重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





2011年12月26日から31日まで、中国の重慶、成都、楽山、自貢へ訪中調査をしました。


12月26日
楽山市にて、研究者らとの会議




12月27日
楽山市の原告団、支援団、研究者らとの合同会議・交流会



楽山の「8・19楽山爆撃追悼記念碑」前にて



12月28日
成都市にて、原告団、支援団との合同会議




12月29日
自貢市の被害者、弁護団との交流会

自貢市にある製塩工場見学
自貢市は四川省の中でも主要な製塩地帯であったため、日本軍の爆撃被害が大きかった


12月30日
重慶「6・5大遂洞惨案慰霊碑」にて献花、追悼


重慶市の原告団事務所訪問




中国にて訪中調査が各紙報道されました。
※画像をクリックすると記事のサイトへ移動します(中国語)
   

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





2012年1月6日付「現代中国報」にて第20回裁判が報道されました
※画像をクリックすると拡大表示されます(PDF)




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )