Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

このブログについて

たまに更新します。
最近はnoteに記事を書いていますので、Earth Spiralのnoteもご覧ください。
note Earth Spiral
星々のことば/猫の言い分/Plant Medicine/白魔術研究所ほか

魔術の練習~ふだんの中の見えない世界~

2017-03-30 | [Earth Spiral もりとアートの学校]
人間はいつも、エネルギーと情報が飛び交う
海の中に生きているようなものだ。
空間は何もない空っぽなものではない。

スピリチュアルな世界や
サトルエネルギーの世界は
なにも、特別なモノではない。

言葉や物質など、
はっきりとわかるものだけではなく、
もっともっと微細なものを人間は感じとっている。

その微細な感覚は、いつしか忘れ去られて、
分かりやすいものだけに意識を向ける。

それでも、
人はいろいろなものを感じ続けているから、
目に見えるもの、
分かりやすいものの世界だけに生きていると
もやもやしてくる。

もやもやするだけならいいけれど、
閉塞感を感じたり、孤独感を感じたり、
うつうつとしてきたりする。

そしてまた、
「自分はダメなんじゃないか」
「間違っているんじゃないか」
と、いろいろ考え始めたりする。

それらは、微細なエネルギーや情報を受取っているからだ。
外から来る場合もあるし、自分の中から来る場合もある。
それは、自分でコントロールしようと思えばできる。

自分で制御するには、
何が起きているかを知る必要がある。

どんな感覚や感情でも
自分にわいてきていることに気づけば、
必要であれば残す、不要であれば、
外に掃き出すことができる。

どんな考えがわいてきても、
それを捕まえることさえできれば、
やめられるし、いつでもはじめられる。

焦ってはいけない。
練習はこつこつと。

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いろいろと開催しています。

自分の感覚を信頼して生きられるように。

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病と癒し

2017-03-27 | 日記的な
病と癒しは、自分と他者(人間のみならず)、
自分とモノごとの新しい関係性の構築のための、
一体となったシステムだ。
そのシステムは必要な時に作動する。
真実の癒しとは、繋がりを修正しつつ、
全体性をとり戻していくプロセスの中で
必然的におきるものであり、
物質世界においては時間が必要なもの。

世界もやもや会議

2017-03-19 | 日記的な
世界もやもや会議

未来をめざして走る時に
置き去りにされる様々な思い
それを置いたままでは
本当の未来にはいくことができない
光をめざして進めば
いつまでたっても
光に追いつくことはできない
すべての闇と影を照らし
自分が光になれ
すべてのもやもやに目を向けて
それらを慈しむ愛の中にあれ
今日は魂の同志たちとの
もやもやミーティングだった
この、もやもやの中に
本当の未来がある
もやもやの扱い方を学んで
世界もやもや会議を開きたい
というのが目下の
我々の目標となった
May the moyamoya be with you.

*世界もふもふ会議も同時開催予定(笑)

精油のことや代替療法のこと

2017-03-18 | A World Problem
精油の飲用と原液塗布を推奨し精油を売る方がいる、
という問題に関して警告を発しているセラピストさんや
植物療法家の方を最近よく見かけます。
そして、こんな山の中に住んでいるわたしも時々質問される…
ということは世の中にかなり広まっているということですかね。

しかるべきトレーニングを受けているアロマセラピストは
基本的には飲用と原液塗布をセルフケアレベルでは勧めないです。
確かに有効な場合はあるけれど、一般の人が気軽にやる方法ではありません。

質問を受ける時に、この問題の内には、
「精油に対する知識」の問題と「ビジネス形態」の問題と、
二つの問題が混在しており、
質問される方も混乱している時があります。

ビジネスのやり方については、個々人の方針の問題なので
トライしてみようと言いうならば、それも良いかもしれません。
しかし、精油の基本的な使い方の知識として、
精油の飲用や原液塗布を知識のない人に進めるのは、
はまずいような気がしています。

精油はどのように採取されるかを知っていたら、
湯水のように使えるものではありません。
たくさんの植物から少量しか取れない、
自然の力が凝縮されたものなのです。

ですから、なんでも精油で改善しようという前に、
自分の生活習慣を改善することが、
まず、やるべきことではないかと思います。

それが、恵みを提供してくれる、
自然界へ敬意を表することではないでしょうか。

うかがうところによると、
ローフードでの精油を使用する例や、
波動やエネルギー療法として精油を飲む、
原液塗布するということがあるそうです。

精油は高熱かけますのでローフードの中で使ってもいいものなのでしょうか?
ローフードのことはよく理解していませんが、
柑橘の精油を使うより、フレッシュな柑橘類を使うのが良いのではと思います。

