重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





2009年8月11日(火)、中野ZEROで第15回学習会がありました。
講師の安田浩一さん(ジャーナリスト)をむかえ、
「田母神発言と重慶大爆撃」という題でお話しいただきました。
また、三角忠さん(編集工房朔主宰)、西川重則さん(許さない会事務局長)、
特別発言として中国から来日された楊追奔さん(中国楽山市“8・19”大爆撃史実研究会副会長)
に発言していただきました。





講師の安田浩一さん(ジャーナリスト)



特別発言「中国における楽山爆撃研究の現状について」
楊追奔さん
(中国楽山市“8・19”大爆撃史実研究会副会長)



発言「『中国侵略は濡れ衣』か?」三角忠さん(編集工房朔主宰)



発言「田母神俊雄前空幕長の歴史観を問う」 西川重則さん(許さない会事務局長)




会場の風景


講師、発言者、来日した支援者らと記念写真

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 【ドキュメン... 【ドキュメン... »