前向きな毎日を送る

様々な人の影響を受け、色んな言葉に感動をしている日々を忘れないように・・・

入居3日目4日目5日目のことと本日、夫の入院のこと

2024-05-06 18:21:00 | 私と周りの人のこと
5月3日(金)
夕方4時ごろ施設へ。

母は寝ていて起きて痛かったか聞くと、「えっ痛かったの?」と忘れていた。いい調子♪
でも車いすに座ると痛がった。

夕飯はご飯1/4おかず1/2で、もういらないと。
いちごなら食べるかと持って行ったら5個くらい食べた。
私の軽い夕食用にネギトロ巻きを食べていると母も2つほど食べた。

部屋に戻り、また帰る前にもいちごを5個ほど食べた。

部屋にはテーブルもなく、物が置けないので今度はダンボールの置き台を作った。その上にアルバムを載せて…(今日6日にはおぼんを持参して置いた)

母は持って来たアルバムを見て懐かしいという。「久しぶりに見たら懐かしいわ」と何度も何度もそう言った。

夜8時ごろ帰った。


5月4日(土)
夕方5時ごろ母のところに。

今日は近くの公園にお散歩に行ったとのこと。顔色がとてもいい。

おかきが食べたいと言うので近くのコンビニで買ってきた。

カフェコーナーで「時をかけるテレビ」を熱心に見ながら食べた。
両親が盲目の少女(5才)のドキュメンタリーで、母は「この子の顔見たいやろうね」と何度も言っていた。
おかきは小ぶりだったが、4つも食べた。まだ食べたそうだったがもうすぐ夕飯なので終わりにした。

6時ごろ、サキサカさんが夕食に行くと声をかけてくれたが、6時ちょっと前までおやつを食べていたのであとにした。

でも一人で食べたくないので20分くらいに食堂へ。
ご飯1/6おかず半分くらい。

ここのところ、食事が終わって残った状態をスタッフに確認してもらってあとは私が食べていた。いつも夜はお酒を飲んでご飯はほとんど食べないのでちょっと太るかもと思ってる。夫はもっと食べないと、といつも言うので健康的になるかも?


5月5日(日)

今日は少し明るさが残るうちに帰ってこれた。日の入りが6時半というのでその前に帰る予定がやっぱりすぎてしまう。

母とは何十年も離れて暮らしていたので近くにいると思うと会いたくて行ってしまう。

今日、施設の帰りに、
「もう5日になりますね」なんて言われて、えっそんなに毎日来てたのかと初めて気づいた。まだ3日くらいの気がしていた。1日に施設に入って今日は5日なのだから、確かに5日だ。

ここのところ毎日母のカビ臭い服を持ち帰り、洗濯しては届けていた。

実家の使ってない部屋のタンスの服はカビ臭くなっていた。けれどこれからの季節の服はこれしかないなとこちらに持ってきた。

なので、コツコツ洗っては届けた。



そして今日5月6日(月)

昨日夫は入院の準備をするためいつもよりは早く、11時過ぎに帰ってきた。クタクタで動けないくらい疲れていた。

でも準備しないと、とある程度準備し明日確認しようとなった。

本日朝からしっかり荷物を確認しながら詰め込んだ。

サインする書類にサインもし、準備万端だ。

10時に私は自転車で、夫はキャリーバッグを転がして電車で行った。
今日は強風で遅々として進まず時間をかけてこいだ。

病院は祝日のためひっそりしていた。病院で会って一緒に病棟に行ったが、病室にも入れず椅子のあるところで別れた。コロナ以降はそんな感じなのか?

明日3時から手術。

成功しますように。



今日もその足で35分くらいかけて母のところに行った。

たこ焼きを買って行ったらお昼のあと3時ごろ2つ食べた。

母はどうもご飯が食べられないみたいだ。スタッフの方とお話して、おにぎりなら食べるかもとお伝えしてきた。

さて、上手く行くといいのだけれど。

そうそう、きのうまた一人入居され、3人になった。
今日は朝から3人で食事をしたとのこと。お昼も一緒に食べていたのでお邪魔しては悪いから私は部屋でたこ焼きを食べた。

一人でLINEを確認していたら、居場所でパステルとお料理を教えてもらっているGさんからお休みにしてはと連絡が入っていた。
少し前に自分一人でやるからお休みしてもいいと承諾してもらっていたのだが。

だけどなんかGさんもお休みしたくなったみたいで、ではと個人個人にはGさんがお断りの連絡をし、私はインスタとFacebookに急なお休みのことを載せた。

一人母の部屋ですることもないのでそんなことをしていた。



 大手毬





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施設入居2日目のこと

2024-05-06 01:01:00 | 私と周りの人のこと
5月2日(木)
10:30施設へ。
母は寝ころんでいた。
腰痛かったの?と尋ねると、寝てると大丈夫、起きるとダメとのこと。
ラジオ体操にも行ってみたが、車いすに座ったままでもまるでできなかった。

少ししてから
訪問診療の医師と話した。
認知症のこと、腰痛のこと、救急車で何度も運ばれたこと(これはまだ書いてないです…)など話した。
3月くらいからドネペジル(認知症の薬)を3ミリから5ミリに変えたと話すと、変える前と後との違いを尋ねられた。
5ミリにしてから近所にお金がないと行ったりしたのでケアマネさんから先生に言ってもらって2週間飲まなかったこと、そのあとショートステイに行く際に5ミリを1日おきに飲み始めたこと、そのあと腰痛で痛み止めばかりに目が向き、私があまり飲ませてなくて進んだようだ、など話した。
3ミリの時の方がよかったみたいなのでまた3ミリでやってみて、お腹を整えて排便のコントロールをして、腰痛も胃薬のいらないのに変えてやって行きましょうと前向きな力強い言葉をいただいた。

お昼は夫に作った中華焼きそばを少し持って行ったらと言われて、それを持参した。
サキサカさん(仮名)と3人で食べた。母は昨日の夕食も全然食べず、お昼も食べなかった。第一は腰痛で痛くて食欲がないという。
その上、味が薄いといってちょっと進まない。どうもこってりしたのが好きみたいで、高齢者向きのあっさりが気に入らないようだ。
私はとても美味しかった。(自分ではそうは思わないが薄味らしい)

サキサカさんは母のことを自分よりだいぶ若いですね、と言うので、若く見えるんです、91才です。というとめちゃくちゃびっくりしていた。
母は、今までとは一変してにこやかになり、若いって言われるんですと超ごきげんになった。

母は褒められると伸びる私と同じタイプだった。

ちなみにサキサカさんは82才とのこと。

部屋に戻り荷物を開けてクローゼットに入れたりし始めた。テレビ台もテーブルも運べず、全てを地べたに置いている。

ベッドからテレビが見えないというのでダンボールでテレビ台を作ったら、まだ低いけど少しは見れるようになった。貧乏臭さ満点♪

あと、アレクサをつないで…今日はここまで。その日2時以降に届く荷物があったので帰った。
大阪から東京に来る前の日に、自分のものと母の物を荷造りして送っていた。
そう、夫が車で荷物を取りに来る前に写真立てを持って行くか尋ねても、そんなん置いといたらいいやん、と言っていたのが、いざ行くとなったら、あれもこれも持って行くと言い出した。
前日になってやっと行くことを理解したのか、前の時は理解してなかったのか…

アルバムは本当はもっと送りたかったが、また今度送ることにして、2冊ほど入れた。

写真立てはそのままのと写真のみにしたのを持ち帰った。

2時すぎに荷物が届き、その日はたまっていたビデオを堪能した。
 


※手作りテレビ台!?








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