・日 時:平成29年9月20日 18時30分~
・場 所:新橋
・参加者:7名(Tさん、Mさん、Oさん、Iさん、Kさん、Moさん、H)
・推薦本:「死ぬほど読書」 丹羽宇一郎 著
※印では、内容の補足と私見を付け加えさせていただいています。
・この本の推薦理由をどうぞ
Iさん
新聞の書籍紹介で知った。著者の丹羽さんが現役の伊藤忠商事の時に少し知っていたので、なんとなく興味をもった。
題名から、読書会のテーマにはいいかなと。
・では読書会を始めたいと思います。Iさんからお願いします。
Iさん
P23後ろから6行目「すべては現場に宿る」というところ。何か問題があったら現場に行きなさいというところ、やっぱりそうだよなと思う。
現場職で働いていた時は、そのとおりと思っていたので、経営者の人にとっても同じなんだなと同感した。
Tさん
今までの経験の中で机で考えているより現場に行った方がよかったということはあった?
Iさん
作業員を指示する立場にあり、トラブルがあった時、話だけを聞いているのではなく、直接現場に行って判断したことでトラブルを解決することができた。
無線の声だけで判断するとトラブルがトラブルを生む。
また、最近では、障がい者を採用する段階で、障がい者との懇親会があった。
精神障がいの方には先入観を持っていたが、イメージとは違った。
話してみると、ふつうの人と同じ。
こういうことも、実際に会ってわかったこと。
Tさん
当社は障がい者雇用をしているのか。
Iさん
法定雇用率には達していないので納付金を支払っている。
最近、農園を使った障がい者雇用の仕組みがある。
コンサルティング会社が農園を運営。ここで働きたい障がい者を募集して、農作業の実習を行う。
そして、コンサルティング会社は障がい者を企業に紹介して、企業は社員として雇用するというもの。
障がい者の職場は農園で、企業に出社することはない。
Mさん
R社でもやったことがある。
障がい者の人たちの会社を作って、そこで作られたものをR社が買い取るという形。
Iさん
健常者といっしょに働いてもらうとハンディキャップなどの問題から、なかなかうまくいかないが、こういう農業の仕組みだとうまくいくのでは。
※NHKの記事より引用です。
http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2016/12/1203.html
障がい者をもつ父親の話
息子さんの将来に不安を抱えていた。
「ずっと私がいるわけではないので、社会からはじかれるのではなくて、社会の中で生きていけるような場所をいただけたら。やっぱり、親の願いですね」
キャスターのコメント
「この農園の仕組みは、企業にとって苦肉の策ではありますが、現実的な選択肢となっているようです。
ただ、障がいのある人たちが、健常者と同じ職場で働くわけではないため、この仕組みには異論もあると思います。
それでも、障がい者雇用が進まない現状の中で、これも1つの形なのかとも感じました」
K
障がい者、認知症者、誰しも人の役に立ちたいと切望している。どうにかそういった人たちの願望を叶える働ける場を創設できないかという思いがある。
「注文を間違える料理店」というのがあって、働くスタッフが全員認知症の方というお店もある。
※「日本で大切にしたい会社」という本に載っているチョークの会社「日本理化学工業」の社長の話。
障がい者を少しずつ採用するようになっていきましたが、1つだけわからないことがありました。
どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らした方が幸せなのではないか。
そんなとき、ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんにその疑問を尋ねてみたそうです。
するとお坊さんは
「そんなこと当たり前でしょう。
幸福とは、
①人に愛されること、
②人にほめられること、
③人の役に立つこと、
④人に必要とされることです。
そのうちの②人にほめられること、③人の役に立つこと、そして④人に必要とされることは、施設では得られないでしょう。
この3つの幸福は、働くことによって得られるのです」
と教えてくれたそうです。
「その4つの幸せのなかの3つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。
だから、障がい者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。
施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビだけ見るのが幸せではないんですよ。
真の幸せは働くことなんです」
・では、続きましてKさんどうぞ
Kさん
全体的な感想は、なにか威張っているなと思いながら読んだ。
その中で、一番共感したところは
P158「思考の棚にフックをつくる」という箇所。
読書をすると自分のなかに引き出しがたくさんでき、問題意識が生まれます。つまり、思考の棚に、さまざまなフックができるのです。
フックがなければ素通りしてしまうようなことも、フックがあれば、他人と同じものを見ても引っかかって、そこから新しい展開や可能性が開けたりします。
・このへんはその通りと思うところなので、異論とかはなさそうですね。
続きまして、Mさんどうぞ。
Mさん
たくさん線を引いたが、今回の読書会でなにが一番共感したかというと、Kさんの今の発言。
自分がいつも若い人たちに言ってることは威張っていると思われるんだと思った。
あとは、P30 細切れの断片的な情報をいくらたくさん持っていても、それは知識とは呼べません。というところ。
考える作業を経ないと知識にならない。
本を読むということは知識を得ること、そしてその後に実践がある。
家族によく言われる「お父さんはたくさん本を読んでいるのならもう少し人に対する言葉を考えなさい」と。
その他、
P107 本の読み方
この人は本を読んでいて心に引っかかってくる箇所に線を引いたり、付箋を貼ったりして、重要だと思ったものをノートに書き写すと。
本を読んで知識として定着させる方法は、五感をより多く使うこと。
本を読むということは視覚、線を引いたり、書くこと、触覚、声を出して読む、人に話すなどにより見につく。
仕事の本を読むときは、まずはPCに目次を入力して、そしてその目次の内容を要約したものを入力するということをして、その仕事を本を頭に入れていた。
1冊300ページぐらいの本なら、A4用紙3~4枚の要旨でまとまる。
H
「パレートの法則」というのがあるように本の2割がエッセンスというのを思い出す。
※「パレートの法則」
全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという説で、本にあてはめると、本の全体の内容は一部のエッセンスを読めばわかるというもの。
パレートの法則があてはまるシーン
・商品の売上の8割は、全商品のうち2割の銘柄が生み出している。
・企業の売上の8割は、全体の2割の顧客が生み出している。
・企業の売上の8割は、全従業員のうちの2割の従業員で生み出している。
・仕事の成果の8割は、費やした時間全体の2割の時間で生み出している。
・機械の故障の8割は、全部品のうち2割の部品に原因がある。
・所得税の8割は、課税対象者の2割が担っている。
・試験問題の8割が、その学科に関する2割の知識で答えられる。
・文章で使われる単語の8割は、全単語数の2割に当たる数の単語である。
・都市の交通量の8割は、都市全体の道路の2割に集中している。
・ソフトウェア利用者のうち8割は、全機能のうち2割しか使わない。
・物事の本質の8割は、2割を見ればわかる。
・100匹のアリのうち、よく働くのは2割だけ。
Mさん
あと、読んでいてひとつだけウソつけと思ったところがあった。
読書でシングルプレイヤーになった経験があるというところ。
Hさん
ウソつきではないが、著者が中国大使をやっていた時は、売国大使と呼ばれていた。
その頃に自分の本で、老人は退くべしとして、「極端なことを言えば、70歳を過ぎたら全員一線を退くという法律を作った方が良いくらいだ」と書きながら、自分は71歳で中国大使に就任している。自分だけは例外と考えているのか。
・続きまして、Tさんどうぞ。
Tさん
この本は、自分がサラリーマン生活を通してやってきた、おさらい的なことが多いと納得した。
古典でいうとどういうことかと考えた。
中国の古典では、書物の読み方は
・精読…人間を深め、思索に慣れる。
・通読…作者の気概や情熱に触れる。
・活読…読書はただ読むだけでは駄目で、読みながらその本を自己内部で賦活(活力を与えること)する必要がある。
・読書して疲れる様ではまだ本当ではない。疲れた時読書して救われる様にならねばならぬ。
※その他、通読と精読の違いについてです。
この2つの違いは、「人に語ることができるかどうか」です。
「通読」は、さぁ~っと読んで、自分では分かっているが、人に説明しようとするとできない。そういう読み方です。
「精読」は、本を読んで、そこに書いてあることはこういうことだよって「自分の言葉で語れる」読み方です。
この自分の言葉で語れるっていうことがものすごく重要なんです。
なぜなら、「人は自分の言葉によって影響されるから」です。
読むだけでなく、自分の言葉でまとめる。
このひと手間をかけることで、情報を知識にし、知識を自分の血肉とすることができるのです。
Tさん
あとは、この本の中ではP121あたりで言っている。
「多読と精読、どちらがいいか」
P128 本を読んで学んだこと、目をひらかされたことは、何らかの形で仕事に生かされることがあるし、仕事で体験したことが読書を通して「あれは自分にとってこういう意味を持つものだったのか」と整理されることもあります。
その時読んだときにはわからない。
それを古い言葉で言うと「古教照心 心照古教」
最終的には自分にどう活かすかということ。
仕事で体験したことを、本を読むことで気づくことがある。
自分にとってどうか、最終的に自分の生き方に生かしていかないと役に立たないのではないかということをいろいろ感じた。
この方はいろいろな本を読んだこと、いろいろな体験したことをこの本に書き表したのであって、決して威張っているわけではない。
※「古教照心 心照古教」
鎌倉時代の虎関禅師(臨済宗の僧)は「古教照心 心照古教」という言葉を残している。
「古教、心を照らし。心、古教を照らす」本が主体で自分が受け身、これではまだ古教照心の域。「本当の読み方は心照古教でなければならぬ」と教える。
本というものは読まれたのでは仕様がないし、読まされたのでは大した力にはならないという意味である。
知識というものは受け身になって、機械的に受け取った吸い取り紙的知識では、なんの力にもならない。なんでもそうであるが受け身では、自分というものに力がない、自分で考え、自分が主体になって、今まで読んできた本を再び読んでみる。自分の方が本を読む。自分の心が本(古教)を照らしていくということ。
・続きまして、Oさんどうぞ
Oさん
この本の内容には異論はない。
ほんとそうだなと思いながら読んだ。
丹羽さんに興味があったので、どんなことが書いてあるのかなと思ったのと、尖閣諸島の件で丹羽さんの言うことを聞いていたら、中国との関係はもっとよくなっていたと思うのに、世間ではそう思わない人が多い。
中国に対するODAを強化したら関係は良くなっていたのでは。
H
尖閣諸島は、日本の領土であるというのは、国際法上認められている。
尖閣諸島中国漁船体当たり事件(2010年9月7日)は、領海侵犯した中国船に日本の海上保安庁の船が退去を命じたところ、中国船が体当たりをしてきて中国船船長らが逮捕された事件
この時、丹羽中国大使は夜中に中国政府から呼び出されてペコペコ謝っている。
本来なら向うを呼び出して抗議するところ。
以下は、私見です。
※
国際法では、無人島を領有する場合、「ここを何年何月より領有しました」という意思表明と、近代法による統治(番地をつけたとか税収を行ったとか、司法の管轄下に置いたとか)を、数ヶ月間「他国からの抗議のない状態で」行う事で成立します。
尖閣諸島の場合は、1895年1月14日に尖閣諸島の編入を日本が閣議決定、沖縄県に編入、それに対して清国からの抗議は無しということで、日本の領有権原は成立。これで「近代法による統治」と他国からの抗議のない「平和的・継続的統治」が成立しており、国際法上正式に日本領となった事になっています。
それが、1968年の海底調査の結果、東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘され、1970年に台湾が領有権を主張しはじめ、これに中国も追随してきました。
※
中国は海上保安庁の船がぶつけてきたと抗議。
海上保安庁の保安官がYouTubeに中国船が衝突してきた映像を流出したことで中国のトーンがおとなしくなった。
※
対中国ODA(政府開発援助)について
・中国のGDPは、2010年に日本を抜いて世界第2位となる。
・2010年の中国軍事費75億ドル。日本416億ドル。
・2015年の世界の軍事費上位2カ国
1位 米国 5960億ドル
2位 中国(推定)2150億ドル(5年で約29倍)
8位 日本 409億ドル(ほぼ変化なし)
日本の外務省によると、日本による対中国のODAは、1979年から2010年までの約30年間で3兆7000億円ほどになる(有償資金協力、無償資金協力、技術提供を含む)。
さぞかし感謝されていると思いきや、中国の国民にはほとんど知らされていない。
中国政府は日本からの援助の存在さえも国民一般には伝えていない。
Oさん
丹羽さんは根っからの商売人。
大豆の話は有名で、他人が書くとスゴイなと思えるが、本人が言うと自慢に聞こえる。
あと、この本を読んでホッとしたのは、丹羽さんが同じ本を2回買ったことがあるというところ。
私も同じことをやったことがある。
細かいところは異論なく読んだが、矛盾点をいろいろ指摘すると、本のタイトルを決めるときに出版社の意向を受けてお客さんが興味を持つタイトルにすると聞いているが、「死ぬほど読書」ってどういう意味?ということ。
「わたしは死ぬほど本を読んだ」ということ?
