Soho Designer の長いつぶやき

SOHOでのフリーデザイナーとして30年。
地方で超零細企業としての日々のつぶやき。

データを持つ/責任も持つ

2016-10-31 07:42:26 | 仕事話_制作
9月10月と入稿ラッシュだった。
完全データ入稿で印刷納品までのもの、と、レイアウトデータ(デザイン)入稿までのものと。

それでも昔ほど忙しいわけでもないので打ち合わせやら納品など外出も挟んだ秋。

デザイン作業自体はもう長年やっているのでそんなに緊張せず(ても思いつくまでは悩み。。。)進行。
完全データを作成するのもだいぶ慣れたが、入稿するまでなにしろ責任を感じまして、まるでみんなの給料を預かってて支払うまでの緊張に近いかな。
自分のところに全てが保管されてて。
最近は自分にもしものことがあった場合を考えて持ち運べるUSBに担当者の名前(なぜならばその方に託す用)フォルダを作って途中の仕事は毎回保存。

パソコンを手に入れて簡単な約物(飾り)をイラレで作成し、出力して別版としてアナログ入稿したり(ときにはフロッピーやMO←古、でデータお渡し)したのが1995年。
その後ページレイアウトもイラレやクォークなどで製作はするがなぜか出力して級数や色指定などを書き込んで一応データも渡しててのが、1990年代後半。
そして、2000年に入ってから写真はあたり、レイアウトデータもデザインのデータとして、原稿が流し込んであっても完全データでなく入稿していた。

わたしの取引先は出版関係が多かったので、文章先割で流し込みなどは印刷会社に託し、デザインまでの仕事が主であった。
もちろん小さい印刷物(名刺やハガキとか)はすでに完全データ入稿していた。
出版関係で完全データ入稿したのは、、、いつだったか、、、。
2011年ごろだったかなぁ。
おそらく「出版だけはするがあとは制作側で全てやってください、予算はありません。」な本だった。

この年はみなさんご存知のあの大きな震災があり、ちょうどその本の制作の渦中だった。
その中での完全データ入稿、自分が全てを入稿するまでの責任と緊張。
そしていつ停電するかわからず、いろんな緊張の中、自分の中にも大震災が起き、ある取引先と絶縁した。

どうされてるだろうかあの方は。
いつも思います。震災がなかったら同じ絶縁したとしても平常に別れられたかも。
もともとわたしはもめごとやあらそいは嫌いである。
あんなに怒って相手を泣かして傷つけてってことまでせずに済んだかも。
そこだけが後悔している。
コメント
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