日本の「食」の在り方

益々、グローバル化する日本の食卓を通じ、未来の日本の食の在り方を模索していきたいと思います。

ニュー・ジパング~熊本県・肉類編3(銘柄鶏肉について)~

2012-12-30 23:15:28 | ご当地の銘柄肉

*ニュー・ジパングとは、日本の食文化の温故知新から、現在、未来の日本の食の在り方を模索することを
目的として書いているブログのサブテーマです。


熊本県の銘柄鶏肉について述べるときに、忘れてならないのは、肥後五鶏の存在です。
肥後五鶏とは、肥後ちゃぼ久連子鶏(くれことり)熊本種地すり天草大王のことを言います。


まず、肥後ちゃぼ(写真参照)についてですが、もともとチャボは、原産地・占城(チャンバ・現在のベトナム)から
中国を経由して江戸時代の初期に我が国へ渡来した鶏種です。


渡来期は江戸時代初期(1600年代)以降、元禄・文化・文政期に、江戸を中心に盛んに飼育され、この時代は
いずれも町人文化の華やかな時代であり、豪商たちをはじめ、大名たちも競いあうようにして、羽色や形態の変異に
富んだチャボを作出・飼育し、その結果、江戸時代後期には現在飼育されている大部分の内種が出そろったと
いわれています。


現在のチャボは小型愛玩鶏として日本独特の進化を遂げ、羽色や羽質、冠、尾などの形質の違いにより
25内種を数えるに至りました。


羽色の変異による内種として、白色、黒色、真黒、浅黄、淡毛猩々、碁石、桜碁石、白笹、桂、猩々、銀鈴波、
金鈴波、加比丹猩々、源平、鞍掛源平、銀笹、金笹、白笹、赤笹、黄笹等があり、羽質の変異による内種として
逆毛、糸毛があり、また、冠および肉髯の変異による大冠と翁があり、尾の変異による内種として、達磨があります。


その中で、戦後は熊本県において「大冠」、「達磨」とも小羽数が愛好家数名により細々と飼養されているだけで、
絶滅寸前の状態であったと言われています。そこで、昭和43年に愛好者が集まり熊本県に残存する「大冠」と
「達磨」を総称して「肥後ちゃぼ」と名付け、「肥後ちゃぼ保存会」が設立され、保存活動が開始されました。


しかし、外国種の輸入に伴い疫病が次々の流行り、思うように増殖できず、その後、肥後ちゃぼの保存改良および
増殖方法の確立につとめ、現在に至っています。


肥後ちゃぼの養鶏家の方の話によると、肥後ちゃぼは、ふつうのチャボに比べると倍近く大きく鶏冠の先から
下まで大きいチャボで24cmくらいあり迫力があり、それと体が弱く、気温の変化や水に濡れると病気に
かかりやすく、酷い時には死亡するそうです。


そのために、小屋の定期的な掃除、栄養剤を飲ませることを徹底し、とさかを大きくするために野菜を細かく
刻み餌と混ざるようよくかき混ぜて与えたり、時々外に出して遊ばせストレスを無くすように心がけながら
飼育をしているとのこと。


その中でも一番手をかけているのが鶏冠のマッサージをすることというのが、何とも微笑ましい話です。
このマッサージをすることにより、鶏冠が大きくなり、鶏冠の曲がりがまっすぐになり、よく人に慣れるそうです。


天然記念物大冠種の銘鶏、肥後ちゃぼを絶やすことなく飼育していくことが「肥後ちゃぼ保存会」の使命との
話で、今まで、私は肥後ちゃぼの存在も知らず、また、肥後ちゃぼが天然記念物であることも知りませんでした。
多くの方に肥後ちゃぼのことを知ってもらうことで、貴重な種が未来に遺されることを願います。



さて、久連子(くれこ)鶏が飼育されている熊本県八代郡泉村は、九州の中央山岳地帯の中央西側に位置し、
宮崎県椎葉村と接するところにあります。この泉村の山岳地帯は五家荘と呼ばれており、平家落人伝説があり
「平家の里」として知られています。


久連子鶏は、この五家荘の中でも最も南の奥まったところにある久連子地域で、古くから継承されてきた
古代踊りの装飾の一つである花笠を飾るための長い尾羽を採取するために、300年以上にわたって
飼い続けられてきた鶏種で、地元では「地鶏」と称されていたそうです。