いい加減なタイトルをつけているなと思った。
ゴルフのハウツーだけよんで、シングルになったとか、無人島には本を持っていかないと言っているが、そういう時こそサバイバル本を持っていかないのはどういうことかと(笑)
Hさん
その無人島の質問で思ったのは、インタビュアーの「無人島に本を3冊持っていくとしたら、どんな本を持っていきますか?」という質問に対して、「生きるためにやらなくてはいけないことが山ほどあるから、本を読むような時間はない」とか言っているが、インタビュアーはそんなことを聞いてるのではなく、相当本を読んでいると聞いているので、その本の中で3冊選ぶとしたら何ですかという質問をしているんじゃないか。
本を読むしかやることがないところに本を持っていくとしたらどんな本を持っていきますかと聞いているのに、無人島で本なんか読んでられないって、質問の意図がわかっていないんじゃないかと思った。
Oさん
丹羽さんという人がわかった。
稲盛さんや丹羽さんなど経済界の人。
中国大使として日本の国益となることは何か。
一見すると中国の国益となるが、結果的には日本の国益になる。
叩く人は徹底的に丹羽さんを叩く。
Hさん
国のためというより、伊藤忠のためなんじゃないか。
Oさん
伊藤忠が儲かるイコール日本が儲かる。
Hさん
一般的には、国益というのは、領域(領土)を守ること、国民の生命や財産を守ること、国の主権を守ることと言われています。
丹羽氏の伊藤忠時代の発言で「将来は大中華圏の時代が到来します。日本は中国の属国として生きていけばいいのです」と言ったとか。
このような考えの人に日本国の大使を勤めさせることが間違い。
※
漁業について
世界の漁業生産量第1位は中国であり、全世界の約18%を占めています(2013年)。
日本の漁業は1973年をピークに激減しています。
その原因の1つとして、中国の違法操業(領海侵犯)や乱獲(日本では禁止されているような方法で魚を集めて生態系を考えず乱獲している)があると言われています。
丹羽大使の尖閣諸島の時のような対応が日本の領域を脅かしている。
伊藤忠は儲かるかもしれませんが、日本の漁業は大きなダメージを受けているのではないか。
Mさん
丹羽氏が伊藤忠時代、伊藤忠の中国ビジネスを開拓した瀬島隆三氏の薫陶を受けている。
※
瀬島隆三(せじま・りゅうぞう)(1911―2007)
元日本軍大本営の参謀
終戦後、ソ連のシベリアへ11年間抑留される。
1956年、シベリア抑留から帰還した。1958年に伊藤忠商事に入社する。
山崎豊子の小説『不毛地帯』の主人公
日本兵をソ連に売り渡した張本人、ソ連のスパイなどの説がある。
Oさん
この本の印税を全額寄付するとしているが、この本で言っていた「お金に対してはあまり執着がない」ということの筋は通した。
Tさん
その辺は、P45で「清く、正しく、美しく」とも言っている。
私はたとえ500億円もの利益をもたらす大型案件であっても、法に抵触しそうであったり、誰かを陥れるようなものであれば、却下しました。
・では、続きましてHさん
H
今回、初めて電子書籍にしてみた。
電子書籍の良いところは、線を引けて(マークできて)、後で線を引いたいたところをまとめて読めるところ。そして、その線を引いたところになぜ線を引いたのかのコメントも書けるところ。
うろ覚えの箇所を検索できるところ。
読みやすい字のサイズに変更できること。
