イーゴンの徒然

新幹線やラッセル車の写真。東日本大震災写真集「その時、閖上は」を出版しました。

東日本大震災写真集『その時、閖上は』(宮城県名取市)

2015年05月04日 21時18分32秒 | 【H23.3.11あれから~回想】
Photo

宮城県名取市閖上に住んでいた私が震災当日~翌日の閖上を撮影、そしてその時の行動を記した写真集。

写真集「その時、閖上は」
P80オールカラー。A4サイズ。税込み1500円。



今回の増刷で第7刷になりますが、◯記述の一部修正 ◯表紙、裏表紙の簡易コーティング化 を行いました。
表紙をコーティングしましたので耐久性が上がったと思います。


コメント欄(非公開にしてますので、記入した情報は私にしか見えません。)に、

「ご氏名」
「送付先郵便番号ご住所」
「電話番号」
「数量」
「メールアドレス」


以上をお知らせいただけますでしょうか。なお口座は「ゆうちょ銀行」になります。


送料でございますがメール便が廃止となりましたので
5冊まではレターパックライト(360円)にて送らせていただきます。




国立国会図書館月報612号(2012年3月)






【H23.3.11あれから~回想12】「閖上小学校に戻る、そして家族との合流へ」

2012年12月30日 15時53分43秒 | 【H23.3.11あれから~回想】
前回→【H23.3.11あれから~回想11】「自宅が無かった…」

※当時の私の動きがわかる閖上の簡略図はこちらからダウンロードできます。
「閖上簡略図」pdfファイル






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12:28 相変わらず仙台新港の油槽所から黒煙が上がっている




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12:29 閖上五叉路を見る




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12:31 また燃え始めた漁船



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12:34 自衛隊の重機が道を切り開く

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12:35 民間業者も復旧作業を行っている



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12:38 氷見市消防局(富山県)
 


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12:38 砺波(富山県)から来てくれた消防。


閖上小学校に戻った。昨日より精力的に動いておられた防災役員と音楽室で話をする。スーツ姿にヘルメットでまったく気がつかなかったが実はよくうちに来られる知り合いの方であった。そこで早速防災無線の話になる。スピーカーだけでも使えないものか?とのことなので屋上に行き見てみる。バッテリーが生きていれば配線を繫ぎ替えてでも使おうと思ったが、試しにブレストークボタンを押してテストした。するとスピーカーから声が出ている。何もしなくてもあっけなく単独放送は出来た。周辺住民に届く範囲内だけでも放送すれば良かったのではないか……。この後、閖上中学校から閖上小学校に移動して来る方に向けて屋上から放送をした。初めは女性の先生が放送していたのだが、先生には持ち場に戻っていただき途中から私が放送をした。

閖上中学校までは車が入れないので、閖上小学校からマイクロバスで内陸部の避難所(館腰小学校など)に輸送することになっていた。大勢の人がバスに乗る列を作っている。

私は歩けるので歩いて脱出しようと決めた。すでに携帯電話の電源はない。家族と合流する場所は決めていなかったが、大おばあさんの入院している岩沼の南東北病院に向かう。日没から逆算して1600に出る事にした。顔見知りになったお世話になった方々に挨拶をして小学校を後にした。



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16:10 閖上小学校から出て歩き始める やけに夕陽が眩しかった


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16:11 海から離れているのに漁船が



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16:17 東部道路名取インター


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16:17 夜を徹して道を開いてくれたおかげで翌日には重機が現地に入れた


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16:18 避難所まで移動する為の桜交通のバスが見える


東部道路の近くのミニストップがある交差点に差し掛かった時、若者が乗る一台の車が止まる。そして岩沼まで乗せていただくことになった。岩沼の病院まであっという間に着いた。若者の親切な行動に最大限の御礼を申し上げ別れた。そして家族がいないか探そうとしたその時、我が家の白い車が目の前に止まっていた。あっけない家族との合流だった。



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17:16 館腰駅 

3月11日の14:45到着14:46発車の上り584M福島行き普通列車。



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17:16 館腰駅に駅員はいなかった





【H23.3.11あれから~回想11】「自宅が無かった…」

2012年08月28日 18時57分41秒 | 【H23.3.11あれから~回想】
前回→【H23.3.11あれから~回想10】 「閖上中学校、そして4丁目の自宅に向かう」



※当時の私の動きがわかる閖上の簡略図はこちらからダウンロードできます。
「閖上簡略図」pdfファイル



閖上漁港にほど近い、貞山堀より東側にある自宅にたどり着いた。


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11:28 閖上4丁目の自宅


この光景にしばらく動けなかった。これが自宅だとは信じたくなかった。基礎しか残っていなかった。


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11:30 閖上中学校でお会いした向かいのAさん宅 家を見てきてと頼まれていたので撮影した


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11:32 庭に植えていた木は残っていた


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11:32 自宅前の道路がこれでは通りにくい



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11:34 畳の小上がりがあったお気に入りの居間


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11:34 朝食も、晩餐も、誕生会も、春美食堂の出前ラーメンも…いつもこのダイニングで