見かけは雄は銀笹で成鶏体重は約1,900g、雌は黒で成鶏体重約1,400gで、昭和40年に天然記念物に
指定されるものの、何度も絶滅の危機にさらされ、昭和50年に熊本県教育庁文化課からの協力要請を受けて
それ以来、熊本農業研究センターが調査と保存改良に取り組んでいます。



熊本種は、明治20年から明治40年にかけて、熊本県下益城郡小川町を中心として、在来種にエーコク種を
交配し、更にバフコーチン種や白色レグホーン種、バフプリマスロック種を交配して、産卵率の向上と
羽色・体型の斉一化を図り、明治38年に「熊本コーチン」と命名されました。


昭和10年ごろから、多産鶏の養鶏が主流となり、その後、ブロイラーの需要増に伴い、熊本種は
コーニッシュ種雄との交配で肉用種として、普及を試みるも、その繁殖能力の低さのために、
昭和44年に熊本種の保有を断念したという歴史を持ちます。


しかし、昭和51年ごろから、高品質肉用鶏として熊本種の復元を試んだ結果、成功し、熊本種を大型に
改良した熊本コーチンが生まれました。そして、熊本コーチンと交配させる雌系統の
ロードアイランドレッド種の熊本ロード、この両鶏の交配種が肉用熊本種であり、更に、熊本ロードに
白色プリマスロックを交配し、褐色羽装・大型で産卵率のよい雌系統九州ロードを造成するに至りました。


平成16年にJAS法の特定地鶏として認定された「肉用熊本コーチン」は、熊本種の雄と九州ロード゛の雌を
交配してできたものです。与える飼料もこの肥後地鶏の健康を考え、「おから」「にんじん」「ヨモギ」「木酢液」
「海藻」 「ゼオライト」 とこだわりを持って飼育されており、その肉は、脂肪が少なく、赤みを帯びて
弾力性があり、適度な歯ごたえ、ほのかな甘み、昔ながらのコクがあります。



地すりは幕末から明治初期にかけて作出された品種で、一名「おとし」(はシャモ(軍鶏)と他の鶏種の
一代交配種)とも言われ、その外貌はシャモに良く似ており、脚はシャモの脚を半分に切ったような姿を
しているといわれ、黒中シャモの短脚種であると見なされています。


昭和30年代になって、絶滅しましたが、昭和52年ごろから復元を試み、平成6年ごろにほぼ復元する
ことができました。



天草大王は、今や肉用熊本コーチンと同様、熊本を代表する銘柄鶏肉として有名ですね。
文献によると、原種天草大王は、明治中期頃中国から輸入されたランシャン種をもとに、天草地方において
肉用に適すように極めて大型に改良されたものだということです。


大正時代には、天草大王は博多の水炊き用の鶏として出荷されていましたが、昭和に入り、博多の水炊きの
需要の落ち込みとともに、その飼養羽数が落ち込み、ついに絶滅しました。


かつては、博多の水炊き用として肉質に定評のあった天草大王を熊本県産地鶏として復元させるために、
ランシャン種を輸入し、そのランシャン種と熊本県産の黒色シャモ、福岡県の赤笹若雄、熊本種と交配を
繰り返し、肉用鶏天草大王の交配に使用される原種天草大王が生まれました。


肉用鶏天草大王(一般には天草大王という呼称)は、原種天草大王の雄と前出の九州ロード(雌)を
かけ合わせてできたものです。


日本最大級の肉用地鶏としてあまりにも有名な天草大王。その詳細はWikipediaの天草大王
是非、ご参照ください。



前述通り、熊本県農業研究センターでは、昭和51年からこれらのニワトリの復元や飼育方法などの
研究に取り組み、絶滅寸前であった肥後ちゃぼ、久連子鶏(くれことり)、熊本種については増殖をおこない、
すでに絶滅していた地すり、天草大王については復元に取り組み、平成13年までに肥後五鶏を
復活させることができました。


熊本県の肥後五鶏の種を保存し、また、復元し、普及させようという熊本県の農業関係者の皆様の
不断の努力には、ただ、ただ、頭が下がる思いがします。是非、今年中に熊本が誇る地鶏の熊本コーチンと
天草大王を食し、味を堪能するとともに、その精神をリスペクトすることを忘れずにいたいと思います。 


今年もご愛読ありがとうございました。良いお年を!