デメリットは、実際の本のページ数がわからないこと(自分の読みやすい文字のサイズに変えられるため)。読書会の場合にページ数が言えない。
共感したところは、P107頭に残るノート活用術
「本を読んでいて心に引っかかってくる箇所、すなわち印象的な言葉や興味深いデータについては、線を引いたり、付箋を貼ったり、余白にメモをとったりします。そして読み終えた後に、もう一度傍線を引いた個所やメモを読み返す。そのなかから「これは重要だ」「覚えておかなくては」と思ったものをノートに書き写します。
先ほど、Mさんがおっしゃっていましたが、このような本の読み方は、頭に残ると思う。こういう読み方をすると、頭に入ってくる。
あとは、P77の週刊誌のところ。週刊誌の内容は愚にもつかないものが圧倒的に多いというところ。
大衆の関心は他人の不幸を見聞きすることにあり、心のなかは「ねたみ、ひがみ、やっかみ」に満ちているからではないでしょうか。
人の心はこういうことで満ちているんだろうなと同感。
その他、P17「出鱈目な嘘のニュースや情報で、世界が動く。」というところ。
これも同感で、イギリスがEU離脱に賛成した件やアメリカ世論を湾岸戦争開戦へと導いた件など、日本を含めアメリカやヨーロッパのほとんどが大手マスコミのいうとおりに物事を判断している。資金力のある組織が、広告などの形でマスコミに多額の資金を流し、一気に情報を操作することで、国民の大多数は簡単に判断を左右されてしまう。
Mさん
最近、明治維新を味噌クソに書いている本を読んだ。
薩摩、長州は、テロリスト集団。
西郷隆盛、桂小五郎(木戸孝允)は、単なるバカのテロリスト
そういうのを英雄にしてしまった司馬遼太郎が悪いと司馬遼太郎をけなしている。
歴史というのは勝者の側の言い分
この本を読んでからもう一度司馬遼太郎を読み返したとき、新鮮だった。
若い頃読んだ司馬遼太郎と、こういった本を読んでから読んだ司馬遼太郎が違う感じがした。
Oさん
日本では、過去に二度海外から分割されたり属国になる危機があった。
明治維新の時と太平洋戦争
それがなんとかなっているのは、明治維新も間違いではないのでは。
Mさん
歴史は勝者が自分たちの都合のいいように作っている。
日本の明治維新の歴史は長州と薩摩が書いている。
ヒトラーだってもし勝っていたら英雄だったかもしれない。
逆の説を読むのはおもしろい。
Oさん
何十年か何百年か経って歴史の論争はあってもよいと思う。
歴史の中で定説と言われていたことが覆されていくことはあってもよいと思う。
歴史は時間が経ってみないとわからない。
※今まで通説とされていたものを、それは違うという異説を知るのは大事。
そうして出された異説については、検証することも大事。
原田伊織氏の本の中で「明治維新という名称は明治時代にはなく、昭和維新を起こしたテロリスト・右翼・軍人たちが流行らせた」とか「維新とか攘夷とかはテロリスト育成をしていた水戸学が創作した新語」と書いてあるが、国語辞典では維新は中国の『詩経』が由来で、江戸時代の平戸藩主が藩校に「維新館」と付けている。また、明治維新という言葉は明治21年の『大政三遷史』で使われている。
その他、「攘夷」「国体」「志士」などの言葉は水戸学や長州テロリストの創作と書いてあるが、全て中国古代の漢籍に出典がある。
※明治維新について
以下、私見です。
なぜ幕末の日本は、明治維新をすることで、欧米列強からの侵略を防ぐことができたのか?
