想より大きかったことを考えると、今回はこのぐらいでちょうど良かったのかもしれない。

 冬期のマウント・クック村の人口は200人程度、職場内、地域の結びつきがとても強くて暖かく、何か困ったことがあれば、あっという間に救いの手が四方八方から伸びてくる。パーティなど人が集まる機会も結構多く、この4週間で4回もあったのはちょっと意外だった。知り合いが一人もいない場所で、寂しく感じることもあるかと思ったけど、そんな心配は全く不要だった。

 国立公園ならではと感じたのは、生態系に影響を与えるペットの動物や、外来植物の持ち込み・飼育が禁止されていること。狩猟の習性がある犬やネコは固有種の鳥を捕まえるので御法度だし、庭で家庭菜園やガーデニングなんてとんでもない世界なのだ。唯一、飼育できるペットは観賞魚程度だろうか。また、村にある住まいは全部借家。個人の土地・建物の所有が認められないからだ。

 先日アップした、タスマン氷河の大崩壊という歴史的な自然イベントに出会えたのもすごい幸運だったし、冬のフッカー谷や山々もとても美しかった 

 来る夏には、時間を作ってまたこの地を訪れ、猫かぶりとウェークフィールド山に登りたい。総じて、アオラキ・マウント・クック国立公園の山々は、登頂には高度な登山技術を要するものが多いのだが、この山はいわゆる登山技術がなくても頂上へ登れるのだ。登山道がないのでルート・ファインディングは自分でしなくちゃならないけど、稜線伝いなのでそう大変ではなさそうだ。

 後ろ髪を引かれる思いで、クイーンズタウンに戻ってきたが、庭では鮮やかな黄色のラッパスイセンが咲き始め、家人とトラの待つわが家はやっぱり最高だなぁ