そして、もう一つの使用法、エネルギー的な使い方に関しては、
高濃度で使用する必要はありません。

ある時期から癒しとかセラピー、ヒーリング「業界」は爆発的にマーケットになっていき、
現在は、だんだんとその「なれの果て」に近づいている現状があるのかもしれません。

その昔、アロマテラピーの某団体で活動させていただいてましたが、10年前にやめました。
なぜかというと、その時の私には、会員を増やすことに力を注いでいる
業界団体にしか見えなかったからです。

「これは素晴らしいから広めよう」となった時に、
そこには社会貢献的な意味合いや志があるように見えるけれど、
精油を使う人が増えたら環境負荷にならないのか?とか、
どんどんスクールも増えて、資格認定者も増えていくけれど、
働く場所はあるのか?とかいろいろ考えてしまったからです。

その頃は、パーマカルチャーも学びはじめ、環境負荷のことなどを考え、
精油を使うかどうかを悩んでいました。
身近に使える植物がたくさんあるし、精油である必要はないのではとも思いました。

今は自分なりの判断基準ができたので、精油を使うこともあります。
つまり、どうしても精油じゃないと出来ないことに対して利用することにしています。

癒しに必要なものは何かということについて、ひとりひとり違います。
出来れば、その人が必要なモノやコトに出会って欲しい。
私はその媒介であればよいと思うので、メソッドも使うモノも1つではなく、
すべてのものを把握するのは無理だけれど、
多様なものを理解しておきたいと思っています。

そして、自分のできる範囲をわきまえ、
その中でどんなサポートができるかを考えます。
同時に「この人に必要なのは私や私ができること以外かもしれない」
という視点を常に持つようにしています。

今回のような間違えた形でヘルスケアの方法が広まっていく様子を見た時に、
薬や病院だけに頼らずに、自分でケアしようという心意気の人が
増えていることの現れと考えることもできます。
しかし、西洋医療を全面否定したり、
自分がいいと思ったことだけを人に押し付けることはしてはいけないことです。

西洋医学の薬を見るのと同じ感覚で、代替療法のモノを捉える人がいますが、
それはモノを薬からアロマやハーブに変えただけに過ぎません。
本当に必要なのはパラダイムシフトなのですが、
そのあたりが、なかなか難しく、時間がかかるところかと思います。

みえない暴力

2017-03-18 | 日記的な
(すごく長いです。森友、原発事故、メディア、日本、そして信仰などについて、つらつらと)

2011年の震災が起きる直前だったと思うけど、
山口県上関原発の建設を巡って
漁業を主なる生業としている祝島住民と推進派の対立があった。

この海に原発からの排水が流されたり、
万が一、事故があったら自然の恵みで暮らしている
平和な小さな島の暮らしは壊滅的になる。

当時、その反対運動にかかわっていた若者たちが
Ustreamを使って現場の様子を毎日中継するということをしていた。
新しいメディアを使って現場の生の様子を伝えるというのが、
とても革新的だと思い、毎日ハラハラしながら、応援しながら見ていた。
現場に駆け付けた友人たちもいた。

しかし、住民や反対している人たちの思いも空しく、
強制的に工事が始まった。

裏磐梯に移住したばかりの自分は、
ふと振り返れば足元には福島県には東電の原発があった。
それについて状況をわかっていないと思い調べたら、
ちょうど福島原発40年にあたり廃炉に関するフォーラムがあることを知った。
それには、検察により陥れられた元福島県知事の佐藤栄佐久氏も講演する予定だった。

それが2011年の3月下旬だった。それに参加してみようかと考えていた矢先に、
あの巨大地震と津波、そして原発事故があった。

日本は、こんなにひどい事故があっても、あまり変わらなかった。
原発推進の石原は都知事になり、安倍は首相になり、最悪すぎて、
もうどうでもよくなった。

自分のことだけちゃんとやろう、というか、
自分を立て直すだけで精一杯だった。
あの時は、遠くから上関原発の顛末を見ているだけだったが、
いったい誰の意図で動いているのかわからないけれど、
どうやって国家権力が個々人の想いや暮らしを無視し、
目に見えない暴力により人々を抑圧していくかを、
原発事故後の福島で目の当たりにした。

そう、見えない暴力。

そして、最近自分が見聞きする話の中には、
その見えない暴力が、日常に蔓延しはじめていることをじわじわと感じていた。
無言の脅しにより、自由にものが言えなくなる雰囲気。
個人レベルでもそうだし、マスメディアもみんな。幸いと言うか残念ながらと言うか、
安穏ときてしまっている日本の問題でもあるのかもしれない。

そして、見えないところで権力が個人を押さえつけるということが行われている。
いじめ問題だって同じ構造だ。いつも見えないところで起きる。
見えないから周りの人は気付かない。

森友学園の問題を、国家権力による個人の抑圧と言う人権問題を切り口にして、
周辺の問題を暴こうという、今回の菅野氏のやり方は慧眼だし、
同時に、日本のジャーナリズムがいかに腐っていたかがよくわかる。

そして、またツイキャスと言うネットメディアを使い、
大手メディアの記者も巻き込むという荒業を見ていて、
遠くから応援したい気持ちと、これで何かが変わるかもという淡い期待をする。

同時に、前に書いた上関原発のことも、
震災後何も変わらなかった事実もあるので、
どうせやってもダメかも知れないというあきらめの気持ちも持っている。

でも、人権を無視されるということは、誰の身にも降りかかる事であり、
明日は我が身であるという問題だ。
原発避難者の問題だって、自衛隊の問題だって、
「自分の保身のために人を人とも思わない」ロール(役)があちらこちらに暗躍している。
もし、内閣が転覆しなくても、身近にあるそのロールには立ち向かわなければいけない。

数日前に書いた精油の問題だってそう。正論により自分が批判されると、
「それ以上言うと痛い目に合うわよ」と脅しをかけてくるような雰囲気。
何も国家権力レベルだけで起きているわけではない。
すべての規模でフラクタルに起きている。

わたしも、小さいことだけれど、田舎コミュニティなどでは、
はっきり表面化するわけではないが、
脅しのエネルギーのようなものを感じる時がある。
「そんなことしてると村八分になっちゃうよ」的なものとか。
それは恐ろしく気持ち悪いエネルギーだ。

自分が抵抗できる規模のものとそうでないものがあったとして、
自分が抵抗できる規模のものは、ちょっと勇気を出してみたら、
撥ね退けることは出来る。
ただし、そこで何が起きているかということをクリアに認識する必要がある。
脅している相手も無自覚な時があるから。
それが、分断を起こさず最善の対処をする方法だ。

今回の森友に関しては、菅野氏が籠池の人権を守ることに
焦点を当てて事実関係の解明にあたっている。
事態は一体どう動くかわからないけれど、関係した人たちが少しでも、
自分がやっていることに対する認識が高まり、
良き方向に事態が進むことを祈ります。

個と集団

2017-03-17 | 日記的な
森友問題ウォッチャーのあんじゅです(笑)
気になる記事があったので書きたくなった。

「教育勅語」を愛する人々

いやね、わたしもお金の問題だけなら「またかよ」って思うの。
小学生の頃にロッキード事件があったから、
「政治家って金と権力でんでん、じゃなくて云々な人たち」
って思って子供のころから見てたからさ。

今回のどうしてもウォッチしてしまうのは、
この人たちの精神構造に興味津々だから。
そして、そこに今の日本を作っている根深い問題もあり
ひいては日本のカルマにも繋がってるのではなかろうか、
って思うから。

日本って昔からなぜか嫌いだったのよ。
学校でも世界史は好きだったけど、
日本史の授業の時はこっそり受験勉強しているタイプだったので、
さっぱりわからない。

漢字で人名がいっぱい出てくるのも苦手だし。
教育勅語の「個人より集団を重視する」っていう、
この小田嶋さんの意見はなるほどだよ。

私はアレも嫌いだね、「ならぬものはならぬのです」。
目上の人を大事にしましょうとか、それはわかるけど、
なんだか若い者を抑圧している感じでいやだわ~。

道徳を説いたものって、いろいろありますが、
例えばモーセの十戒、これ、どうでしょう。
「汝、殺すなかれ」「盗むなかれ」。
「は?あたりまえなんですけど」って思いませんか?