この欧米列強からの侵略を、当時防ぎきれたのは日本だけ。
江戸幕府から明治政府に変わったことで、欧米諸外国は、日本侵略を諦めた。
欧米列強が世界中を征服できたのは、侵略される国の意見が異なって分裂したり、最新鋭の武器に怯えたりしたから。
日本は明治政府の強引な廃藩置県により、天皇を中心とした強い中央集権国家になったことで、欧米列強は日本侵略を諦めた。
幕藩体制のように、各藩が言いたいことを言って国としての意思統一ができない状況だったならば、諸外国は日本国内に内戦をさせて自分たちが付け入る隙もあったが、廃藩置県により、日本は国家として、諸外国と対峙できるようになったため、征服できない状況となった。
※征韓論について
西郷隆盛は征韓論だったということが通説ですが、調べてみるとすこし違う説がありました。
元々、日本と朝鮮とは、江戸幕府の鎖国政策の時代から交際を続けていた親しい間柄でした。
しかし、江戸幕府がアメリカやイギリス、ロシア、フランスといった欧米列強諸国からの圧力に屈し、和親条約や通商条約を結んだことにより、朝鮮は日本との国交を断絶しました。
その頃の朝鮮もまた、欧米列強諸国を「夷狄(いてき)」と呼んで蔑み、鎖国政策を取っていたため、外国と交際を始めた節操の無い日本とは交際できない、という判断でした。
その後、「朝鮮にいる居留民の引き揚げを決定するか、もしくは武力に訴えても、朝鮮に対し修好条約の調印を迫るか、2つに1つの選択しかありません」という意見に対して、参議の板垣退助が口を開きました。
「朝鮮に滞在する居留民を保護するのは、政府として当然であるから、すぐ一大隊の兵を釜山に派遣し、その後修好条約の談判にかかるのが良いと思う」
しかし、その板垣の提案に対し、当時閣議の中心人物であった西郷は首を横に振り、次のように述べました。
「それは早急に過ぎる。兵隊などを派遣すれば、朝鮮は日本が侵略してきたと考え、要らぬ危惧を与える恐れがある。これまでの経緯を考えると、今まで朝鮮と交渉してきたのは外務省の卑官ばかりだった。そのため、朝鮮側も地方官吏にしか対応させなかったのではないか。ここはまず、軍隊を派遣するということは止め、位も高く、責任ある全権大使を派遣することが、朝鮮問題にとって一番の良策であると思う」
その西郷の主張を聞いた太政大臣の三条実美は、「その全権大使は軍艦に乗り、兵を連れて行くのが良いでしょう」と付け加えました。
しかし、西郷はその三条の意見にも首を横に振ったのです。
「いいえ、兵を引き連れるのは宜しくありません。大使は、烏帽子(えぼし)、直垂(ひたたれ)を着て、礼を厚くして、威儀を正して行くべきだ」
という意見だったとのこと。
これが正しいなら、西郷は「征韓論」ではなく、「遣韓論(けんかんろん)」だというものです。
※吉田松陰
では、吉田松陰はどうかと調べてみました。
松陰は、朝鮮の服属を古代の「神話」に根拠を見い出して主張していました。
さらにはシベリア、満洲、東南アジアへの進出までをも述べていたそうです。
ただし、シベリアや満洲・台湾・ルソンなどについては、松陰は無人の土地と認識しており、ここは領有権を争う地だが、琉球や朝鮮は武力による併合ではなく、それらを独立した国家として残しつつ、「朝貢」(朝廷に貢ぎ物を差し出させる)の対象と見ていました。
これは、征韓論と同じと見えますが、この松陰の時代の世界の常識としては、強い国が弱い国を従わせるというのは当たり前であり常識であったということ。
Kさん
戦争はどちらが正しいとか、正しくないとかではなく、当時は列強が不況の自国の経済を復活させるために、植民地から搾取しようという、食うか食われるかの世界。
その中で勝った国が負けた国を悪者にしているだけ。
勝者の論理で歴史は決まる。
・その他、何かありますか
Iさん
冒頭で大学生が言っていることについて。「読書はしないといけないの?読書は楽器やスポーツと同じように趣味の範囲であり、読んでも読まなくても構わないのではないか。」という意見に対して、それはそうだよなと思った。
