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「キーロフバレエ「放蕩息子」「Reverence」「エチュード」

2006-01-30 13:41:45 | 舞踊、ダンス、舞踏、バレエ、日舞
「キーロフバレエ「放蕩息子」「Reverence」「エチュード」
 Ballet report from Russia vol.1
                       高橋匠美

 2006年1月20日氷点下30度近くの極寒の中、ロシアサンクトペテルブルグのマリンスキー劇場でキーロフバレエの「放蕩息子」「Reverence」「エチュード」を観た。クラシックバレエの総本山と呼ばれているキーロフバレエだが、近年はフォーサイスなどのコンテンポラリー作品も次々と上演されており世界中で反響を呼んでいる。
 バランシン振り付けの一幕物バレエ「放蕩息子」は若手ソリストのミハイル・ロブーヒンが演じた。彼の力強いキャラクターと終盤での憐れみを誘う演技に観客もこの物語に陶酔していた。
 この作品では、前半はエネルギッシュで高い跳躍などの技術力が要求され、後半では身も心もぼろぼろになり尽きてゆく青年を演じなければならないので演技力がかなり必要となる。しかしそれだけではなく、会場にいるマダムたちの母性愛から生み出る青年への同情を得るためにはそれなりの端麗な容姿、または多少のキュートさが必要となってくる。ロブーヒンは実際良く演じてはいたが、残念ながらキュートとは言い難く、強そうで常に英雄のような印象が残ってしまう。例えば甘いマスクと光る才能でワガノワバレエ学校時代から日本公演でも注目を集めていて、今回は「エチュード」を披露したウラジミール・シクリャロフの「放蕩息子」なら、会場からまた違った空気が漂うことだろう。最近幼さが抜け、踊りに力強さが増した彼の「放蕩息子」ぶりを想像してみて、このキャストに入ってくれることを祈った。
 女王を演じたエカテリーナ・コンダウロワはワガノワ時代からの変わらない美しい容姿と気品、それに加え長身の恵まれた肢体の持ち主なので、この役は彼女にとって当たり役のはずだが、若すぎるせいかやや威厳に欠けた。あるいはいつもはベテランのダリア・パブレンコが踊っているのでその印象が強すぎたせいかもしれない。
 次はデビッド・ドーソンの「Reverence」。この作品はドーソンがこのバレエ団のために振り付けをし、昨年3月に初演されたものである。生粋のキーロフのダンサーたちがエネルギッシュかつスムーズにコンテンポラリーをこなし観客たちをうならせていた。
 この作品を観終わった後、キーロフのソリストで、バジルやコンラッドが持ち役のウラジミール・シショフにひさしぶりに会ったので話をした。彼は先日の「愛の伝説」のキャストに入ってなかったので、もしやと思いきや、案の定ケガで現在休養中だったのだ。「愛の伝説」を踊る予定だったが腰を痛めてしまい、この二カ月間踊っていないということだった。二週間後にレッスンを再開すると言っていたが、少々意気消沈していた。彼は二年前にルジマートフと共に招かれて大阪で踊ったことを想い出し、また日本で踊りたいなと語ってくれた。どんなに能力のあるダンサーでさえ、怪我をしてしまうと少なからず気が滅入ってしまうものだ。だがこの劇場の公演回数とレパートリーの多さ、それに加え毎月の海外公演のハードスケジュールぶりからすると、主要ダンサーほど怪我の危険性に常に悩まされることだろう。
 さてお待ちかねの「エチュード」が始まった。このバレエはハラリド・ランジェルの作品で1948年にコペンハーゲンで初演された。ここマリンスキー劇場では2003年に初演されて以来観客たちに親しまれている作品で、真っ白なクラシックチュチュの世界で幕が開ける。初めに一人の若手バレリーナが、バットマン・タンデュとレヴェランスで「エチュード」の世界へとナビゲートしてくれる。美しいつま先としなる甲で、たった一つのアラセゴン・タンデュだけで拍手喝采だ。そしてバーレッスンから舞台は繰り広げられていく。それにしてもロシア人ダンサーの脚のラインは見事な美しさなので、バーレッスンだけでもうっとりとしてしまう。それからどんどんセンターへと踊りは展開してい、き回転やジャンプなど複雑なテクニックが披露されていく。その後ソリストたちが登場し次々と技が繰り広げられ、ますます会場は盛り上がっていく。
