重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





8月13日(木)、首都圏ネットワーク(【NHK総合】月~金 18:10~19:00)で
終戦企画「重慶爆撃をひも解く」 として重慶大爆撃について紹介されました。


     

NHK首都圏ネットワーク 終戦企画番組「重慶爆撃をひも解く」




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2009年8月13日、楽山原告支援者たちは、千葉県市川市にある郭沫若記念館を見学しました。
中国楽山市は市川市と姉妹友好都市であり、郭沫若の出身地です。



郭立紅さん、楊追奔さん、張三才さん、三嶋静夫さん(連帯する会・東京)


中国楽山市と市川市の友好都市締結について


郭沫若の説明を受ける楽山原告支援者たち




署名をする楊追奔さん


署名をする張三才さん



張三才さん、楊追奔さん、郭立紅さん

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2009年8月12日、楽山原告支援者たちは、江東区にある東京大空襲・戦災資料センターを見学しました。



東京大空襲・戦災資料センター研究員の山本唯人さん(左)


楽山爆撃について話す楊追奔さん


楊追奔さんは東京大空襲・戦災資料センターに楽山爆撃の資料を寄贈しました。


山本唯人さん(右)の案内で東京大空襲について説明を聞く支援者たち


東京空襲当時の防空壕の写真を見る支援者たち。


東京大空襲・戦災資料センターのボランティアである二瓶治代さんとお話ししました。
二瓶さんは8歳の時に東京大空襲にあい、当時の生々しい被災体験を語ってくれました。


左から張三才さん、楊追奔さん、二瓶治代さん、山本唯人さん、郭立紅さん


最後に山本さんより東京大空襲についての資料をいただきました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2009年8月12日、楽山原告支援者たちは、連帯する会事務局長の西川重則さんの案内で靖国神社を見学しました。












実際に重慶爆撃をおこなった零式戦闘機の説明を受ける楽山原告支援者たち。
(遊就館1階の展示コーナーにて)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2009年8月11日(火)、中野ZEROで第15回学習会がありました。
講師の安田浩一さん(ジャーナリスト)をむかえ、
「田母神発言と重慶大爆撃」という題でお話しいただきました。
また、三角忠さん(編集工房朔主宰)、西川重則さん(許さない会事務局長)、
特別発言として中国から来日された楊追奔さん(中国楽山市“8・19”大爆撃史実研究会副会長)
に発言していただきました。





講師の安田浩一さん(ジャーナリスト)



特別発言「中国における楽山爆撃研究の現状について」
楊追奔さん
(中国楽山市“8・19”大爆撃史実研究会副会長)



発言「『中国侵略は濡れ衣』か?」三角忠さん(編集工房朔主宰)



発言「田母神俊雄前空幕長の歴史観を問う」 西川重則さん(許さない会事務局長)




会場の風景


講師、発言者、来日した支援者らと記念写真

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2009年8月9日、楽山原告と支援者たちは、「8・9長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会」に参加しました。





集会で発言する楊追奔さん



集会で発言する李本澤さん



献花に向かう楊追奔さんと三角さん(重慶大爆撃被害者と連帯する会)



長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑の前に立つ李本澤さん(左)と楊追奔さん(右)



中国人原爆被害者追悼碑と楊追奔さん



中国人原爆被害者追悼碑に黙祷をする楽山原告と支援者たち



追悼碑裏にある犠牲者の名前

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2009年8月8日、楽山原告支援者たちは8・8長崎反戦集会に参加し、発言しました。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2009年8月6日、楽山原告支援者たちは、
「であう、わかる、つくる 8・6ヒロシマ 被爆64周年8・6ヒロシマのつどい」に参加しました。



挨拶をする楊追奔さん(右から3人目)



楊追奔(中国楽山市“8・19”大爆撃史実研究会秘書長)


   
李本澤(楽山爆撃の原告)



楊追奔さんは8・19楽山爆撃の絵「痛」(作:趙有先)を寄贈しました。



会場には陳可之さんの大型油絵《重慶大爆撃》のレプリカも展示されました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2009年8月5日、楽山原告李本澤さん、原告支援者たちは、
広島で行われた「8・5広島-楽山心連心会を結ぶ集い」に参加しました。



楽山から来日した原告李本澤さん(右から2人目)、原告支援者楊追奔さん(右から3人目)と支援者たち
左から3人目は由木栄司さん(広島県日本中国友好協会青年委員会委員長/重慶大爆撃の被害者と連帯する会・広島事務局長)



集会で発言する楊追奔さん(中央)



集会で発言する李本澤さん(右)



会場の様子


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )