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史上最初のSF:ヨハネス・ケプラー『夢』(1)

2017-09-16 08:07:15 | 架空世界
I have a dream that human will reach the moon someday.
 (と、ケプラーは夢見ていたのではないでしょうか?)

 気球に乗って月旅行(2017/05/14)で紹介しましたが史上最初のSFと見なされているのは、かの近代天文学誕生史のヒーローであるケプラー作の『夢』("Somnium")[Ref-1]という作品です。この作品が最初に出版されたのは1610年頃ですが[*1]、その後本文の3倍以上もの量の注釈が付けられ、最終版が出版されたのはケプラーの死後の1634年です。これは月世界旅行記の古典として有名なシラノ・ド・ベルジュラック("Savinien de Cyrano de Bergerac")の『月世界旅行記』(1656)("The Other World :The Societies and Governments of the Moon")よりも32年も前のことです。

 あらすじはウィキペディアの記事の通りですが、Ref1ではケプラーによる本文の3倍以上もの量の注釈とその他の資料が付いており、さらに訳者による注釈もついており事情がわかりやすくなっています。主人公の少年ドゥラコトゥスの母フィオルクヒルデはケプラー自身の母がモデルらしいのですが、14歳の子供の失敗に腹を立てて外国船の船長に売り飛ばすというのは現代から見ると鬼のように見えます。ところがドゥラコトゥスはめげるでもなくティコ・ブラーエの所で学んで知識を身に着け、母の元に帰り、後悔していた母もまた息子を歓迎します。どうも当時の常識というものがよくわかりません。

 フィオルクヒルデは薬草売りを生業としており精霊とも話をすることができ、そのうち主だった九精霊[*2]の中のいちばん穏かで、いちばん欠点のない精霊が月旅行をさせてくれることになります。ところがこの描写が、ケプラーの母カタリーナが魔女裁判に巻き込まれた時に告発側に利用されてしまいます。ケプラーは注釈8で「6年間にわたる例の問題」としてこの事件に触れており、「この夢物語のために事件の仇を返そうと思い、出版に踏み切った」と述べています。これが本文の3倍以上もの量の注釈が付け加えられた理由なのですが、そのおかげでケプラーの熱い想い、いわば肉声というものが、貴重な歴史史料として残ることになったとも言えるでしょう。

 この事件はRef-1,訳注28によれば森島恒雄『魔女裁判』『魔女狩り (岩波新書)』岩波書店(1970/06)[Ref-2]のp180「ケプラーの母の魔女裁判」に詳しいようですが、概略は英語版ウィキペディアに載っています。原文と私の翻訳を紹介します[*3]

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In 1615, Ursula Reingold, a woman in a financial dispute with Kepler's brother Christoph, claimed Kepler's mother Katharina had made her sick with an evil brew. The dispute escalated, and in 1617 Katharina was accused of witchcraft; witchcraft trials were relatively common in central Europe at this time.
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1615年、ケプラーの兄弟クリストフ(Christoph)と金融紛争を起こしていた女性ウルスラ・レインゴールド(Ursula Reingold)は、ケプラーの母親カタリナ(Katharina)が、悪魔の息により彼女を病気にしたと訴えた。 紛争は拡大し、1617年にカサリナは魔女裁判に告発された。魔女裁判はこの当時の中央ヨーロッパではよくあることだった。
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Beginning in August 1620, she was imprisoned for fourteen months. She was released in October 1621, thanks in part to the extensive legal defense drawn up by Kepler. The accusers had no stronger evidence than rumors.
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1620年8月から、彼女は14ヶ月間投獄された。ケプラーによる広範な法的弁護のおかげもあり、彼女は1621年10月に釈放された。告発者達は噂よりも強い証拠を持っていなかったのだ。
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Katharina was subjected to territio verbalis, a graphic description of the torture awaiting her as a witch, in a final attempt to make her confess.