土足で上がって申し訳ない気持ちになり早々と自宅から離れた。そして海の方に向かう。


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11:37 東北学院大学閖上シーサイドハウス



この建物からも推定出来るように(実際浸水域の調査で参考にされている)、我が家も含めたこの地域一体が約9mを越える最大浸水域となったようだ。


“名取市における大震災の記録”  引用 名取市公式サイト





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11:37 閖上漁港から北方面を見る


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11:38 閖上漁港から南方面を見る1


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11:39 閖上漁港から南方面を見る2


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11:40 前日も同じ場所から撮っている閖上漁港の裏の道路


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11:41 市場付近から見た閖上日和山に住宅の屋根がのっている


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11:43 春美食堂のあった場所



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11:45 春美食堂で以前使用していた看板


いつまでも閖上にいたかったが、何度見てもこの風景は変わらないと思い戻る事にする。


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11:53 宮下橋付近から見た名取川河口


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12:02 子供と一緒にサイクリングをした河口沿いの道



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12:03 河口と反対方向を見るとこのような状態



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12:12 住宅内に車が数台入っていた


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12:18 そして閖上公民館入り口バス停付近まで戻ってきた


続く

【H23.3.11あれから~回想12】「閖上小学校に戻る、そして家族との合流へ」


【H23.3.11あれから~回想10】 「閖上中学校、そして4丁目の自宅に向かう」

2012年07月19日 19時40分06秒 | 【H23.3.11あれから~回想】
前回→【H23.3.11あれから~回想9】「閖上に朝が来た」

※当時の私の動きがわかる閖上の簡略図はこちらからダウンロードできます。
「閖上簡略図」pdfファイル


レンズに泥が付いたまま撮影したために、画像の左上が黒くなっているものがあります。


4丁目の自宅に戻ってみることにした。自宅の屋根裏部屋には防災グッズの入ったリュックがある。携帯やカメラのバッテリー関係も豊富にある。玄関には大事なデータの入ったMacBookと財布も置いてある。そして、河口の堤防にはビデオも設置してある。どんな津波が襲ったか記録されているはず。自宅の一階はある程度浸水しているだろうけど、二階まで水は来ていないだろうとこの時は思っていた。

閖上小学校から外に出ると、潮の匂い、焼けた匂い、油っぽい匂い、いわゆる『津波の匂い』がした。

膝まで水に浸かりながら小学校からバス通りに出た。




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9:45 霞んで視界不良 



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9:46 ローソン閖上店


五叉路の歩道橋の下の漁船はまだ燻っていた。

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9:47 この船はこのあとまた激しく燃える 




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9:48 閖上小学校前歩道橋から閖上大橋方面を見下ろす




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9:49 閖上小学校前歩道橋


もう声を出す事はないと思われる方々が所々にいらっしゃった。すべての方に手を合わせているとなかなか前に進めない状況であった。

家の一部であろう木片などを乗り越えなんとか閖上中学校にたどり着いた。二階の職員室にはすでにNHKのテレビクルーが入っていた。そして校内は避難した方や確認に訪れる方々でごったがえしていた。


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9:49 閖上中学校職員室前


知り合いがいないか各教室をまわっていると、「Nちゃんのパパ!!」と幼稚園のお友達のお母さんから声を掛けられた。ふいに声を掛けられ目頭が熱くなってしまった。いくつかの教室をまわった時、自宅向かいのご近所さんと叔母がいた。中学校の各教室のドアには「重い症状の方」などの張り紙がしてありとてもわかりやすかった。

そして屋上に向かう。



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10:11 さきほどまでいた閖上小学校が見える


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10:12 五叉路方向を見る


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10:12 閖上大橋が見える




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10:13 いつもお世話になっていた生協閖上店




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10:14 遠く閖上水門が見える



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10:14 白い建物は閖上公民館


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10:15 魚市場が見える



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10:15 閖上日和山、サイクルスポーツセンター




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10:15 アパート群




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10:15 小学校からも見えた火事




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10:16 閖上中学校の校庭



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10:19 職員室



中学校の屋上から自宅付近の壊滅的状況が確認出来た。ようやくあきらめる準備が出来てきた。


それでも閖上中学校を後にして海に近い自宅に向かう。



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10:27 閖上駐在所



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10:28 生協閖上店




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10:39 閖上五叉路では自衛隊の機材が道を開いている



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10:42 バス通りを入ったところ




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10:53 堤防も一部崩れている



 

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10:55 相澤鮮魚店付近(相澤鮮魚店さんは仙台市西中田で営業再開されております) 



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10:56 佐々木酒造店付近(佐々木酒造店さんは“閖上さいかい市場”で営業再開されております)