人間って、いまだに馬鹿なところもあるけれど、
昔よりは意識って進化しているわけなんです。
だから何千年も何百年もたった教えは適用できない。
もちろん普遍的な教えもあります。それは見分けないといけない。

そして、集団主義や自己犠牲の賛美のおかしさについては重要なところです。
自分を自分として認識する個人主義の段階を経て、
健全なる集団意識が得られ、そこでやっと自分のエゴをおいて
社会や地球のために奉仕できる。


個人意識をしっかりもたない全体主義は非常に危険で、
個々人のためにもならなければ、集団のためにもならない。
それは、インテグラル理論やスパイラルダイナミクス理論などが参考になると思います。
とまあ、こういうところにも、考察すべき重要な問題が隠れています。

地球のヒーリング

2017-03-03 | スピリチュアリティ・魂の癒し
最近、時々、地球のヒーリングをしようかなと
思うことがあります。
いつかはやれたらいいなと思いながらも、
それに関する本なども買っていたけど積読状態。

それが、急にスルっとやってみようかな、
と思えるようになってきました。

実際に、去年のトレーニングの時に、
みんなで地球へのヒーリングを
おこなったことがあります。

「そんなのできるのか?」という
疑念とともにやっていたのですが、
結果的には、自分が癒された、
という人が多くいました。
私も、やっているうちに、
何とも言えない心地よさに
包まれていたのを思い出します。
詳細は、深すぎて覚えていられませんでした(汗)

そして、ヒーリングの開始前には、
いろいろな存在達が、
ヒーリングをする側のグループに
加わってくるのが感じられました。

それぞれの魂の計画に沿った
ヒーリングが起きることを祈り、
ハートチャクラを通した愛の性質と、
魂の性質につながるということを、
事前のセッティングとして行うので、
そこでは、必要なことが起きます。

地球のヒーリングをする、というのは、
とてもおこがましいと感じる人も
いるかもしれません。

結果的には、私たちが地球を癒すというよりも、
私たちが地球に癒される、ということになるわけです。
じゃあ、やる意味はないじゃないか、
自己利益のためじゃないか?
と思う方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、見えない世界を扱う時には、
どういう意図を持ってやるかが
とても重要です。

出来るかどうかは別として、
地球のために何かをしたい、癒したい、
と思う気持ちは尊いものです。

それがヒーリングをするものとされるものの
相互作用を引き起こし、
必要なことが起きてくるのだと思います。

やってみると、その時々で、
体験は変化していきます。

半ば、種明かしをしてしまいましたが、
地球のヒーリングをするというのは、
そういうことです。

裏磐梯はこれからだんだん春に向かっていきます。
地球の反対側では、
秋に向かっていく場所があるのですね。
それを思いながら、時々、
実践をしていきたいと思います。

東京に出張に行った時も、
時間があればやってみたいと思います。



魑魅魍魎界に巻き込まれる人々

2017-03-02 | 日記的な
ちょっと長めのお小言。
20年以上前のバブル期には広告や編集関係の仕事してた。

編集記事と見せかけて、実は広告記事、というのはその頃から流行りだして、
何度も作ったことあるけれど、ちゃんと広告なのか純粋な編集記事なのかを読んだ人にわかるようにする、
っていうモラルは企業としても、ちゃんとしようよっていう感じだった。

最近ネット上で横行している、記事と見せかけた広告まがいにものは、
すべてと言っていいぐらい感情に働きかける。感動したらシェアとか、
驚かせるようなもの、センセーショナルなものなど、よく見かけるでしょ。
決して思考のレベルではない。

SNSだのなんだのかんだの、メディアはとても複雑化していて、
情報も毎日大量に垂れ流されていて、
しかし、みんな忙しすぎて自分で精査する時間もなくて、という世界。

だから、政治だってそう。マニフェストなんかを出してもそれを読まないで、
だいたいイメージとか感情的なものや感覚、
田舎だったら「お世話になってるから」っていう関係性で決まる。

オカルトな視点から言えば、ほおっておけば今の人間は、
アストラル界という魑魅魍魎界に反応し、巻き込まれるけど、
本当はそこからは一歩ひいておく必要がある。
つまり、ちゃんと思考を働かせないといかんということ。

人間、だんだんかしこくなってきている(はずだ)から、
アストラルレベルに働きかけるような広告手法は、
すぐに廃れると思うけど、というかそう願う。