はにわ日記

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映画 ハクソーリッジ 

2017年06月29日 | 映画
ハクソー(のこぎり)リッジ(崖)
という語意らしい。
戦争に行っても武器を持たない衛生兵が活躍した実話、らしい。
きわめて少ない情報でも、ノンフィクション好きだから
これで十分。

さて、まずは驚いた。

第二次大戦、日本の沖縄が舞台だという。
そこ、宣伝しないんだ。疑問に思いつつ
他人ごとではないという心境で鑑賞。

結果としては、日本軍が負ける結末で日本兵だけでなく米兵も
残酷に殺されるシーンが満載で、途中目を覆う場面もしばしば。
日本兵は体格良すぎてリアルさゼロだし、ハラキリシーンは
ステレオタイプだし、
日本人には見せる気、なかったんだろうなーと感じること多々あり。

しかしとにかく強烈な映画でした。星4つレベルで。

線の細いアメリカの若者が主役の衛生兵で、
アンドリューガーフィールドがはまり役。
見ればわかります、瀬戸 康史とかぶります。
これが、とんでもないタフ野郎。

山登りで鍛えられた健脚を持ち、
兄弟仲良し。
恋をしたら一直線。
関心を持った医療の知識習得にもストイックに取り組む。
クリスチャンホームで育ち、奉仕と謙虚さを身に着け、祈りの力を
信じている。
退役軍人の父の暴力も我慢強く耐え、常に微笑みを絶やさない。

しなやかで頑強、一本気で敬虔で、天然。屈強なアメリカ兵の中で
弱虫ふうなのは否めない。

彼は、自ら志願したにも関わらず、武器に触れることを拒否し、
良心的兵役拒否者(Conscientious objector)として
戦場へ赴く権利を得る。これはアメリカならではの制度なのかもしれないが、
宗教上の理由からこれを志願し、法的にその権利を認めれられて、
紆余曲折はあったものの無事、衛生兵して最前線に向かう。

もちろん、ストーリーの中では、
この特異な権利を求める彼と、普通の兵士や上官との間でのいざこざは
たっぷりある。クリスチャンといえども、武器を持ち戦う者こそ多数派の中、
当たり前のように「武器は持ちません。攻めません。自分は兵士を守ります」という彼のほうが
異端なのだ。志願し、死が目の前にあっても立ち向かうことが
当たり前なのだから。
でも彼に気負いのようなものはない。
当たり前のことなのだから。
自分を曲げもしないし、空気を読むでもなく、見解の違いに悩むこともしない。
天然といえばそれまで。
当たり前に聖書を読み、安息日は休み、主義を主張しない。
最初から最後まで、言葉は少なく、ただ息をするように
軽々と行動している。ように見えた。
彼はのびのびしている。恋した相手へも素直に心を打ち明ける。
訓練の中でのいじめにも、悔しいとさえ思っていない様子だ。
受け入れることだけして、仕返しもしなければ、自分を守る手段も講じない。
何をされても根っこはがっちり固めているから
未来は明るいと知っている。当たり前だからね、と言っていそう。
卑屈にもならない。
だから行動に惹かれるのかもしれない。
言葉多く語られるより、行動に説得力のある映画だ。
こんな人でありたい、と思わせる人物だ。

ところで映画は
衛生兵といっても、後方支援だけでなく、最前線に出向くところが
予想と違って驚いたことのひとつだ。
前線へ出た初日から大激戦となる。既に前任の部隊がいくつも倒され、無数の死体が
ころがる戦場。
撃っても撃っても、敵は湧き出るかのように現れる。
撃ちまくる、殺しまくる、焼きまくる、そんなシーンだけで何十分も占めている。
心臓に良くない。
ドスは武器は持たないが負傷兵を助けながら前へ前へと進む。それが当たり前だと
言わんばかりに。
もちろん敵というのは日本兵であり、観客の目線では日本兵に敵対心を持ってしまい、
日本人としては、日本よ早く降伏してくれと祈るばかりの気持ちになる。
そして、負傷兵のグロテスクさ。死体のえげつなさ。むごたらしさ。
プライベートライアンも強烈だったが、輪をかけてショッキングだ。
戦争は敵も味方もなく、あってはならないものだと改めて思う。
死はむごたらしい。戦争は死を大量生産する。
平和な映画館で軽々しく言えることではないが、
これがもし身近に起こる現実だとしたら。
考えただけで狂いそうだ。

さて、映画のクライマックスはドスの赴任初日の大激戦に終始する。
そこに映画2時間半のうち1時間くらいを費やしているだろうか。
その間、弾をよけながら、手当をしながら前に進んで進んでいく。
地上戦で日米がこれでもかというほど戦った後、アメリカ軍はいったん後退する。
海上からの砲弾で支援を得るためだ。
ところが、ドスは、残された兵士を助けるため、
仲間の撤退とは違う行動を起こす。
現地に残り、一晩中、生存者を探すのだ。

もう一人、あと一人、神様あと一人助けさせて下さい、それだけを発して
負傷兵を助けに助ける。
一人助けては、また死体の山に戻る。敵もまた残っているわけだから、
命の危険は昼間の戦場以上だ。
助けては戻る、その繰り返し。
結局、75人を助けたそうな。一晩で。
そして、日本兵は降伏。アメリカによるオキナワ平定へと進んでいく。
この行動に、もちろん恐怖はあったと思う。
しかし、武器はもちません、と当たり前に意思を貫いたときと同じように
当たり前のように、あと一人、とつぶやきながら闇の名に戻っていく。
それが彼の志願した答えだから。
大変なことをしている気負いもない。自分がしなくては、という使命感とも違うような。

一人ずつ、ひとつずつ。
できることをできる範囲で、一歩ずつ。当たり前のことなのだから称賛がほしいわけではない。
だから、最後に自身が無事助けられたとき、
見失ったお守りがわりの聖書を「ぼくの聖書を・・・」と一言。
仲間の一人が今一度危険地に戻って探し出し彼に手渡す。
安心したように胸に置くドス。
彼は天然な向こう見ずさんではなく、聖書の教え通り人に仕え、信じるままに
実行した、だけ、なのだ。

それがドスのすごいところ。