それに対してみなさんはどういう反論をしていきますか。
H
それに対して反論するとしたら、人生を80年としたら、本というのはいろいろな人生を歩んだ人の話を読むことができる。それはいろいろな人生を疑似体験できるというもの。
本というのは限られた人生の中で、いろんな人生を取り込めるということを大学生には言いたい。
Mさん
読書はバーチャルリアリティーだと思う。
普通は日本に生まれて、日本で大きくなって、日本のなかで死んでいく。
それが、本を読めば南米のことも知ることができるし、時代を超えて明治維新を体験できることもある。
それだけでも楽しいと思うし、楽しいと思わないのであれば、読まなければいい。
Oさん
今はテレビやインターネットなどたくさんの媒体がある。
忙しいから本なんか読めないと言われてしまえば、そりゃそうだよなと思う。
インターネットには本のエッセンスが抜き出して書いてある。
そういう環境ではそれを読めばいいんじゃないかと思うのでは。
Mさん
ただ大学生に言ってやりたいことは、読みたければ読めばいいし、読みたくなければ読まなければいい。ただそういう人は人の上に立つなと言いたい。人の上に立つと言うことは最大公約数の幸福を考えること。唯我独尊では人の上には立てない。
Iさん
昔は娯楽がなかったため本を読む人が多かったが、今は他にたくさんの娯楽がある。
活字や行間を読まなくなったこういう人たちがあと20年、30年経ったときが怖い。
Oさん
イマジネーションは大事。
よく小説から映画化されるが、本を読む行為はイマジネーションが必要。
小説は、活字がすべてなので自分のイマジネーションが必要。
それはすごい力を使うもの。
H
今言っていたのとは違うかもしれないが、言語学者の金田一さんが、ボキャブラリーについて言っていた。
豊富なボキャブラリーは、デジカメの画素数と一緒。多いほど正確に美しく伝わる。
ボキャブラリーが豊富な方が、相手や場面、自分の立場によって、その場に一番ふさわしい言葉を選択できる。
Kさん
本は道徳教育には大事。すばらしい生き方、真似したい生き方、本から学ぶことは多い。
おもしろくないなら読まなくてよいと思うが、人として、どう生きていくべきかを無理矢理にでも学ばせる必要があるのではないか。
Iさん
P106で社員研修の際に課題図書を読ませて感想文を提出させるということに対して、この著者はそんなことをしても意味がないと言っていた。
これはどうなんだろうと思う。
Kさん
無理矢理読まされないと読まない
Mさん
課題図書というのは、その人に読ませてその人を推し量ったりするもので必要。
Iさん
あと、この本の中で古典の話が出てくる。
古典は読みたいと思うが、難しいなと思う。
※古典についての記事がありましたので参考までに。
人生の問題について何か悩んだり問題が出る。そういう場合どうするかだが、多くの人はあまり情報収集をしない。
しかし、みなさんが悩むような人生の問題は、もう何千年も前の人が考えてきたものばかりなんだと思う。
そして、歴史には偉人なんかたくさんいるわけで、そんな人たち、偉人といわれる人たち、たとえば哲学者が、人生の問題を考えていないはずはない。
哲学を人生には意味のない無縁なものだ、あるいは学問というのは役に立たないものだと考えてはならない。
それは、役に立てていないだけなんだよ。だいたいそんなことを言うのに限って、哲学とかを勉強したこともない奴なんだ。
そして、自分の狭い了見、少ない教育で得た知識とわずかの経験でもって、ああでもないこうでもないと悩み続けている。
私たちはもっと賢くなるべきだ。
どうして先人、認識力に優れた偉人たち・哲人たちの思想、問題の解決策を学ぼうとしないのか。
同じくらいのレベルの人同士に相談しても、そう頭のレベルが変わらないのなら、そんなに良い解決策が出てくるようには思えない。
まぁ他人だから客観的で冷静に見ることができるということはあるが。それよりか、自分たちよりも頭が良い、少なくとも歴史がそう証明してきた人たちに意見を聞いてみればいい。
