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NPO法人「ドネーションシップわかちあい」事務局ブログです

一人称の事実

2012-10-25 08:36:00 | ドネーションシップ
※北九州ホームレス支援機構HPから
http://www.h3.dion.ne.jp/~ettou/npo/top.htm
東八幡キリスト教会 「牧師の言葉から」抜粋↓

「一人称の事実」

抱樸館北九州建設に関する住民説明会は、すでに十数回開催されている。
これまでは、支援者であり建築の責任者である私が説明をしてきたが、
先日の説明会では二人の当事者の方が地域の皆さんに語りかけられた。
不特定多数の前で自分の一番しんどかった時のことを語ることは
大変勇気のいることだ。
しかし、二人は「自分たちが説明しましょう」と言ってくださった。
そこには「説明すればわかってもらえる」という信頼と期待があった。

野宿時代のこと、そこから立ち上がった時のこと、
現在の暮らしぶり、支援機構との関わり、
そして抱樸館への期待などが語られた。
話しが終わると会場から拍手が沸いた。
残念ながら「絶対反対」が覆ることはなかったが、
ちゃんと聞いてくださった方がそこにはおられたと信じている。

話しの後、ある方はこうおっしゃった
「あんたちみたいな立派な人はいいんだ。
そうではない人がいる。ちっとも変わらない人がいるだろう」。
住民の中には、
ホームレスおよびホームレス経験者は危険という意識が根強い。

「いろいろなことが起こっている」と仰るが、
いつ、誰が、どこで、誰にたいして、何をしたかという
個別の事については「いちいちの証拠はない」とも仰る。

当事者のお一人がこう答えられた。
「あの人たちが変わるかどうかということを言いたいのではないのです。
私自身十年間も他人との関係を断ちホームレスをしていたのです。
支援機構の人が来ても『帰ってくれ』と追い返すほどでした。
でも、私は変わったのです。私自身を見てほしい。
私は変わった。だから人は変わるんです」。
お二人とも自立者互助会の中心メンバーで、
お一人は現在お住まいの地区の町内会の役員もされている。

「あの人たちではない、私が変わったんです」。
「一人称」での語りがいかに大切かを感じる。
一般論として「人は変わるか、否か」を議論しているのではない。
「私」の問題なのだ。

しばしば「なぜ、ホームレス支援をしているのか」と尋ねられる。
日本経済の現状や困窮者の実情、
あるいは人が路上に放置されることや排除されることは
あってはならない人権上の問題であるなど、理由は様々ある。
そもそも人助けに理由はいらない。
しかし、何よりもはっきりしていることは
「私自身、独りでは生きていけないと実感している」ということ。
私は、絶対に独りでは生きていけない自信がある。
世の中にはそうでない人もいるかも知れないが、間違いなく私はそうなのだ。
だから、公園や駅で寝ざるを得ない人々もきっとそうだと思っている。
相手の状況を知ること、当事者としての主権を尊重することは当然だが、
僕の原点にそのような「私は~だ」という「一人称」の事実があるのだ。

復活のイエスがペテロにこう言う場面がある。
「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、
わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。
あなたは、わたしに従ってきなさい」(ヨハネ二十一章)。
ここでも「一人称」が問われている。

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最新情報はこちらのHP↓をご覧下さい。
http://www.h3.dion.ne.jp/~ettou/npo/top.htm


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