読書日より

読書記録です。

きっと恋のせい  (佐藤真由美)

2007-02-27 13:39:30 | 詩集・歌集
短歌を好きになったきっかけって少なからず誰にでもあって、
わたしにとってそれは、この歌集になるんでしょう。

本と書店とその頃の思い出はとても強く結びついていて、
『きっと恋のせい』を読んだ高3のころ、新宿でのことなんかいっぱい思い出したりする。
あたしとって高3はあるひとつの転機だったんだなぁってなんとなく思う。
勉強とか全くしなかったけど。

もしもあのとき彼と付き合っていなければ
『きっと恋のせい』に反応することもなく、そうしたら今に繋がらないわけで。
ひとつひとつのあまり気にしてもいない選択が今を作っているって、なんだか不思議。

反応した短歌は「愛みたい CLOSE TO LOVE」に入っている、

あなたのかわたしのなのかわからない
心臓の音が背中に響く

というもの。
そのとき、まさにこの短歌で描かれていることをあたしはひとりで感動していて、
友達に伝えてしまうと俗すぎて、
でもどうにかして何らかの形みたいなものに憧れていた。


【きっと恋のせい 佐藤真由美 中央公論新社 マーブルブックス】

これが私の優しさです  (谷川俊太郎)

2007-02-21 03:18:33 | 詩集・歌集
久しぶりに詩にはまる予定だ。
短歌はもちろんだけれども。
ひとりで向き合えるものを探っていく予定。

谷川俊太郎は言葉の使い方が正確だ。
保険のCMで使われていた「愛する人のために」もコーヒーかなんかのCMだった「朝のリレー」も鳥肌たった。
こんなこと言ってるとあたしは常に鳥肌たってるように思われそうだけど、違います。笑
言葉が音声や映像と一緒に伝わった時、ダイレクトに伝わってしまう気がする。
良かれ悪かれ。
いいものであればあるほど。

「かなしみ」や「これが私の優しさです」は落ちちゃいそうなので、「朝のリレー」を。


朝のリレー


カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝返りをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から緯度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ


【これが私の優しさです 谷川俊太郎 集英社 集英社文庫】

愛を想う  (東直子)

2007-02-19 21:49:33 | 詩集・歌集
泣きながらあなたを洗うゆめをみた触角のない蝶に追われて
巻頭歌を見る。
あたしはいつもここで止まってしまう。
全くわからないようで、あたしはここで立ち止まって、泣きながらあなたを洗う夢を見てしまう。
「ひさしぶりのさよならですね」では、
あかいあかいゆうひのなかにだめになりそうなあなたがいそう、いそうだ
とかも直感的な感じがする。
感情の導くまま展開されている気がする。
だから、寂しげなのだとちょっとだめ。
全体的に寂しげで、あたしも共有してしまった感情があって、生々しく思い出させてくる。
だからちょっときつい。
たとえば「好き、です。」の、
大粒のタピオカがのどにつかえても気のせいですと言える気がする
とか。
今の感情に一番近いのは「たましいなんて欲しくなかった」に多くて、
走りすぎて痛かった胸なぐさめる目をあけたまま空を消したい
とか、
分かったようなことを言うなと言われつつ弱々しいね前髪というものは
とか、
あれはもう届いたかなあ いつまでも不在のひとの気配のあかさ
あと、
だいじょうぶ、と無責任に言っているわたしを恨んでいいよ、あめゆき
も、そんな気がする。
これって、「好き、です。」の、
思ったこと溢さないよう立ち上がるわたしはわたしを恐怖している
の感情に繋がる気がする。
なんとなくだけれども。


【愛を想う 東直子 ポプラ社】

眼鏡屋は夕ぐれのため  (佐藤弓生)

2007-02-18 02:18:03 | 詩集・歌集
このカテゴリーに対してはあんまり踏み出したくなかったのだけれども、メモ的な意味のためにも少しずつ追加していこうと思う。

そんな今日は現代短歌勉強会(改め、さまよえる歌人の会)でした。
それで取り上げられた歌集がこれでした。

あたしの印象としては幾重にも重なるオルゴールがなっている感じ。
そのひとつひとつを聞き分けることは難しいんだけれども、でも聞いていて心地いい。
好き、というより心地いい、のほうがふさわしい。

音は、「眼鏡屋は夕ぐれのため」の
冬の日のブルックナーの溜息のながながし夜を知れ新世紀
から流れ始めた。
あたしのなかではど真ん中にヴェルレーヌの「落葉」。
(ヴェルレーヌっていうより上田敏って言われた。確かにそうかも)
”秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し”ってやつ。
今更ながら『海潮音』がほしくなる。
これも「眼鏡屋は夕ぐれのため」のだけど、
ゆくりなく夕ぐれあふれ街じゅうの眼鏡のレンズふるえはじめる
とかも音が聴こえてくるし、(イメージはもののけ姫のコダマ)
「つる草ほし草」の
はなびらのちるちるみちる夜の道わたしはなにを隠されている
とか
湯に味噌の溶けだすさまを人形はかつてこうして還っていった
とかもそう。

意識されているわたしというものに、話はいったりもしました。
あとわかる、わからない、とかも。
あたしの勝手な考えでは、文学なんてわからなくていいと思う。
「落葉」もそうだったけど、あと藤村の「初恋」とか谷川俊太郎の「かなしみ」とかでもそうなんだけど、
みんなわけわからなかったけど、鳥肌たった。
谷川俊太郎の「かなしみ」は、中附の入試の真っ最中に出会って、入試投げ出してでも詩に浸りたくて仕方なかった。
そうゆう詩とか、小説でも何だっていいんだけれどもそういったものって、もっと学校の教科書に入っていて良かったよなぁ。
てか「のはらうた」もいいけど、でも中一なんてもっと違うものでもいい気はした。

好きな歌としては、「フル・フル」に入っている
敷石のあいだあいだのハルジョオンなにかがもっとよくなるように
をあげました。
白秋の
君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
に似ている雰囲気があったと思う。
敷石という言葉だけではなく、祈りのようなもの。
あとは「青空のTATOO」の
〈終末のふたり〉をあそぶ朝ごとにどこかでスノードームがけむる
なんかもいいなと思った。

反省として。
もっと読み込んでいける気がする。
後半部分に読みが足りなかった、あたし。
あとは「あたし」としてではなく、他の視点。
たとえば「庭から庭へ」の
自転車と自転車すれちがう宵をただひとたびのライトとライト
みたいなのも、考えてよかった気がする。

次回に向けて、勉強しよう。


【眼鏡屋は夕ぐれのため 佐藤弓生 角川書店】