 最後の文章だけは自信がなくて訳は書きませんが、なんだか恐ろし気なことをされたようで、当時の魔女裁判で14ヶ月間もの投獄に堪えて魔女だとは自白しなかったのでしょうから、Ref1の訳者が言う通り、相当に気丈な女性だったと思われます。最終的には無罪を勝ち取るという魔女裁判では奇跡とも思えることを成し遂げるのですが、これはケプラーの奮闘とともにカタリナの気丈さも勝因のひとつだったのでしょう。ケプラーがこんな悲壮な戦いをしていたなんて驚きです。

 『夢』の主人公は母の死後に「長いあいだ書きたいと思っていたことをやっと書けるようになった」と書いていますが、その記載を受けた注釈8でこの事件に触れて「もしかしたら、きみはこんなふうに考えているかもしれない。もし私が夢の中のフィオルクヒルデのいましめを破らなかったなら、私の家族は六年間にもわたる例の問題に巻きこまれなかっただろうし、私も去年の旅行をせずにすんだのではないかと。」と書いています。そして『夢』に注釈を加えて出版しようとした動機のひとつを「この夢物語のために事件の仇(かたき)を返そうと思い、出版に踏み切った」と述べています。

 ここの仇(かたき)とは母を魔女裁判に追いこんだ者達だけではなく、地動説を不当に攻撃した者達をも指すようで、注釈4-10では激しい口調の批判が書いてあります。注釈4には『夢』の執筆目的がはっきりと書かれていますが、同時に、今の言葉で言うなら「無知ゆえに従来の考えを捨てられない人々」への批判が現れています。
--------------引用開始--------------------
 私の『夢』の目的は、地球の運動を支持する議論を打ち立てるために月の例を使うことである。というよりはむしろ、人類の全般的反対から生じた反論をうち負かすことである。この大昔からの「無知」はもう今ではすっかり死滅し、知性ある人々の記憶からぬぐい去られていたものと私は思っていた。
--------------引用終り--------------------

 しかしガリレオの裁判は科学史上も有名ですが、このケプラーの母の裁判はそれほど知られてはいません。本人の事件ではないこともあるのかも知れませんが、首尾よく勝ってしまったからということもありそうです。それに訴訟も「科学に対する弾圧」ではなくて、単なる個人的係争のようですから。


続く


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Ref-1) ヨハネス・ケプラー;渡辺正雄(訳);榎本恵美子(訳)『ケプラーの夢 (講談社学術文庫 (687))』講談社(1985/05)
Ref-2) 『魔女狩り (岩波新書)』(1970/06/20) ISBN-13: 978-4004130208


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*1) 年には複数の記載が見つかった。
 a) Ref-1の訳者序言によれば、「そして一六〇九年、ある機会から彼はふたたび「月の天文学」を取り上げることになった。そこで一六年ぶりにかつての論文を取り出してきて、数年前から念頭にあった月旅行物語としての『夢』の梗概を書き上げたのである。すると、それは非常な評判を呼び、彼の手稿はこの問題に興味をもつ人々の間で熱心に回覧されたのみならず、たちまちのうちに遠くイギリスにまでも伝わっていった。」
 b) wikipedia日本語版:夢(小説)によれば「1608年にヨハネス・ケプラーによって書かれた小説」
 c) wikipedia英語版 "Somnium (novel)" によれば、「Somnium (Latin for "The Dream") is a novel written in 1608, in Latin, by Johannes Kepler.」
 d) wikipedia英語版 "Johannes Kepler: 3.6 Dioptrice, Somnium manuscript, and other work" によれば、「Around 1611, Kepler circulated a manuscript of what would eventually be published (posthumously) as Somnium [The Dream]. 」
*2) 注釈35で、9という数を選んだ理由は忘れたが、ミューズ九女神か9つの諸学科(形而上学、医学、倫理学、天文学、占星術、光学、音楽、幾何学、算術)から取ったようだ、と述べている。当時の学問の分類はこのようなものだったらしい。
*3) グーグル翻訳では "accusers" を「被告人」と真逆に訳したのだが、どうしたというのだろう?
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