道なき道を進んで行く。すると途中でなにか人のような声が聞こえくる。声の方を見ると屋根しかない。しかし何か声が聞こえる。人の声だ。声の方、声の方に近づく…するとそれは天井に取り付けられている『住宅用火災警報器』の音声であった。『火事です、火事です』と繰り返し音声が出ていた。天井だけ裏返っていた状態でも音声が出ているものもあった。これは複数の“屋根”で確認した。


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11:04 バス通りを進むが昨日とは風景が一変している


ところどころマンホールがなくぽっかり空いている所がある。左手に持った角材で足下を確認しながら慎重に前に進む。右手に東禅寺と思われる建物が見えてきた。そしてだんだん建物が少なくなってきた。




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11:08 東禅寺の建物は残っていた


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11:08 前日、この場所でバスの中から撮影している


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11:10 七十七銀行閖上支店


銀行に入ろうとしている人が見えた。入らないよう大声で注意した。


そしてようやく宮下橋、閖上水門についた。


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11:14 宮下橋から貞山堀を見る




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11:14 宮下橋から西方向を見る



貞山掘を越えれば自宅はもうすぐそこだ。


しかしここまで来ると建物がほとんどなかった……




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11:19 貞山堀を越えてすぐの交差点 閖上日和山が見える



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11:20 堤防に設置したビデオカメラはなかった




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11:22 左に見えるNTT閖上アンテナに捕まって助かった方がいる


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11:24 友愛クリーニング(震災前に営業は終えられていた)ここは幼稚園バスの送迎場所でもあった


我が家へ向かう道を見ると塞がれていて通れなかった。まわって自宅に向かう事にする。


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11:24 左の工場の裏手が我が家


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11:26 大城(だいじょう)水産の建物には船が食い込んでいる


そして我が家に着いた。とうとうたどり着いた……


続く


【H23.3.11あれから~回想11】「自宅が無かった…」


【H23.3.11あれから~回想9】「閖上に朝が来た」

2012年06月08日 09時59分43秒 | 【H23.3.11あれから~回想】
前回→【H23.3.11あれから~回想8】 「燃え続ける閖上の街」



※当時の私の動きがわかる閖上の簡略図はこちらからダウンロードできます。
「閖上簡略図」pdfファイル


翌平成23年3月12日(土)…いつもと同じように朝が来た。眼が覚めるとまわりの方も起きていた。寒くて深い眠りにはつけなかった。相変わらずまだ時折爆発音が聞こえる。火も消えてない。だいぶ水はひいたがまだ一部浸かっている状況。ただバス通りは夜を徹して障害物を撤去してくれたおかげで人が通れるようになっていた。 


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5:37 仙台新港の油槽所から黒煙が立ち上っている



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5:37 東の空が日の出を迎える



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5:39 閖上ポンプ場の屋根に一晩中いたのだろうか…



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5:41 7丁目方面はまだ鎮火しない



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5:41 校庭の水はかなりひいた



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5:42 チビッコ丸



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5:50 あんどん松が見える



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5:50 水がひいて沈んでいた車が見えてきた…




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5:52 小塚原方面もまだ鎮火していない

 

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5:55 朝がやってきた



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6:03 自衛隊の部隊が街をまわる



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6:54 自衛隊の隊長と閖上小学校の校長先生



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7:06 自衛隊のジープが小学校に横付け出来るようになった



この時、遠くから女性が助けをよんでいた。建物を見ると、相当浸水したようだ。皆で声をかけて励ました。

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7:12 建物の壁からわかるが、相当浸水したようだ。



私と同じ名前の若い方と小学校の周りを確認することにした。一階に降りると何人かの方が膝までの水に浸かりながら小学校を後にしていた。


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7:18 渡り廊下の車



体育館の中も浸水したようで床が泥に覆われてた。ピアノがひっくり返っていた。

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7:18 閖上小学校体育館



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7:19 閖上小学校校庭


屋上で女性に声を掛けられた。「7丁目の方を撮っていただけないか?」と言われたので望遠で撮影したものをカメラのモニターで見ていただいた。ものすごく落胆されていたのを覚えている。


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7:42 7丁目方面



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7:46 サイクルスポーツセンター方面手前の建物の屋上で救助を待つ方が見える



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7:46 遠く閖上日和山も見える



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7:49 閖上中学校の屋上にも避難されている方がいる



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7:51 こちら側は子供達に見せない方がいいだろうと話していた……



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7:51 小塚原方面、自衛隊がボートで救助活動を行っているのが見える



河北新報の記者が閖上小学校にやってきた。山形からの応援の記者と2人で来たようだった。これまでに撮影したデータをパソコンにコピーして渡した。

閖上小学校に市から物資が届いた。皆で手分けして運び込んだ。そして、コカコーラやダイドーの方が自分達の配達車を探し飲料を取り出してくれた。

そして、配給方式で食事を受け取りいただいた。お腹に入れられるだけで非常にありがたいことであった。

お腹に食べ物を入れられた事で自宅に戻ろうと決め、まずは小学校の外に出ることにした。


続く


【H23.3.11あれから~回想10】 「閖上中学校、そして4丁目の自宅に向かう」