そのために本が沢山あるのではないか。でもそのことにみんな気付いていない。私はその意味で、次元の高い人たちの書籍を勧めている。
そうした書物を読むように勧めている。
実際、それらの本を読んでくれた人が、「良かった」と言っている。「読んで良かった、その本に出会えて良かった」と言っている。
その他、「それまでまったく思想書や哲学書を読んだことがなかったけれど、こんなに面白いとは思わなかった」と、今では夢中で読んでいると、そういって手紙をくれる人もいる。
ぜひとも、みなさんにもそうなってもらいたいと思うんです。本を読む楽しみ、真実を探求する楽しみを味わってもらいたいと思います。
で、何を読むかだけれど、やはり歴史的に残ってきた思想、多くの人の魂の糧になってきた思想、これを学ぶべきだろうと思う。
現在、本なんかいくらでも出てるが、歴史に残るものはやはり少ない。
現在ではどれが歴史的なものになるかは分からないんだから、もうすでに定評のあるものを読むといい。
ソクラテス、プラトン、カント、へーゲル、デカルトとかね。
カント、へーゲルは18世紀・19世紀位の本で、ちょっとまだ最近かもしれないけれど、中国の思想では、孔子、孟子だね。そしてやはり荘子、荘子。
日本では西田幾太郎なんかいいと思う。こんなのに取り組んでみてほしい。
でも哲学書は難しいから、頭の良い人はそういうものに挑戦してみればよい。
分からなくてもいいんだ。そのときは、自分は少なくともその著者のレベルにはいっていないという確認ができるんだから。
人間ね、レベルというのはあるんだよ。古典で残るような思想を残した人というのは、かなりランクが上の方にあるということが分かる。
そうすると、それが「良い本だ、為になった、よく分かった」というためには、その著者あるいはその著者が読者として想定した人たちのランクと同じか、あるいは少し下、手の届くところにいる必要があるということで、それより遥か下にいたら、もうその本の内容なんかさっぱり分からない。「なんだこんなの全然役に立たないじゃないか」ということになるんだ。
まあ反対に、「こんなの幼稚だ、稚拙だ」ということになれば、それより上にある、本当にその内容を理解した上でそういうんだったら、上にあるということはできると思う。
世間の人はよくこの過ちをおかすんだね。自分が分からないものは、良くないという、価値がないとまで思ってしまっている。
あなたたちはそんな馬鹿なことをいうベきじゃない。そうするとね、いろんな本を読んでいくと、謙虚にならざるをえなくなる。 自分の無知というか、ソクラテスじゃないけど、自分はまだまだレベルが低いと、何も分かっちゃいないと、こう思うようになるわけなんだ。謙虚に素直になっていく。こうした効果も読書にはあると思ってください。
※推薦著者・思想家というのがあったので。
外国人
・デール・カーネギー『道は開ける』『人を動かす』
・ノーマン・ビンセント・ピール『積極的考え方の力』
・エマソン『エマソン論文集』
哲学
・プラトン『ソラクテスの弁明・クリトン』『パイドン』
・クセノフォーン『ソークラテースの思い出』
・カント『道徳形而上学原論』『人倫の形而上学の基礎づけ』『道徳哲学』『徳論の形而上学的基礎論」
・へーゲル『法の哲学』『宗教哲学』
・デカルト『哲学原理』『方法序説』
・トマス・モア『ユートピア』
・エラスムス『対話集』
・西田幾太郎『善の研究』
・アリストテレス『ニコマコス倫理学』『形而上学』
・マルクス・アウレリウス『自省録』
・アウグスチヌス『告白』『神の国』
・スピノザ『倫理学』
・パスカル『パンセ』
・ライプニッツ『単子論』
・モンテスキュー『法の精神』
・シェリング『人間的自由の本質』
・マーティン・ブーバー『我と汝』
・ベルジャーエフ『現代における人間の運命』
科学者
・アインシュタイン『わが信念』
その他
・イエス・キリスト、釈迦、孔子など人類の教師といわれる方に関する書物
・リンカーン、マザーテレサ、ナイチンゲールなどの多くの偉人伝。
以上です。