 芯となったバレリーナは、キーロフ入団直後に日本の新国立劇場に招かれ「白鳥の湖」を披露したことで知られている、愛らしいアリーナ・サモワである。アリーナは妖精のような華奢な肢体に初々しい表情で、彼女がパを披露するだけで目尻が下がってしまう。若干弱々しさが残るが、彼女を見ているとそんなことはどうでもよくなって、華麗な世界に誘い込まれてしまう。
 そして三人の男性ソリスト。まずは日本公演でもお馴染みのベテラン、イリヤ・クズネツォフ。しかしこの作品でのイリヤのソロは一瞬にして終わってしまったので、彼が何のために登場したのかよくわからなかったが、ロシアの固定ファンは彼が出てきただけで大きな拍手を送っていた。終演後に彼は同僚たちから祝福の言葉を受けていたので、この作品には今日が初めての出演だったのだろう。だが「カルメン」のホセやロッドバルトなど濃いキャラクターが持ち役の彼は、白タイツで正統派クラシックを踊るには少々がたいが良すぎる。他の演目ではいつも凄みのある演技で良い味を出しており舞台を引き締めているのだが。
 そして現在キーロフが売り出し中の若手シクリャロフ。柔らかな足先、鍛え上げられた筋肉、軽やかなジャンプ、そして高度なテクニックに裏付けされた正確なポジション。彼が次から次へと繰り広げるジャンプや回転には目が釘付けになった。まだ未完成だが彼はとても輝いており、未知の可能性を感じさせた。この作品は彼のためといってもいいほど、見せ場をうまくこなしていた。実際バレエマスターが彼のために少し振り付けを手直ししたであろう。半年前にこの作品を観たときは、今回よりも彼のソロは少なかったし、長身のバレリーナをサポートするシーンではうまく支えられずバレリーナが崩れてしまっていた。後でバレエマスターがそこの場面はリハーサルでも成功したことがなかったと話していた。だから今回はその場面を削り、彼の得意なテクニックをふんだんに盛り込んだソロを取り入れたのだろう。それに前回と比べると彼の体は筋肉質でダイナミックになっていたので見ごたえがあった。おかげで観客としては贅沢で、幸福感に満たされた一夜を送ることができた。
 舞台終了後、激励の言葉をかけに彼のもとへ向かった。だが長いカーテンコールの後、ディレクターやバレエマスターらが彼のもとへ行き、終演後の舞台上で稽古が始まってしまった。舞台で力を絞りきった後で、さらに完璧さを求められて一人特訓を受けていた。疲れきって彼の動きが止まると、ディレクターが「やれっ!やれっ!」とせきたてていた。その光景に私はとても衝撃を受けた。なぜなら先ほどの舞台を観て、ああやはり彼はどこか違う星から生まれてきたんだなぁと納得してしまっていたからだ。無心で打ち込む彼の姿は昔読んだキーロフが舞台になっているバレエ漫画の一場面をも思い起こさせた。彼の舞台に懸ける情熱と、溢れる程の才能に恵まれながら努力を惜しまない姿を目の当たりにして、この凍てつく氷点下の中でも出てきてよかったと心底思った。舞台装置が次々と消えていくマリンスキー劇場の中で心が解かされていくように温かくなっていった。
  一人、舞台に残された彼が稽古を終えて私を見つけると、やっと安堵の表情を見せた。そして「僕は疲れたよ」と言った。その瞬間、彼も人間なんだと理解した。

…………………
◆プロフィール
(たかはし・たくみ)
1981年北海道小樽市生まれ
1997年ロシア国立ワガノワバレエ学校でリューボフ・クナコワ、
   ナタリア・ドゥジンスカヤに師事
2004年ペテルブルグ国立ヤコブソンバレエ研修生
2005年レニングラード国立バレエに研修生
   エフゲニー・コスチレワ(クチュルク)に師事




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